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ツインレイ?の記録28

5月18日

私は彼に初めて「インナーチャイルド問題と向き合っている」とメッセージで伝えている。

「親にすら愛されない私が他人にそこまで好かれるわけないってのが根本ベースにあります」と。

それは前日、学生の現地語家庭教師の日でうちに来た時の話からだ。
私は傷つくのが怖いから自分を守っていると言われた。
人との距離感もどこかバグってる。
そのことを彼はとっくに知っている。そして何となくそれをただのネガティブ思考と思われてるので、そうではなくもっと根深い問題なのだと言い忘れたから伝えた。

ただ、彼も言うように、自分が直接的に相手に確認しても相手が言わないからといって、その人が本音で接してないことにはならないし、直接的に聞くにしても聞き方が悪いということが彼の話からもよくわかった。

そのことに対する気づきのお礼も書いた。

「私はもっと相手の受け取り方とか考えるべきですね。昨日、そのように思いました。思いやりや配慮に欠けていたと反省しています。ごめんなさい」

これは彼に対して「私のメッセージ大部分無視しますよね」とか「嫌いなんですか」とストレートすぎたことで、彼を困らせたからだ。

このメッセージには短い返事があった。

「謝ることではないですよ。あまり悩み過ぎないようにしてくださいね。素直で率直に気持ちを伝えることができる良さは大切にしてください」

この時の私のメンタル状態はあまりよくなかった。

もう感情整理のための絵も描けないぐらいだった。

そして5月19日。
とうとう何もできなくなり、彼にそのことを伝えた。

彼に面接を手伝ってもらったのに落ちたコスタリカの大学がそのまままだ募集していた。故意に私が落とされたのか、それとも内定者が蹴ったのかはわからない。そしてもう一度挑戦するかどうか迷っていた。

「今は前ほど執着がないし、選ばれてないし、選ばれたとしてもじゃあなんであの時選ばなかったの?となりそうだし。そもそもそこまで行きたいかというと、一度諦めてるからそうでもないし、でもいつも願いは諦めたら叶う。でも諦めてるからもう積極的には動けない。動かなきゃ何も変わらないのはわかってるけど動けない。甘ったれてすみません。読み流してください」

私にとって彼こそがコスタリカだと以前にも伝えている。
彼もそれを覚えていて敢えてなのかこんな返事をくれた。

「最初は行きたいと思っていたのに、改めて考えてみるとそうでもなかったということはありますよね。まだ時間はあるのでしょうから、まだ行きたい気持ちが強いのか、それとも衝動的な感情だったのかを見極めても良いかもしれませんね。過去は過去なので、今自分がしたいことをやることが大事だと思います」

まるで彼のことを言われているかのようだ。
でも、それでいうなら、私は衝動的に彼を好きになったわけではない。
病気で弱って看病してくれたから好きになったかというと、それだけでもない。でも最初の時の完璧な王子みたいな彼が虚像のように思えてはきた。ただ、だからといって彼への信頼や尊敬は少しも変わらなくて、塩対応やそっけない態度をとられていても、その裏にある彼の困惑や不器用さ、そして隠し切れない本来の優しさを垣間見るたびに、やはりこの人が好きだと思う。

素直で率直なところを大切にと言ってくれた彼に、私は今思うことをそのまま書いた。

「今、自分がやりたいことは絵を描くことです。自分の中の古い感情を昇華するためです。私の人生目標は「愛と自立」です。でもそれを阻害してる根本原因何とかしないとどうにもならないです。私は内面の状態が外に反映すると思ってるので、まず内側整えないとダメだと思ってます。無条件の愛を人生の大きなテーマとしてますが、自分は与えるより受け取ることができてないという問題も浮上してきて、それは多くの人を悲しませていると気づきました。もしかしたら今までも他の人に言われてたけど耳に入ってなかったんでしょうね」

気づかせてくれたのは彼だ。
彼の家庭教師をしている学生が私を好きだということ、かつてこの地に留学していた日本人の子にとって私の存在が大きいということをわからせてくれたのは彼だ。

