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ジャン・チャクムル「サバフ」紙インタビュー(2) インスピレーションの源


- 自分のスタイルを説明していただけますか?(クラシック音楽の内外で) 自分が糧とした音楽家や音楽の種類には誰が、どんなものがありますか?

解釈者というのは、演奏する作品の言語やスタイルに敏感かつ協調的であらねばなりません。ステージの上で、理想的な条件の下で、音楽家は唯一の人間としてではなく、音楽が肉体を手に入れた状態としてそこにあるべきです。真のインスピレーションというのは、まさにこの露と消えてなくなる感覚ではないかと思います。私にとって最大のインスピレーションの源はおそらく、偉大なるバリトン歌手ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ です。彼以外では、アンナー・ビルスマ鈴木雅明セルジュ・チェリビダッケといった音楽家たち、E.T.A.ホフマン、ゲーテ、アドルノのような思想家たちが、私が糧としたその他の拠り所です。

- トルコにおける音楽のオーソリティたちは、あなたのことを少なくともファズル・サイほど優秀であると見ていますし、「新たなファズル・サイ」とまで呼びます。さらには、技術的には彼よりしっかりしているという人もいます。これについて、そしてファズル・サイについておっしゃることはありますか?

音楽の最も素晴らしい側面の一つは、比較をあまり受けつけないところです。私たちが演奏する作品に唯一の理想的な解釈というものはないので、どの解釈者も作品を繰り返し再現することができます。ファズル・サイは、私が啓発され、熱意と関心を持ってその音楽を追いかけている音楽家です。自分や他の多くの芸術家にとって貴重なパイオニアなのです。したがって自分に対し「2人目のファズル・サイ」であるとか「2人目の○○音楽家」になるようにというプレッシャーは全く感じたことがありません。このような音楽家たちがいるということ、彼らの芸術があることは幸いです。人間性の輝かしい面が私たちの音楽であり、芸術的創造物なのですから。

- トルコの文化やトルコの音楽に対する関心はいかがですか?これについて、クラシック音楽とブレンドすることで私たちの文化に属する何かを創り出そうというプロジェクトやアイデアはお持ちですか?

私は決して「民俗音楽は、西洋クラシック音楽の楽器で演奏するべきではない」という路線の考えを擁護する者ではありません。しかし、このような取り組みが行われる際には、すべての音符とコード体系、楽器の音色、音楽の社会文化的変遷をよほど入念に調べる必要があると主張する者です。私はジョルディ・サヴァ―ルのこの方面での活動の大いなる信奉者です。ただし一ピアニストとしては、1880年代に現在の形に達し、特定の種類の音楽用に創り出されたこの楽器で同様の取り組みができるとも考えていません。私たちに共通する歴史には、ピアノ用に書かれた、様々に異なるソースを拠り所とした数多くの創作物があります。これらの作品を録音し、繰り返し演奏することが非常に重要だと考えています。最初のCD*1 ではファズル・サイの作品「黒い大地」を収録しました。5月には特にこの土地の音楽に集中しCDのレコーディングを行う予定です。

- ピアノはあなたにとって何を意味しますか?トーン、音、それに触れること・・・生活の中でどのような見返りがありますか?

ピアノは最終的にはメカニカルな機器です。したがって楽器そのものに、それ以上に大きな情緒的意味をもたせることはありません。しかしながらピアノを介して表現力を磨く訓練が、技術的にも音楽表現としても、一日の大半を占めています。もちろんピアノを弾くことの身体的な側面もあります。ラクな演奏テクニックに行きつくために練習することも、自分にとっては楽しいプロセスです。

- トルコのなかで一番恋しいものは何ですか?

トルコの人々のコミュニケーションと感情表現に対するオープンさと、友達、家族、そしてこの薄暗い冬の日々は特に太陽の光を恋しく思い出します。


聞き手:ギョクサン・ギョクタシュ(Göksan GÖKTAŞ)
2021年2月7日付 サバフ紙日曜版


*1-「2018年第10回浜松国際ピアノコンクール第1位/ジャン・チャクムル」ベートーヴェン(リスト編曲):アデライーデ S.466 R.121
シューベルト:ピアノ・ソナタ第7番 変ホ長調 D.568
ハイドン:アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII/6
ファジル・サイ(1970-):ブラック・アース(黒い大地) Op.8
バルトーク:戸外にて Sz.81
佐々木冬彦



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