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いよわ『地球の裏』を褒めちぎるnote

最近ほぼ毎日聴いているいよわさんの新曲『地球の裏』を褒めちぎるnoteです。

未視聴の方はまずこちらから⬇️

歌詞


サムネは自分で描いたイラストですにゃあ🐈‍⬛

難しいね……

⚠️歌詞の自己解釈を含みます。
解釈のひとつとしてお楽しみください。

全体的にすごいところ

曲全体を見てすごいと思うところを書きます。

まずは曲名。
英訳を見るとあなたを地球の裏側に連れ去るよ!って恐ろしさがわかるところがいい。
英語だと日本語とはまた違う雰囲気が出るので、こういうときにもっと英語勉強したいなと思います👉🏻👈🏻゛

そしてこの曲はいよわさんが過去に出した『異星に行こうね』と対をなす構造になっているところがすごくて、最初に聴いたとき衝撃を受けました。

乱れのない計測機器など一部の歌詞やメロディーがシンクロしていたり、上に行く異星に対して下に行く地球の裏という構造。

そして赤と青という対称的な色は、これもいよわさんの過去曲の『あだぽしゃ』『うらぽしゃ』を連想させます。

3分6秒からのクロスフェードのイラストを見ると、『あだぽしゃ』が赤で『うらぽしゃ』が青になっていることがわかります。

歌詞の印象に残ったところ

ここからは個人的に歌詞を聴いていて印象に残ったところを書こうと思います。

金にできる石や紐とかはもう何にも無い

石の部分が後の歌詞にある「汚れた意志」とかかっていて好き。

爪食いこむ前足そっくりの生き物のこと図鑑で読んだわ

注目したいのは「図鑑」の部分。
図鑑と言えば、昆虫図鑑や恐竜図鑑などがありますが、見たことないものやじっくり観察することが難しいものを「図鑑」という言葉で上手く表現しているなと思いました。
未知の恐怖を感じさせる、言葉の距離感が神だなと思ったので、印象に残っています。

組み上げたミルクパズルの絵のような話

ミルクパズルとは絵柄の描かれていない真っ白なパズルのことで、私の中でミルクパズルというと、宇宙兄弟という作品の中で出てきたことを思い出します。(絵柄のパズルと比べるとヒントがないので難しい)

何もない話(苦労して作ったのに中身が何もない?)という表現をミルクパズルとして表現するセンスがすごいなと思いました。

都合のいい見た目をして 都合のいいことを喋る けだものを求めたけだもの

私はこの歌詞を創作物に置き換えて、心に刺さりました。

説明のために、ここでは2次元、3次元を含めた、コンテンツとして登場するものを総称して「キャラクター」と表現します。

「キャラ付け」「キャラ作り」といった言葉がありますが、みんなの受けがいい(=都合のいい)見た目をして、みんなが求める(=都合のいい)言葉を話す「キャラクター」は創作物に限らず、現実の人間関係の中にも存在するのかもしれません。

その姿は純粋な「キャラクター」ではなく、ねじ曲げられた「キャラクター」、つまり“けだもの”であり、それを求める私たち(コンテンツの消費者)もまた“けだもの”である、と私は解釈しました。

その後の歌詞では、「乱れの無い計測機器が捉えるのは気持ち悪い人」と書かれており、歪んだ「キャラクター」を作り、その「キャラクター」を消費する様は普通じゃない(=気持ち悪い)と言われている感じがして、刺さりました。

たぶんこれは生きていく上で必要なことであり、いい悪いとか、はっきりわけられる話ではないのでしょう。
少なくとも私にはもう手に負えない話です…。

他にも少し書きたいことはあるのですが、自分の中で確証がないのでこの辺にしておきます。

考察 「『地球の裏』は『さよならジャックポット』に似ている」

考察というかただ私が思っただけなんですが、この曲いよわさんの過去曲、『さよならジャックポット』と共通点が多いと思うんですよね。

『さよならジャックポット』は「創作のスランプの中で、自分の気持ちが入ってしまった曲」とキャスの中で言われているので、『さよならジャックポット』との共通点から創作の苦悩について考えていこうと思います。(=のあとは『さよならジャックポット』の歌詞です)