さらに私が書いたのは、彼も好きな漫画である「るろうに剣心」のキャラクターのことだ。

「ちなみにるろ剣の瀬田宗次郎わかります?私が最も共鳴するキャラで彼が剣心に感じた気持ちが私があなたに感じた気持ちです笑 生き抜くためには過去に蓋した部分もあります。でも本当の自分の人生生きるには向き合わなきゃないんですよ。きっかけをありがとうございます」

簡単に言うと、このキャラクターは、幼い頃のひどい家庭環境のせいで喜怒哀楽の「楽」以外欠落してしまったという少年で、「強ければ生き弱ければ死ぬ」という言葉を支えに生き抜いてきた。

私が共感できるのは、幼い頃、すでに母親はなく、親戚の中で居場所もなく生きてきたところ、強くならざるを得ない環境下にあったこと、本当は誰かと争ったり傷つけたりしたくないけれど、防衛のために闘わざるをえなかったところ。

彼は主人公の剣心に会った時、初めて感情が揺さぶられる。
これまでの自分の価値観が間違ってたのではないかと思い始め、感情が壊れてしまう。

私も彼に会って、「家族家族うるせーよ」と私の中のインナーチャイルドが暴れ狂った。

『あなたが正しいと言うのなら、なぜあの時僕を守ってくれなかったんです?』

宗次郎が剣心に言ったこの台詞もまさに私が彼に思ったことだ。

家族が大事で家庭が安心の場所で、良き夫で父でもある彼に、じゃあなぜあなたが私の夫か父であってくれなかったの?と思った。

彼の気持ちは私の友人が述べたようなものなのだろう。

「人として応援したいし好きだけど家族が壊れるようなリスクは避けたい、なぜなら家族が大切だから」

私も誰かにとって「壊したくない大事な家族」になりたかった。
そもそも私の家族は最初から壊れていた。

なぜ私にはこの人がいなかったのか、なぜ幼い私に寄り添ってくれるこの人にような大人の男の人に出会えなかったのか、なぜこんな人と付き合うことができなかったのか、自分はいつも選ばれない……。

宗次郎が剣心に敗れて、本当に正しかったのは向こうなんだと思ったこと、そのくせ「何が正しいかは自分でみつけるものだ」と言われてしまったことも同じ。

結局自分には与えられなかったものでも、彼のような人は存在しているわけで、認めざるを得ない。そして私は傷ついたインナーチャイルドと共に歩んでいくしかないのだ。

「内面整理して直感が働くようになれば道は自ずと見えてくると思います。今の心境を整理するために書いたので理解できなくてもお気になさらず」

そう書いたからか、私の長いメッセージに対して彼の返事はなかった。

ある夜、私は彼から父性と母性両方を感じていると思った。
そして彼が与えてくれた温かい毛布を抱きしめまた泣いた。
胸が張り裂けそうだった。

もしも彼がツインレイだというならば、私は彼が家族に向けるような愛で私が私を愛せるだろうか。

人一番愛を求めて愛されることを望んできたのに愛しても愛しても私が他人に向けるような愛は自分には返ってこない。

だけどそれこそ思い込みで、私は愛されることに実は不器用で慣れてない。

愛を与えることよりも受け取ることができていないと、気づかされている。

私にとって「無条件の愛」とは何だろう。

作家の三浦綾子さんは、親子の愛すら無条件の愛ではないと言った。

それはキリスト教的観点からだと思うが、私も昔からそう思っている。

母親の私への愛情もどきの感情は、常に条件つきだった。
子どもで庇護できる存在だけを愛する父もある意味条件つきだった。
そもそも親子という関係自体が条件つきだ。
自分の子は特別可愛いという発言だって、「自分の子だから」という条件つき。

私が求めている愛は、そういうものではないと思う。
それは「夜と霧」に書かれているように、アウシュビッツの収容所で、明日には死ぬという時に、他人にパンを分け与えられるかどうかといった究極のものだ。

