いよわ『大女優さん』を褒めちぎるnote
いよわさんの『大女優さん』について、私的な解釈・考察を書くnoteです。
今回もよかったね。最高です。
正直自信は全くないので、いかれた一人芝居だと思って見てほしいです。
『大女優さん』はこちらから↓
サムネ描きました。
毎回難しいと言ってますが、今回は眼鏡のレンズがいちばん難しかったです🫠
※このnoteは、個人の解釈を含みます。
正解ではないので、解釈のひとつとしてお楽しみください。
プロローグ
ここでは歌詞の話はしないので、歌詞のところを見たい方は次の見出しまで飛ばしてください。
動画に見えた殴り合いの大喧嘩という不穏な文字。
そして、花隈千冬という新ボーカル。
この時点で、今回もいよわ世界の曲だと悟った。
しかし、初めて曲を聞いたときは、そうではないのかもしれないと思ったのも事実。
メロディ、映像、声。何もかもが完璧だった。
でもやはりこの曲は、いよわの創作に対する今の気持ちを歌った曲だと私は思う。
これからこの歌を自分なりに紐解いていきたい。
歌詞 ①いかれた一人芝居
最初の「ショートフィルムを録ろう」は曲作りのことだと考えられる。
撮るにはない「録る」の現実感、始終と40、前の約50秒との繋がり。
最初からいよわワールドが全開している。
「いかれた一人芝居がしたい」というのは、曲・動画・イラスト全てを一人で手がけるいよわ自身の創作スタイルを指していると思われる。
しかし、どうもこの最初の「いかれた」の部分、「ひかれた」に聞こえてならない。
たぶん、次の「卑屈」の音がなければ可能性を思いつかなかった。
仮にここをひかれた(惹かれた)と解釈した場合、「惹かれた一人芝居」は川谷絵音の曲を指しているのではないかという説が私の中で浮上する。
憧れから音楽を始める。プロローグとして最高ではないだろうか。
というのも今回の曲、すごく川谷絵音の曲調に似ている。(主人公の一人語り、コーラス部分など。私が知っている限りでは夏夜のマジックとかがそれに近い。)
いよわは、川谷絵音から音楽の影響を多大に受けているようだ。
真実はわからないが、これなら急にポエトリーリーディングな曲調になったのも説明ができる気がする。
歌詞 ②過去
この見出しで特に注目したいのは以下の部分↓
日本語として通じない抽象的な歌詞から、何か意味があるのだろうと推測し、ひとつの仮説を立てた。
それは、「過去の歌詞引用説」
以前、『地球の裏』を考察したときに、過去の歌詞の引用元として『さよならジャックポット』を提案した。興味のある方はこちらのnoteを読んでいただきたい。
ただ、今回の引用(ほぼ単語)は、とても自信がないので、あくまで仮説と思ってご覧いただき、各自の考察の礎にしてほしい。(そして、上手くハマったら私にも教えてほしい)
=「」はその曲の歌詞。
※「今日も卑屈の孤島」はいよわの創作環境だと仮定。
仮説⑴ 約束→『マーシーキリング』
=「小指4本分の約束」
『無辜のあなた』の間奏部分にも「約束」という単語が見られ、マキリちゃんを象徴する単語の一つ。
仮説⑵ 烏合→『アプリコット』
=「カラスが運ぶ逆撫で」
仮説⑶ ヒール→『黄金数』
=「悪役にはお似合いの品用意しました」
仮説⑷ 口説くな→『1000年生きてる』
「くどいプロポーズを待って」
仮説⑸ 見たネタ→『ポプリさん』
理想のキャラクター(創作上のネタ)であるポプリさん?
仮説⑹ 法と理屈→『くろうばあないと』
犯罪に手を染める女の子とそれまでの経緯(理屈)の歌?
