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ツインレイ?の記録30

5月27日
この日は朝からビジネスメールの授業で、企業勤めなどもしたこともない私にはあまり楽しくない授業。

課長と部長の指示どちらを優先するべきかの問題で、必ず上司の確認をとることが回答だったが、この時私はまちがえて部長に確認をとると教えてしまった。

彼に確認するために連絡すると、こういう答えやすいことならば本当に返事が早く、昼休みにはすぐに返事がきた。

ただ機械的に用件だけで、さすが男の人というか、前日渡した差し入れのことも、翌日の家庭教師のレッスンのことも何も書いていない。

私の返事にも返信はない。

本当に翌日来るのだろうかとこの時思った。
いつもなら「明日よろしくお願いしますね」ぐらいあるからだ。

5月28日
今日は、私の部屋で二回目の彼の現地語のレッスンだった。
この日、私は彼の家庭教師をする学生と喧嘩をしていた。

大学の健康診断で前日の夜から翌日の昼まで水を飲むなという指示に私が反発したからだ。
年齢のせいか、去年初めて熱中症になり、怖かったという理由があるし、日本では胃カメラするのでもなければ、健康診断でそんなに長時間水も飲むなというのは聞いたことがない。

「日本では水ぐらい飲んでいいもん!」

私は子どもが駄々をこねるようにそう言ったが、学生はその国のルールに従えと言う。

その学生は私と彼の性格を両方持っているところがあり、彼のように慎重なわりには、私のように感情的。

この時、私も学生も少し感情的になり、学生はその勢いで

「国に帰れ!」

と私に言った。

言葉の勢いとはいえ、私はこれに傷ついた。

私には帰る家なんてない。

私が育ち、今は父が暮らしている祖父母の家はあるが、それは私が幼い頃から居候扱いされていた家で、唯一味方と思った父でさえ、今はもう私を無視する態度で「いなくなってくれ」とか「帰ってこなくていい」と言っている。

私はずっと居場所がほしかった。
おかえりと言ってくれる家がほしかった。

私の中のインナーチャイルドはいつも居場所を求めて、あちこち旅をし、そして今はこの国に流れ着いた。

私には彼のように待っていてくれる家族も、恋しい家庭も、帰りたい家も日本にはない。

だからこそ、怒りを込めて日本語で言われた「じゃあ、国へ帰れよ!」の言葉は想像以上にきつかった。

私はとても傷ついた。
私の中のインナーチャイルドが傷ついた。

そういう時、私はいつも相手にかみついてしまう。
それが誰であっても。

傷ついた心を必死に守ろうとして、怒りをぶつけて攻撃してしまう。

その時も、授業中だというのに学生に対して

「その言葉は外国で暮らす外国人に対して絶対に言ってはいけない。その言葉だけは絶対に許さない!」

と言った。

普段は冗談のようにしか怒らない私が本気で怒ったので教室の空気は凍りついた。

本当は繊細で傷つきやすいその学生も激しく落ち込んでしまった。

ああ、私は失敗したと思った。
ここのところずっと絵を描き、インナーチャイルドワークにも取り組んできたのに、全然成果がないじゃないかとすら思った。

私は暴れ狂うインナーチャイルドをまったく制御できていない。

この日、授業後に彼の家庭教師の学生はすぐうちに来る予定だったが、私に謝罪した後、ちょっと用事があると教室を出た。

私はその学生の親友に、自分が熱中症になったので、この暑い中長時間水を飲まないのが怖いということ、私には帰る家もないし、国に帰っても居場所なんてないのだということを説明した。
だから感情的に怒ってしまったけど、みんなの前で学生を叱ってしまったことは申し訳ないと思ってるということを伝えた。

学生本人にも謝っているのだが、その学生は繊細なので気にしすぎている。
その後も親友から事情を聴いた学生は携帯にメッセージを送ってきて、ひたすら謝罪していた。

私はとっくにその学生を許していたし、私自身申し訳ないと思って謝っているのだが、私の中のインナーチャイルドはだんまりを決め込んで、私にまでそっぽを向いている。

私はインナーチャイルドを癒しきれいていないと痛感した。

レッスンは18時からを予定していた。

彼に現地語を教えるその学生は17時半には到着していたが、私に暴言を吐いてしまったとまだとても気にしていた。

学生を慰めている間に時間は18時を過ぎていた。

その夜はオムライスとこの前彼と肉屋で買った細かく砕かれた豚肉の角煮というなぞメニュー。
さらにトマトのコンソメスープを作ったけれど、少食の彼はおそらく食べきれない。
だからそもそも角煮は彼の持ち帰り用にしようと容器につめておいた。

