一回性について/人生・音楽
時間はどんな風に流れているのか、ということを時々考えます。
どこか一つの方向に向けて均一的に流れているのか、それとも色んな方向に色んな速度で流れているのか。
私たちは空間で何かが変化したことを認めることで、時間の経過を認識することができます。
事後的に認識するだけなので、時間そのものを見たり、感じたりすることはできません。
逆に言えば、世界を意識で捉えて認識する前提条件として時間というものがあるのかもしれない。
そもそも、時間なんてものは『存在』するのか?
私たちが何かを『存在』しているものとして認める条件とは何なのか…凡庸な私の頭脳ではこの辺りで思考の袋小路に突き当たります。
何にせよ、私の認識能力では、未来を先取りしたり、過去に戻って過ぎ去った出来事をもう一度やり直す、なんてことが出来ないことは、はっきりしています。
時間はどんな風にかはわからないけれど、確実に過ぎていき、私はその限界の中で、一度きりの体験を死ぬまで重ね続けると思います。
人生の一回性。
出来事の一回性。
それは厳然たる事実です。
そこにどれだけの共通項があって、物事に慣れないとストレスでやっていけない私たちの脳が普遍性や反復性をそこに見出したとしても。
ならば、音楽も一回性を孕んだものなのではないか?
楽譜や録音という技術は再現性を目指しています。
いつ誰が聴いても同じ感動を得られるように。
しかし、それは完全には実現され得ない。
聴くのは一回性に生きる人だからです。
体調や、その日の気候、楽器の調子、電気の流れ、時間、その他諸々…。
それらは常に違う様相で聴く人に影響を及ぼします。
それでも私たちは『同じ曲』を『繰り返し』聴きます。
好きな曲ならなおさらです。
前に聴いた時の感動や快感を記憶しているから、もう一度あの世界へ行きたいと願う。
そんな時は再現性がとても嬉しくてありがたいものとして登場します。
長々と一回性について書いてきましたが、どうやら普遍性や反復性、再現性を求める面も人間には確かにあるようです。
かくいう私も、両方あるのが人間だと思っています。
一回性と反復性。
それが物語を生みます。
生きながら物語を紡ぐ、というよりも、生きることそのものが死ぬまで物語を生み続けるのだと思います。
時間や生きることについて考え始めると、いつもとりとめのない思考の小躍りに終始してしまいます。
verde esmeralda
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