仮説⑺ ゆめ→『パジャミィ』
=「遠い 遠い 夢の部屋」
仮説⑻ 慕えない距離→『あだぽしゃ』
「わかり合えないとわかっていたでしょう」
歌詞 ③殴り合いの大喧嘩
今度語ろうと思っていたが、後輩という言葉は『無辜のあなた』に出てくる。
正確な秒数は忘れたが、「彼女は後輩だった」という言葉が動画内に登場する。
そして、フィルム(フレーム)という映像関連の概念とセットで、『無辜のあなた』を連想させる。
ここで注目したいのは、誰が殴り合いの喧嘩をしているのかという部分。
仮に後輩2人のうち1人を『無辜のあなた』の女の子だとした場合、後輩は創作上のキャラということになる。
もう1人はマキリちゃんと男の両方にも当てはまらない気がするので、後輩は概念として使われている説を提唱したい。
さらに創作上のキャラとしたとき、後輩とは過去のいよわ自身を指すのではないかというのが、この見出しで主張したい内容である。(後の展開からもこちらの方が整合性があると思う)
この根拠を後押しするのが、曲の題名である。
英語の題名の方に注目してほしい。
“actress”
複数形“actresses”ではないのだ。
先の展開の話をするが、エンドロールには名前が「■■ ■■」と伏字で書かれており、スマホの画面にも「やっぱ人足りてない感ありますよね。」「結局全部主人公の妄想だったってこと?」とある。
登場人物は1人と考えて良いだろう。
歌詞 ④完璧なプロット〈あの曲との関連性〉
ここで注目したいのは、『完璧なプロット』という部分。
実は過去の曲に似たようなフレーズが登場する。
それは、「私の考えた最高のプラン」だ。
このフレーズは『オーバー!』に登場する歌詞である。
私は『オーバー!』も創作について述べた曲だと睨んでいるが、確たる証拠がないのでここでは詳細を控える。(いつかこの話もnoteでしたいな)
根拠を一つあげるとすれば、大女優さんのしているピアスが三日月であることだ。(サムネでちょっと描いてる)
動画のサムネからもわかるように、『オーバー!』は宇宙飛行士を格好をした少女が登場し、動画の中には月も出てくる。
また、『熱異常』もいよわの創作に対する曲と解釈しているが、(この話もいつかしたい)「腐りきった三日月」という歌詞が登場し、月はいよわの創作を語る上で重要なモチーフとなっていると考えられる。
歌詞 ⑤創作
「最小限のビラ広告」は、自分が作品を通して伝えたいメッセージ、「私がいなくなってる」は自分が一切入っていない、物語に没頭できるような状態、「手紙箱」は、過去の作品が置かれているアルバムのようなものだと思ってほしい。
手紙は、自分から相手にメッセージを届ける手段であるというところが、歌と共通している。
歌詞 ⑥「前はそんなつまらない人じゃなかったですよね。」
個人的に喧嘩をしていたのは、ショートフィルムがお釈迦になり、自分で創作をするための口実を与えるためだと考えている。
そして、「前はそんなつまらない人じゃなかったですよね。」 というセリフだ。
前の見出しで述べたように、後輩は概念として使われており、(過去の)いよわを指している。
つまり、これは昔の自分から今の自分に対しての言及だ。
純粋なストーリー作品、好きな物への愛(元ネタ)があるとされる作品とは異なり、昔のように面白いアイデアが出てこなくなった。
創作のアイデアが尽きた。(『地球の裏』note参照)
「つまらない人になった」というのは、そういうことだろう。(私はつまらない人間、面白くないとは1ミリも思っていません。)
歌詞 ⑦現在に近い姿
『代わりのシーンを自分で演じて埋める』というのは、現在のいよわの創作スタイルに近い。
創作のアイデアが出てこないので、自分の感情(真偽はわからないが)で歌詞を埋めるしかない。
「そう思って提出したショートフィルムが入賞した。」で彷彿とするのは、『熱異常』のことだろう。
ボカコレ2022秋TOP100ランキング1位を獲得している。
歌詞 ⑧映像
2番のサビ、愛の渦と目鼻(アイノウズ)の韻踏みがすごい。
しかし、ここで注目したいのは、映像の部分。
女優のような見た目をした大女優さんとインタビュアの会話である。
この会話部分、大女優さんはほぼいよわの分身なので、実質いよわへのインタビューなのだ。
そう思うと、言葉一つ一つの重みが違う。(恐怖は無いですか?―今更そんなこと言ってられませんから。など)
気になるところを見ていこう。
独り言
まずは、「独り言」という言葉。
辞書だと「会話相手のいない発話」というような意味が出てくるが、ここでは本音というふうに捉えてもらうとわかりやすくなると思う。
そして、この「独り言」という言葉は、過去の曲にも登場する。
それが『熱異常』の「哀れな独り言を記している」である。
『熱異常』の話まですると更に長くなってしまうので、この辺に留めておく。
幸せと馬鹿
(馬鹿)の部分は、次のシーンに行く前の暗転時に一瞬白文字で出てくる。
互いの幸せが続いていること、馬鹿という文字列を見ると、とある過去曲が連想される。
その曲の名前は、『あだぽしゃ』
この部分である。
私がいよわを推し始めたのは『アプリコット』辺りだと記憶している。『パジャミィ』は楽しみに待っていた記憶があるので。(YouTube見たら1年前だった…まじ?)