そうこうしているうちに彼が到着。

私は勢いよくドアを開けた。

学生が来た時もこれで、学生は頭をぶつけたのに、私はまた同じことをしてしまう。

でも彼はそれも予測済みで、体を少し後ろにそらし、ぎりぎりのところでドアを交わしていた。

彼は本当に学習能力が高い。
私がいつも勢いよくドアを開けることも予測済みだ。
一度でも危ない目にあうと、絶対に避けるところがある。

私は部屋に入った彼の体の匂いをかいだ。

「お酒のにおい、とれてますね」

前回彼は仕事で飲まされ過ぎたと言って、体からお酒のにおいがとれないと言っていたからだ。

その時私はマスクをしていたし、鼻も利かないからわからないと言ったけれど、この時は少し顔をよせて、くんとにおいを嗅いでみた。

日本人は本当に無臭だなと思った。
この国の人たちは少し食べ物のにおいがきつい。

彼は私を上から下まで見た。
靴下が脱げかけてたので、私はちょっと恥ずかしくて、奥の寝室に行き、靴下を脱いだ。
この日、私はこの国の民族服っぽい華やかな服を着ていた。
彼と会うときは日本人のようにシックな服を着るようにしていたし、彼の私のイメージが白なので、白いシャツが多かったが、この日私は普段から自分が着ているピンクの華やかな民族風ブラウスに紺のロングキュロットを履いていた。

だから彼は上から下まで見たのかなと思ったけど、だからといって特に何か言うわけでもない。
現地の男子学生は「今日の服はとてもきれいでよく似合ってます」なんて言ってきたけど、彼はそういうタイプでもない。

いや、もとは私をよく褒めてくれたから、人を褒めることはできるはずだけど、今はまったく私を褒めてくれなくなっている。

彼は学生の前に座り、レッスンが始まった。
前回、私も参加していたこともあり、今回も参加した。

私は学生と向き合う彼とはL字型の位置に座ったが、彼は私を見ようとはしない。私が話している時すら、彼は私の目も見ない。

先月、彼が部下と一緒にこの部屋に来た時は、まだ私の目を見てくれた。
最初の頃のように優しい目でずっと私を見つめながら楽しそうに話すということはもうないが、それでも私たちは会話する時、ずっとお互いの目を見ていた。

前回、差し入れをした時、スーパーで会った時もまだ彼はずっとではなくても私の目はちらちらと見ながら会話をした。
そらしがちではあっても目を見てくれた。

でももうこの時は目も見ない。

私は泣きそうになった。

優しくしなくてもいいから冷たくはしないでほしい。

どんどん彼の私への態度が冷たくなる。
それは私だけがよくわかっている。

もうそのレッスンに参加する気にもなれなかった。

私はキッチンに入り、食事の準備をしながらずっと泣いていた。

彼はこの日、仕事があるから20時には戻らねばならないと言っていた。
レッスンは18時過ぎから一時間。
終わったらすぐにご飯を食べなければならないし、すぐ食べれるようにしようと思った。

だからちょうどいい。

私がレッスンに参加しなくても、むしろそのほうがいいんだろう。
彼は別に気にしない。

そうやって私が泣いていることなど彼は知らない。
自分がどれだけ変わったのかなんて、本人に自覚はないのかもしれない。
それとも、良かれと思ってしているのだろうか。
「ごめん避け」というものだろうか。

私は彼をツインレイだと思っていたから、彼の無表情さもそっけなさも返信を遅らせてくるようになったところもすべて「好き避け」かと思っていた。

「ごめん避け」と「好き避け」は似ているから見分けがつきにくいが、もう私は彼が私を好きなことなんてないだろうと思っている。

最初はちがった。
会ったばかりの頃は、毎日、朝も昼も夜も連絡がきた。
仕事が終わると一日の報告があった。
腰痛でも具合が悪くても無理してでも彼は私に会おうとしてくれた。
私を見る目は優しかった。
おしゃべりが止まらない様子で、彼はずっと一人で喋り続けた。
自分の話もよくしてくれた。
学生時代の話、仕事の話、地元の話。