⚠️ちょこちょこメモ代わりに自分の思ったことを書いています。
自己解釈なので、あくまで解釈のひとつとして捉えてください。

強すぎる光でかぶれて腐っていく

=「死にゆくその時 光る物があれば いいのだろう」

光は作品の魅力、あるいは創作者の才能の意か?
後の歌詞の、あなた=消費者と仮定すると、他の素晴らしい作品や量産されたコンテンツで感覚が麻痺した状態?
この辺の歌詞解釈はピノキオピー『神っぽいな』のコンテンツ消費者への皮肉にも似ていると思った。

あと、かぶれるの漢字は「気触れる」で「禁忌に触れた(狂れた)」も思い出した。

自己の紹介です (中略) 遠慮がちな墓に成りさがってゆく屍

=「身ひとつ 心ふたつ の 私は (中略) 三途の川と 彼岸花 寒すぎる場所に来てしまったようだな 」

自己を述べた文章と死を連想する単語。自己=屍が成り立つ。
「寒すぎる場所」は過去曲『私は禁忌』の死の概念に通じる部分がある。(歌詞の中にも寒い、冷たいという語が出てくる。)

屍は「かもね」に聞こえなくもない。

コインを貸してあげる

=「思い出すのは いつも  小さく輝く コインの絵柄だけ  いちばん キレイな 記憶だけだから」

その前の歌詞にある「金にできる石や紐とかはもう何にも無い」からコインは創作物、またはそのアイデアとなるものの意か?

唾飛ばしてめくった カードの柄は変わらない

=「さあ 我らが 誇りの看板に 泥ぬって ツバ吐いて 逃げてった奴らに 」

唾は創作の苦悩?

後のカードの部分は
=「インスタントな夢を デコって くっつけて バラまいた 」
を連想させる。
昔たまごっちのDSでカードにシールやラメを貼ってデコる店があったけれど、そんなイメージ。
ばらまくという言葉も「カードをばらまく」と言えるので似ているなと思った。
あと、cardはplacardという言葉もあるように、看板という要素を感じる。

薬指にはめたそのゴミは何の証 永く曖昧で

=「おんぼろゴミのスロット 多分 人生はそんなの」

薬指にはめるものといえば結婚指輪が思い浮かぶ。
結婚とは人生の中での大きな決断であり、永遠の愛を誓うもの。
「永く曖昧で」という歌詞から、結婚指輪がゴミに見える→愛が薄れてしまったことの表現か?
後述する愛の変化にも繋がると思われる。

また永くの部分は苦くにも聴き取れる。
=「ようやく 覚えた芸で 苦く 稼いだ身銭で 」

質量をもつ幸福の鎖がもう消えない

=「塵も残さず 消えてしまいたいから 」

『さよならジャックポット』で抱いた跡形もなく消えたいという願望は叶わなくなった?

呪いの音 終わらせないでね

=「一生 私たちは 呪いを抱えて、文明の星で、 草木を枯らして  生きていくしかないんだ。」

呪いは負の感情を指すが、「呪いの音」あるいは「呪い」単体で音楽の意か?

