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ほんとうの強さとは


実は最近、自分の弱さを目の当たりにして押しつぶされそうになっていたことがあった。
わたしは今までせまい世界の中で、自分のヌードの表現や伝えたいことの発信などをしていた。ヌードのセルフポートレートを撮ってインスタに上げ始めたのは3年前くらいだったけど、そのときは身内というか友達のみの少ないフォロワーの中でだったけど、徐々に自分のやりたいことを表現していった。
もともと人付き合いが苦手だったのではじめはひとりでヒソヒソとやっていたのだけど、ありがたいことに、わたしのことを見つけてくれる方、見てくれる方も増えて徐々に活動が広がりつつある。
自分の存在を世の中にもっと広めていきたいという願望、わたしの存在が世の中に広まったら世界がもっとよくなる!とかいうばかみたいに壮大な根拠ない自信があるにもかかわらず、その前に立ちはだかるのは得体のしれない
「どうしよう」
という恐れである。
まだなにもしていないくせに、最近わたしは責任感につぶされそうになっていた。
わたしの今までやってきたこと、人に受け入れられなかったらどうしよう。
言ってることまちがってたらどうしよう。
受け入れられなくても、わたしの好きな表現してやるぜ!っていうのがモットーじゃなかったのか?
それが、人の目に触れる幅が大きくなってくればくるほど、ぜんぜんこわいじゃないか。
なにか言おうとしてもすぐに自分の心の中でつっこみが起きて発言をやめてしまったり、
なにか身体中に鉛がついているようにわたしは動けなくなっていた。
強い自分でいたかったし、わたしが人に与える印象も強い女の感じなのかもしれない。
けど、自分の中をじっくり見れば見るほど、わたしに強さなんて1ミリも存在してないじゃないか。

昔から、自分が感じていることをそのまま受容することが苦手だった。苦手というか、「こうでなきゃいけない」という自分のルールも親から学んだルールも強すぎて、ほぼぜんぶ自分の気持ちを無視してきた。
この"受容"というのが、わたしの人生の中でいちばんの学びであり、困難なことだったかもしれない。こわいという気持ち、悲しいという気持ち、うれしいという気持ち、楽しいという気持ち。すべての気持ちを"感じきる"のがなにか恥ずかしくって、感じるのに蓋をしてきたことが多かったように思う。今じゃオーガズムの素晴らしさを説いているわたしだけど、もともとは感じるのが苦手だったサイドだ。

2.3日メソメソしまくっていたら(2.3日で終わるのがわたしのいいところ笑)
いつのまにかあきらめがついていた。
昔読んだ岡本太郎の本に、弱いなら弱いまま進め、みたいなそんなことが書いてあったのを思い出した。
強いのもかっこいいのも全部あきらめよう。
わたしには無理だ。とってつけたものなんて、剥がれてしまうのが目に見えるじゃないか。
びびりながら進んでいけばいっかぁと素直にお手上げしようと思った。

びびっているし小心者だけど、おもしろいと思っていることはあきらめたくないし、見たい景色もある。
自分のダメなところや弱いところを受け入れ、許すことのできるひとが、人にやさしくできるのかもしれない。それがつよいってことなのかもしれない、と強いのイメージが自分の中で変わった日でもあった。
相変わらず何が言いたいのかまとまらずに終わるけど、強くなくっても大丈夫、ということでした。一生かけて、やさしくてつよいひとになりたいな。

venus舞Instagram

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