出張に行くとおみやげをくれた。
私の故郷のお菓子と自分の故郷のお菓子をくれた。
その後も私に故郷のおみやげや日焼け止めをくれた。

でも私が喜べば喜ぶほど、それは別に私だけに特別にしたことではないとでもいうように、私の前で色んな人に同じおみやげを渡すようになり、自分はもともと色んな人に物を渡すのだと言ったりもされた。

実際そうなんだろうと思うけど、彼は敢えて私に「だからあなたは特別じゃありません」ということを示したいんだろうと思ったりもした。

彼からの連絡の頻度が減っても、それでも一日の終わりには必ず寝る前に返事をくれるのはうれしかった。
一日の最後にでも思い出してくれるならうれしいと思った。

だけど私が少しでもうれしいと思うと、なぜかそれを彼は感じ取るのか、返事は翌朝になってしまった。

なぜだろう。
少しでも彼への失望を希望に変えようとすると、私は奈落の底に突き落とされる。

もう疲れた。

彼はもう私に興味を示そうとはしない。
むしろ不自然なぐらいだ。

あれだけ人に気を遣う人がどうして会話をつなげようとすらしないのか。

チャットならまだそういう態度がある。

でも実際に会っているときは、私が自分の話をしても、もう彼は一切反応しようとさえしてくれないのだ。

それはそれは不自然なぐらいに。
適当に「そうなんですね」とうまく流すようなこともしない。
完全無視を決め込むか話題を変える。

この日、学生はオムライスを初めて食べるというので、記念に動画を撮っていた。オムライスにはケチャップで片仮名で学生の名前を書いた。

その学生はたくさん食べるので大きなオムライスになった。
でも少食の彼はお茶碗一杯ぐらいの小さなオムライス。
それでも多いと言われてしまった。
オムライスが小さいので苗字も名前も四文字の彼の名前を片仮名で書くスペースがない。だから名前の最初の二文字を書いた。
私も名前の最初の二文字を書いた。
彼の反応はなかった。

一番最初の頃、ぎこちなくなる前の彼は、
「おいしい」とか「優しい味」とか言ってくれた。
そう言われたことがうれしかったと私が伝えてからは、彼は一切言わなくなった。
あまのじゃくなのかもしれない。

でもこの時、私は隣で彼に聞いた。
「おいしいですか?」と。

彼は今習っている現地の言葉で「おいしい」と言ったが、私の顔も見ないし、よく聞き取れなかったので私は聞き流してしまった。

すると「なんで、無視するんですか」と彼が言ってくる。
「やっぱり発音下手なんですか」と。

私としては普通に日本語で言えばいいのにと思ったし、自分は私のことをよく無視するくせに、聞き流されると嫌なんだな、自分勝手だなと少し感じたが、「ああ、聞こえましたよ、だいじょうぶですよ」と笑って言った。

そしてごはんの時、彼が遅れた理由を説明してきた。
近くに学校があるのだが、タクシーがその道に迷い込んでしまい、迎えの車の渋滞に巻き込まれてしまったらしい。
実はその前日私もまったく同じ目にあっていた。
でも私は電動バイクだったので、なんなくそこから抜け出すことができた。

「そういう時は連絡くれれば電動バイクで迎えに行ったのに」
と私が言うと、

「いや、絶対車の方が早いし」
と彼は言う。

そして、私は話題を変えて、その日学生と喧嘩になったことを言った。

「今日、喧嘩しちゃって、それでこの子元気ないんですよ」と。

これは彼が来たばかりの時も言ったのだが、彼は理由を聞こうとはしない。いちいち他人に突っ込んだことを聞かないというのが日本人として大人の振る舞いなんだろう。

「君は傷つきやすいから、社会に出た後心配だよ」
私が学生に対してそう言うと、

「え、何、傷つきやすいの?」
と彼が学生に聞く。

相手が私じゃなければそうやって聞いてあげるのだなと私は思った。

そして私は韓国人の友だちの話をした。
彼女は前回彼にも会っている。
彼女は今日本語を勉強していて、一ケ月後彼には現地の言葉、彼女は日本語で彼と勝負をしたいと言っている。
それを伝えた。

「勝負ってのがすごいですね」
と彼が言った。

そもそもこの韓国女子はお嬢様で嫁ぎ先であるこの国でも社長の奥様だ。
今は学生をしていて大学に潜り込み、そのまま大都市の大学院で学位をとって、将来は韓国で仕事を探すと言っている。