逃げたのは 底のない 暗い世界ですにゃあ

=「今はただひとり 静寂の闇から じっと身を潜めて 息を殺すだけだ」

「静かな虚無 奥深くまで落ちて行きましょう」とも共通する部分かもしれない。
「底のない」の部分が「救いのない」とも言っているような気がする。

深くまで堕ちて行きましょう

=「またひとり ひとり ひとりずつ 客が降りていく  人生急行だ」

堕ちる(落ちる・墜ちる)には、

・上から下へ自然に、また、急に移動する。
・物事が終わりの状態に行き着く。
・鳥や魚が死ぬ。
Weblio辞書より抜粋

といった意味がある。→引用元
上から下への移動は地下深くに潜るエレベーターの表現から、急な移動は動画、曲のBPMの速さから読み取れる。

2番目の、終わりの状態に行き着くという意味は、急行(終点に速く向かう電車)の状態と似通っている。

急行を意味する英単語expressは、表現するという動詞の意味を持つところからも、創作に通じる部分がある。
そして、expressの形容詞は「特定の」という意味があり、特定の駅にしか止まらないことから、普通より速度が速く、急行の、移動が速いという意味が備わるようになったらしい。(参考サイト)
上下左右の違いはあるものの、終点まで速く移動するという共通点があるのが興味深い。

そして、最後の意味からは歌詞の冒頭にある「ぬるくなった魚のような目をしている」が連想できる。
魚は変温動物なので、水温と同じだと仮定すると、それほど高い気温ではないし、ぬるくなった魚には生気が薄いと思われる。(熱帯魚ならぬるいくらいになるのかな)

汚れた愛

=「愛せる物が あっただろう」

愛の変化。

汚れた愛 汚れた意志が捕らえるのは知らない人だけ

=「泥棒たちにも 汚い花束を 」
「泥ぬって ツバ吐いて 逃げてった奴らに 」

汚れた、泥という表現と捕らえるから連想する泥棒という言葉。

純粋な愛から作られなくなった作品は、純粋なファンの元(本当に届けたい人?)には届かなくなってしまった?

後ろの歌詞で意図的に字が乱れている箇所はあるが、ここの歌詞は字が塗りつぶされいる?シンプルに字がつぶれているだけ?(文字を書いているだけにしては黒い部分が多いような)
速すぎて読めないので勘違いかもしれない。

ずっと泣いてずっと泣いてずっとずっと泣いてずっと泣いてずっと生きていくでしょう

=「真っ赤な 目の下は 見せないように 歩くの」

ポプリさんのキャスの中で、「歩いていく」という言葉は「描けない(駆けない)」の言葉遊びだと言われているので、創作が作れない状態でどうしようもなくもがき、涙を流している表現と読み取れる。

また「やめることも逃げることも出来ぬままで 心の臓を切り売りして生きてきたでしょう」の未来を暗示する表現とも思える。
「心の臓」は作者の経験、時間、気持ちなど自己を構成する、創作に必要なものことか?

その体 土に還ろうと それでもまだ死ねない そういう選択だ

=「選択肢だらけの人生を楽しく生きていきたいです。」(概要欄)

自分は屍(アイデア、ジャックポットがなくなった状態)であるが、毒を飲んでもまだ死ねないから(生きていくために)創作をし続けるという選択肢をとった?

取りこぼしもありそうですが、一応私はこういう解釈をしました。
ここまで書いてきたことも、真実はいよわさんの心の中にしかないのですが、いろいろな解釈ができるところが創作物の面白さなのかなと思います。

まとめ

好きなことを文章にするのは、寝食忘れるくらい楽しいですが、書きたいことを書くための書かなければならないことが多いので大変でもありました😵‍💫

あと、曲の考察を長々と書いたのは初めてなのですが、極端な邪推はこじつけはしたくないなと思いながらやると、表現の仕方にとても神経を使いました…。

私は音楽を作ったことがないので、音楽の創作の苦労は計り知れませんし、この曲が本当に創作の苦労を描いたものなのかもわかりません。

しかし、私はいよわさんの音楽が好きで、1曲でも多く作ってほしいという気持ちは確かなので、『さよならジャックポット』のキャスでも言っていたように、ゆっくり、長く、曲を作っていってほしいなと思います。

長々と付き合っていただき、本当にありがとうございました。
このnoteでは、いよわさんの過去曲が結構出てきましたが、それらの曲の感想もまた改めて書きたいなと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございます🙇‍♀️