上記を踏まえた上で、『あだぽしゃ』は、私がいよわを推す前の曲なので、当時の彼の音楽の空気感が、残念ながらわからない。
ただ、音楽を作る者としての苦悩(あるいは怒り)を述べた曲だという説は否定できないと私は考えている。(そのように仮定すると後の異星&地球との関連性も見えてくる。)
「お互い幸せになりましょうね」が「互いの幸せが続いていること」、「文字すら読めぬ猿」が「馬鹿」に対応する。
さらに「遺言」は、『地球の裏』noteから死人=いよわと仮定すると音楽、今回の曲では、ショートフィルムがそれにあたる。
歌詞にある約50秒という短さからも『あだぽしゃ』との繋がりは無視できないと考えてもよいのではないだろうか。
歌詞 ⑨回想
この辺は全部いよわ自身の回想だと思う。
「古びたデータ」は過去の曲、自分(いよわ)が綴ったものなので、聴いてみると日記帳を読まれたような気分になる。
あまりにも完璧に作られたプロット、今の創作が尽きた状態とは違い溢れ出るアイデア、自分が作りたいと思っている作品を作っている過去の自分。
「言葉遊び」と聴くと『ポプリさん』を思い出す。
歌詞と発音の違いも含まれるのかもしれない。
「画面の向こう側から聞こえていることに気がついた」の部分は、大女優さん(いよわ)の変遷を表現していると私は解釈した。(少なくともいよわ自身にとって、トロフィーを抱えた大女優さんは今のいよわではないはずだ)
ちなみに、最後の「いかれた一人芝居がしたい」は、ちゃんと「いかれた」と言っていると思う。
歌詞 ⑩私がいなくなってる
今までのサビからの言葉遊びが素晴らしい。
カラオケ出たらここを歌うために歌ってみたいと思うほどの韻の心地良さがある。
「完璧なプロットで動くのですか 」に、現状創作スタイルへの苦悩が詰まっているような気がする。
ここで注目したいのは「私がいなくなってる」の部分だ。
1番のサビでは、物語の完璧性を表現していると書いたが、ここはまた違う意味な気がする。
そう感じた理由は、せっかく言葉遊びをしているのに、同じ意味なら二度書く必要がないからだ。
ここでの意味はどちらかというとよくないもの。
『地球の裏』で言う、「心の臓を切り売り」の部分だ。
自分の感情(創作の苦悩)を贄として創作することで、自分自身が消えてしまうことを表現しているのではないかと私は考えている。
ここからは、仮説の仮説という感じで、完全に信用に値しない、妄想に近いことを言うのだが、「覗き込んだ扉」の「扉」は、『パジャミィ』の扉なのではないだろうか。
私の中で『異星に行こうね』からは、いよわの感情曲だと思っているので、鴻鵠(ストーリー創作)が飛び立っていなくなってしまい、私がいなくなる(いよわの感情からの創作、屍になった姿での創作)状態なのだとしたら、私としてはとても納得のいく歌詞になる。
終局
歌詞が終わってから曲が終わるまでの間に、スマホの画面とそのスマホを投げる少女が登場する。
スマホには「やっぱ人足りてない感ありますよね。登場人物の関係性があまり入ってこない。」「1、2ほどの魅力を感じない」などとショートフィルムを見た人が書いたあろう書き込みがされている。
この「1、2ほどの魅力を感じない」というコメントには、曲のタイトル『大女優さん(3)』との繋がりを感じさせる。
スマホを投げている少女は、大女優さん達と見た目が近いことからも今のいよわではないかという考えが浮かぶ。
エンドロールの■■ ■■はこの『大女優さん』を構成する登場人物なのだろう。(鼻血を出した眼鏡の女の子、トロフィーを持った女優の女の子、最後のスマホを投げる女の子でちょうど3人いる)
以上で考察はおしまい。
正確性を保証するものはないため、あくまで憶測の域を出ないことを頭に留めてほしい。
まとめ
構想約1ヶ月、やっとこのnoteを投稿できました。
このnoteを書いている間に新曲「一千光年」が出ましたね。創作ペースが早すぎる…この曲も最高でした。
いつかまた感想も書きたいですが、とりあえず『大女優さん』をまとめることができてよかったです。
大女優さんのトロフィー持ってる子がめちゃくちゃ好みなんですよね…。
こんな顔になりたいになってます(1回メイクやってみたけど全然違う人になった)
メイク上手くなりたいです🥺
今回は、文量削減や文末の工夫のために、だ・である調で文章を書いていましたが、ですますで書く方が落ち着きますね( ˊᵕˋ )
書くのも時間がかかりましたが、読むのも時間がかかったと思うので、ここまで読んでいただいて本当に感謝です🙇♀️
よかったらまた覗きに来てください。それでは😌