「旦那さんが稼ぐから、自分は趣味で仕事したいそうです。韓国のマリーアントワネットです」

私がそう言うと、彼は
「趣味で稼ぐっていいですね「」
とめずらしくとげのある言い方をした。

それはそうだろうと思う。
彼は家族のため、会社のため、自分を犠牲にして働いてきているのだ。

韓国女子は、10年後は子どもには子どもの人生があるし、自分は50になって無用な老人になりたくないとよく言っている。
自分の国に帰るなら、旦那さんはどうするのかと私は聞いたが、

「10年も一緒にいればいいだろうと彼女は言ってます」

とその時彼女が言ったことを私は彼の前で言った。

となりにいる彼の表情はわからないが、彼はずっと黙っていた。

「でも、私は彼女といると癒されるんですよ。なんか彼女はツルンとしてるんです。無傷で育ったって感じ」

いつか彼女は私の手の傷を見て、「女の子が手にそんな傷があると男の人に見初めてもらえないよ」と言ったことがある。
おそらく彼女はそう言われて大事に育てられたんだろう。
気づけばできている傷に無頓着な私とちがい、確かに彼女の手は白くてプルンとしている。「おいしそうだね」と言ったこともある。なんか本当におもちみたいで子供二人もいるとは思えない手というか、家事とかもしたことがない手だ。ましてや人に傷つけられるなんてこともなかった手だ。

この話を私がすると、彼の家庭教師をしている男子学生が

「でも、僕は傷だらけのほうがかっこいいと思います」

と私をフォローするように言った。

「でもさ、傷は残るから。それに乗り越えられない苦労ならしないほうがいいんだよ。特に女の子はね。大事にされて育って、大事にしてくれるところに嫁ぐのが幸せだよ」

私はこう言った。

やっぱり彼は黙っていた。

私は彼に自分の家庭環境のことは伝えてある。
それに対して彼は何も言わないが、私は彼の二人の娘が韓国女子のように育ってくれればいいと思っている。
私のように親からも夫からも傷つけられることなく、体にも心にも傷を負うことなく、韓国女子のように人を疑うこともなく、能天気に楽観的に幸せでいてくれればと。だからこそ、女の子は特に乗り越えられない苦労ならしないほうがいいと言った。
苦労は糧にしなければ、ただ心が屈折するだけで卑屈にさせるだけのものだからだ。

私は自分自身が苦しい思いをしたこともあり、他人の苦しみや悲しみにも敏感だ。それは時につらいことでもある。
それならば韓国女子のように人の痛みにも無頓着で単純に簡単に生きてるほうがどれだけいいかとすら思う。

多くの別れがあり、裏切りがあり、それでも人に救われ、人を信じ、人を愛することもできるが、私はいまだに愛されるということがよくわからない。
愛を受け取ることに慣れていない。

多くの出会い、良き友人たち、多くの愛に恵まれてきたにも関わらず、幼少期の親への不信感や育った環境から、自分が愛されて当然の存在とは思えなくて、そのことで今も苦しんでいる。

愛されるわけがないと思っているから愛されない。
選べられるわけがないと思っているから選ばれない。

韓国女子にはそれがない。
自分に絶対的な自信があり、心に闇や曇りがない。

彼女の二人の子どもはお手伝いさんもいる家でお姑さんが面倒をみている。
だから彼女は土日だけ子どもと一緒に過ごす。

ある時お姑さんが体調不良で、一週間だけ彼女が自宅で面倒をみたことがあった。その時は試験期間で、彼女は自分がどれだけつらいかを私に語った。

「今は彼女の背景がわかったから、あの時の彼女はキャパオーバーだったとわかるんです。人によって、ここまでできる人とここまでできる人がいるんです。自分のできるレベルに応じていっぱいいっぱいになるんですよ」

私はそう言って、左右の手で高低を示した。

「……なんか彼女がツルンとしていると言ったのが今つながりました」

彼はそう言った。理系で論理的に考えようとする彼はいつも私の思いつきの会話は理解できないようだが、この時は腑に落ちたといった風だった。

三人も子どもがいて、奥さんが体調不良で、あわてて帰国して家族のために尽くした彼としては、なんとも言えない気分だったかもしれない。
でも特に何か意見することもない。