私が彼をツインレイじゃないんじゃないかと思う理由の一つに「激しい嫉妬」がないことだ。家族がいる彼を羨ましいとは思いこそすれ、彼の家族に対しては特に嫉妬は抱かない。
私は彼が家族のもとに帰るために誰かの犠牲が必要なら、私はこの異国の田舎に取り残されてもかまわないとすら思っている。
彼がいなければ奥さんも子どもも今の生活を失ってしまう。

私には帰る家もなければ、待っててくれる人もいない。

私が彼に望むのは、家族より私を選んでということではない。
家族とはちがう気持ちで、義務も責任も関係なく、私を愛してほしいのだ。
順位をつけないでほしい。
同じところに咲き誇る花じゃなくていい。
片隅でいいから私の想いを咲かせてくれるような場所が彼の心にあってほしい。そして光を当ててほしい。

誰かから奪うとか傷つけるとかはしたくない。
何より子どもから親は奪えない。
社会性を重んじる彼を社会から逸脱させたいわけじゃない。

だけど私は彼を愛したいし、できれば同じように愛されたい。

究極は、愛されなくても愛せるかというところだが、実際私はどんなに彼に冷たくされても彼を嫌いになったり憎むことはできない。

だけど、ただただ悲しくなる。

やさしくしてほしいとまでは言わないから、冷たく無視されたくはない。

本当は優しい人だと知っている。
その優しい人が私には情けをかけまいとしているなら、それはそれで本人も心が苦しくなるんじゃないだろうか。

そしてまた私の極端な思考癖で、じゃあ、私が消えればいいんでしょうと思ってしまう。

この頃の私はこの歌ばかり聴いていた。


傷ついた心は傷ついた心でしか癒せない時もある。
若い時はCoccoの歌をよく聴いていたものだ。

私は自分を癒したい。

そして私が描き上げた絵がこれだ。

赤い服を着た小さな女の子は私自身。
何か明るくて綺麗な光の存在が青く光る石を与えてくれる。
そんなイメージ。

私は昔から宇宙の中の澄んだ青、青い星のような色に惹かれる。
青い石は癒しの光。
インナーチャイルドの怒りを鎮め、過去の傷をも癒してくれる。

この絵を描いたのは5月23日。
それは満月の夜だった。

私は母親の夢を見た。
見た目は若いが、年齢は53か54だという。
母親は寝ていて、私のために料理は作ってくれていないと思ったが、私が自分で好きに食べるよう下準備はしてあった。

しかしやはりよくわからない人で、コミュニケーションが難しく会話が成立しない。私はずっとイラついていた。これは現実でもかつてそうだった。

そして何か仕事に行こうとしているが時計をみたらもう間に合わない。
あきらめていたら、作業着姿の社長が部屋に入ってきて、実は向かいの部屋が仕事場だから間に合っていることがわかる。

そして大事なメッセージ。
夢の中の母が私に「双子の兄弟がいる」と告げた。

起きたら薬指が見たこともない腫れ方をしていた。
どうやら蚊に刺されたらしい。
それにしてもなぜこの指だけ?
しかも関節のところだ。

私の双子の男兄弟。
私にとっての双子の男。
それはツインレイのことではないのか。

私にはもうわからない。

でも、この絵を描いた後、確かにひとつまた何かを突き抜けた気がした。

私のインナーチャイルドは、悲しみから少しだけ癒されていた。

絵を描いたその日は、大学で学生たちの演劇発表会があった。

私は自分の教え子たちが参加するというのに、正式招待されて審査員をする外国人教師たちの席にはつけなかった。

ちょっとした手違いなのだが、以前の私ならこれで激しく気分を害していた。私のインナーチャイルドが暴れまくり「蔑ろにされた」となるのだ。

この時も、最初は座る席もなく端っこだったので、主催側の学生にインナーチャイルドが悪態をついた。

だけど、それをすぐ制したのは大人の私自身だ。

いつもならインナーチャイルドがいじけて早く帰りたがるところ、そうなりかけたものの大人の私がインナーチャイルドをなだめて納得させ、その場に残った。

残ったのは学生たちのためでもある。
審査結果が思わしくなかった学生たちを励まし、そして慰めた。

本当にほんの少しだけだが、インナーチャイルドワークの成果を感じた。








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