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地域格差を無くしたい

今日のボクシングを見て熱が冷めないうちに筆を執っています。ボクシングのことは詳しく知らないけど、出場されていた選手全員がめちゃくちゃ努力されていたことくらいは容易く想像がつきます。

ドッジボールの競技レベルを上げたいことはもちろんですが、もう一つの目的があります。今日はそんなことを。

目に見える敵と目に見えない敵

スポーツで『敵』と聞けば、とてもイメージしやすく、次の試合する相手が敵です。勉強で『敵』と聞けば、なぜかイメージしにくかったりします。大学受験になれば、県外に行ったり、学部や文系・理解の違いがあるため、少しイメージはしにくいかもしれませんが、ほとんどが県内に進学する高校受験なんかは横にいる友だちも前にいる好きな女の子も敵になる可能性が高いです。
スポーツは敵と直接戦いますが、勉強は敵と直接は戦いません。スポーツにおける敵は明らかに目に見えますが、勉強における敵は明らかに見えませんし、時には味方だったりもします。

共有されない知識

勉強における知識は共有されています。「こんなことを学ぼうね。」のように国が定めていたり、教科書の存在があるのはとても大きいです。また、「この大学の問題はこういう傾向があるから〜」のようなことも平気で共有されています。
スポーツにおける知識も共有されている部分ももちろんありますが、否定的な人も多く、進んでいるとは言えない状況です。

試験を挟むとはいえ、「この大学の問題に対して、このように戦う!」という考え方を敵と共有しているのは、スポーツで戦略を明かしているのと似ている部分があります。

勉強で共有することは認められますが、スポーツで共有することは認められない。僕にとっては、とても違和感があります。

地域格差を無くしたい

僕は、いつもこのように考えています。だから、僕が指導者をやっている間は他のチームの人に質問されれば、技術的なこと、どのように教えているか、そんなこともすべて話します。試合前の相手に「うちのチームとはどう戦うの?」みたいな質問にはさすがに答えられませんが…(笑)

推薦入学がある高校や大学とは違い、小学校や中学校のような地域の子が入部してくるチームでも、毎年強いチームと弱いチームがあります。他のチームとはいえ、負けて悔しがる姿を見るのは辛いんですね。「僕には才能が無いし、向いていない。」と言って辛い表情をする他のチームの子を見るのも辛かったですし、中には「言語化さんのチームの地域に生まれたかった。」と以前所属していたチームにいた頃の僕に言ってくる子が昔いたことは今でも鮮明に覚えています。
やっぱり自分の教え子が一番かわいくて頑張ってほしいんですけど、他のチームの子たちも頑張ってほしいんです。僕が持っている知識を共有することで、他のチームの子たちも少しでも良い表情をするようになればいいな、という思いでした。少しは可能性が上がりますよね。

綺麗事かもしれませんが、すべての子どもたちが自信を持って、笑顔でプレーする姿を見れる日が来れるように、これからも言語化を頑張りたいと思います。

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