学生は、乗り越えられない試練はないというようなことを言って私をフォローしていたが、いつか乗り越えられるとしても乗り越えるまでには相当な時間がかかることもある。

私のインナーチャイルドがそれだ。

そもそも彼に出会うまで私は徹底してこの問題と向き合うことがなかった。
手紙を書いて自己問答したり、絵を描いたり、とにかくインナーチャイルドに寄り添おうと努めてきたが、感情がさらに激しく揺さぶられたり、激しく落ち込んだり、彼と関わるほど私はつらくなっていく。
私の中のインナーチャイルドが暴れ出して制御できず、ある意味子育てのようなパワーが必要で、向き合った後は無力感で起き上がれないほどに何もできなくなる。

転職のことでも悩んでいるが、根本的にこの問題を何とかしない限り、うまくいかないのはよくわかっている。

ただインナーチャイルドに注目するようになった途端、それまで気づいてもらえなかったインナーチャイルドの心が激しさを増し、人間関係も突然変化したり、孤独に陥ることが増えた。

孤独と思っているのは単に私の心の状態なだけかもしれないが、この地に戻ってきてからずっと感じている。

そんな時、私を助けたのが彼だったが、今はその彼が私を孤独に突き落とす。

「韓国人の彼女は現地の韓国語の先生たちや韓国人に助けられてるけど、私はいつも一人だと彼女に言われました。まあ、日本語の先生たちは日本語勉強しすぎて日本人みたいになってんだろうと言っておきました」

私がそう言うと、

「え、日本人が冷たいみたいな言い方じゃないんですか」

と彼に言われたが、これを私は否定しない。

そして20時15分前になり、私が話しているところをまた彼はぶった切って「そろそろ帰ります」と立ち上がった。

彼は自分が食べた食器を必ず台所まで運んで下げる。
そうやってしつけられてきたんだろう。
家でもそうしているんだろう。

言われたことは必ず守る優等生。
それが彼の印象だ。

自分で決めた時間も必ず守る。
だからあらかじめ言っていた20時前には部屋を出る。

「今日は時間ないけど、今度私が電動バイクで送りますよ」

と見送りながら言うと、

「いや、いいです」

とまた速攻で断られた。

「そんなに嫌そうな顔しなくたって……」

その顔を見てさすがに悲しくなって、私は笑うのもやめてそう言った。

いつもなら彼と一緒に外に出て、門まで彼を見送るが、この日私はそうはしなかった。

男子学生がまだごはんを食べているからというのもあったが、何より前回門まで二人きりで歩いたときみたいに、露骨に私を避ける態度をとられたくなかったからだ。

ドアが閉まり、彼が去って、私は学生にこう言った。

「あの人、私に冷たいよね」

学生は、また私が考えすぎていると言った。

でも、私だけがわかっている。
彼は私に対してだけ冷たい。
私を遮断しようとする。

もう私にはそれがつらい。

そこで私は学生に提案した。

「あのさ、次回から、彼のホテルで二人で勉強すれば? 私いないほうがいいでしょ。今日みたく仕事あるから戻るってなったらたいへんだし、そのほうが向こうにとってもいいでしょう」

でも学生はこれに反対する。

「僕は、先生がいてくれたほうが安心するし、それにあの人も先生がいないほうがいいなんて思ってないですよ。考えすぎです」

もともと彼はどっちでもいいと言っていて、学生の希望を尊重してくれている。だから学生が私の部屋での勉強を希望する限り、この状況は続くのだけど、私がもうつらい。

だけど、つらいけど会いたいという気持ちもある。

私に会うにも部屋に来るにも言い訳が必要な彼だから、このレッスンでしか正々堂々と会えない。

だけど、もうこれ以上冷たくされたくない。

翌日の朝、彼からメッセージが届く。

「昨日はありがとうございました。差し入れ助かります。容器を返し損ねたので、次回お持ちしますね」

さらに発音がんばりたいということや、月末なので授業料を払うということが書いてあった。

これに対して私は一言

「よろしくお願いします」

とだけ返事。

そしてその日のうちに彼が授業料の支払いをしたことをレッスンのグループに通知。

5月30日
別の学生が家庭教師をしている彼の部下のレッスンのために彼が会議室を予約したことをグループに通知。

彼が個人的に私に連絡をくれることはない。
私も彼に連絡しない。

そうやって、少しずつ接触も減っていくんだろう。
彼が望んだとおりに。

これで本望だろう。
私は近づきすぎたのだ。

彼にとって私は邪魔な存在でしかない。

そう思っているのがインナーチャイルドで、どうしていつも自分は愛した人には決して愛されないのだろうと嘆く。

ただ人を愛して愛されたい。

それだけを強く願って生きているのにどうしてもそれが叶わない。








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