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【その悲しみは何処へ】シャーデンフロイデと切なさとバラッド

友人に曲を書くように頼まれて書いてみたところ、これでもかというくらい悲しい曲に仕上がってしまいましたYoshikiです。
(しかも泣かれてしまいました…)

序盤は明るい曲調にどこか無機質なメロディ、そこに声の命が宿ったとき、何かをひた隠しているかのようになり、次の展開で悲しみを曝け出す。
堪えるのが耐えられなくねってサビに向かって行き、本音を叫ぶように歌う。
「わからない、もう何もわからないんだよ。」
答えられることのない問いかけにだとわかっているのに、返事を待ってしまう

……みたいな感じの曲でして(´・ω・`)

だけど個人的にはかなり気に入っている曲なんです。


なぜ人は悲しい曲に惹かれるのか

今回の曲に限らず、私は明るい曲より悲しい曲や怒りの曲など陰陽でいうところの陰の曲の方が好みでして。
明るい曲にも必ず何処かで逆の要素を付加しがちなんです。
(もちろん、悲しい曲に希望を持たせることもあります。暗いだけの曲は正直さすがに疲れます笑)

しかし、考えてみれば全くおかしなことだと思うんです。

生き物は元来、痛みや悲しみを忌避するはずであり、
「それを自ら取り入れて、気に入りさえする」なんていうのは正気の沙汰とは思えません。

「故に私はホラーが嫌いだ!」なんていう話をしてもいいのですが、
今日は「悲しい曲に対しての好感」について思いつく限りに要因を挙げていこうと思います!

まず「悲しみ」の定義をはっきりさせて、悲しみが好まれる理由についていくつかの仮説から検証して行きますね。

(ちなみに私は幽霊などの類はまるで信じていない、作り物の方がよっぽど怖い!
ホラー映画やホラーゲームには色々な副産物的効果があるのでその業界自体はものすごく興味あるし、尊敬しています)


⒈ 悲しいとはなんだ??

調べると、
「心が痛んで泣けてくるような気持ちである。嘆いても嘆ききれぬ気持ちだ。」
と出てきたのだけど、

これだけだと「辛い」との違いが分からないですよね。

思うに、正確な意味での悲しいとは、
「何にも変えがたいものを失って、二度と戻らないことに対して感じる辛さ」
なのではないかと思います。

これなら他の言葉で簡単に言い換えられないし、「失って戻らない喪失感」、「帰ってこない辛さ」これらが”悲しみ”なのなら感覚的にも納得がいきます。


⒉ 悲しみ自体が喜びに転化する「シャーデンフロイデ」

まず一つ目の仮説が、人の悲しみが喜びに変化するという説です。
好感を得るというのは悲しみとはむしろ反対方向の感情、いわゆる「喜び」がなければ起こりえません。

「喜び」というのは、生きるためのあらゆる行動を促進するために脳に組み込まれたシステムです。
食事、睡眠、性欲の3大欲求すらも喜びがなければ面倒くさくなってしまい、しなくなるでしょう。
つまり、成長するため、行動するため、体を守るため、子供を作るためには喜びが不可欠です。

その一つがシャーデンフロイデ(自分が手を下すことなく、他人の不幸に見舞われたときに、それを喜ぶ感情)です。
「メシウマ」なんて表現をすると聞こえが悪いですが
この感情自体悪いものではなく、社会の当地には非常に重要な感情であり、そもそも無意識化で起こる感情の現象なので仕方のないものです。

では、悲しい曲を好むのはこの感情のせいでしょうか?
おそらく一因にはなりうると思いますが、正直決定打になりうるかといえば微妙です。
この感情は自分と不幸に陥る人との関係性によって強度が異なるためです。
というのは、あくまで「他人」の不幸でないといけない、ということです。

なによりシャーデンフロイデが原因の全てだとすれば、自分を重ねて聴くなんてことはできません。自傷行為ですらあり、マゾヒストでもなければできないでしょう。
それこそ”意図的に”悲しもうとしているのか?と言う話になってしまいます。


⒊ 共感による好感

もう一つ立てた仮説が、「悲しみを悲しみのままに好感を得る」という考えです。

悲しみという感情自体は負の印象がありますが、
呼吸、涙など、体や心に及ぼす各種の影響はストレスを発散するためのものですから、
悲しい曲を聴く前には起きていなかったそれらの抗ストレス的な反射が促され、結果的に聴く前よりストレス値が下がることが期待できます。

実際に、人が悲しい曲を聞くことで気持ちが落ち着くなど、ポジティブな感情を生み出すという論文も出ています。
悲しい曲を聴いた人は、悲しい出来事が自分の身に起こっていないのはわかりながら、アーティストの悲しみに共感できるので、より感情移入できるのだそうです。

心理学的にも、「人が悲しんでいるとき、励ましの言葉は逆効果で、それ以上に必要なのは共感である」という考え方があります。(必要なのは同意より共感)
芸術家にHSP(人一倍敏感な人)やその一つであるエンパス(共感力が非常に高い人、サイコパスの逆のようなもの)が多いのは、この共感という面が非常に優れている人が多いからだと考えるのが妥当かと思います。


⒋ 切なさと日本の心

この仮説では「文化圏によっての差異」が出てくるのではと考察しています。
つまり、「国によって悲しい曲が好まれる理由が違うのではないか?」という事です。

日本人は、ワビサビという美意識を持っていますから、切ないもの、儚いものに強く惹かれるのではないでしょうか?
古くから親しまれたワビサビへの愛着が今も残る悲しみや切なさへの根底なのではと思うのです。

消えかける瞬間の美しさ、希少な輝き、そういう質素ながら微細、繊細な表現が好まれるのは日本ならではなのではと思うのです。

例えば、ベビーメタルが文化的に根付いている北欧でも暗い曲が好まれていますが、また違ったニュアンスの暗さ、違った意図を持っての暗さなのではないかと感じます。

⒌ エネルギーの大きさ

今回の記事ではこれが最後の仮説になりますが、
「単純にエネルギーの大きさゆえなのでは?」という仮説です。
ネガティヴな感情というのはポジティブな感情の7倍伝わりやすいと言います。

伝わる感情の大きさが明るい曲より大きいからゆえに、強く届け手の心を感じ、孤独を拭い去ることができるのかもしれません。


まとめ、られない。(笑)

まだまだ色々思いつくんですが今日はここまで。
バラードが好きなんですが、変に明るいのよりもメロも圧倒的にいいんですよね。

悲しみとは、実はとても美しいものなのだ思うんです。

人の命の儚さのようで、それこそワビサビってやつですが(笑)

その悲しみはきっと、いつか悲しみ以外の感情や形に変わるのだと思うと、それも素敵な話だと思います。

ありがとうございました。

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