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【歳を取ると一年が短くなる?】人生の体感速度について考えてみた。

⚠️ボイトレの話全く出てきません!⚠️

えええって思った方もいるでしょう!!僕もです!!(笑)

今回は一年の活動を振り返る前に「時間」というものについて書き出してみようかなと…。

意識高い系のような風で語ろうとは思っていないのですが
もしかすると面白い話ができるかもしれないので、ひとまず時計を確認してみて、時間が許すようでしたらしばらくお付き合いください…。


「時間の感じ方は変わるのか」って話。

「歳をとるほど一年が短く感じるようになる」
なんてよく言いますが、今年は僕にとってはものすごい長い一年だったのです。

それこそ、前回の投稿から3ヶ月経っているのはずなのですが、体感では例年でいう半年程です。仕事でもプライベートでも劇的変化があり過ぎて、速くなったり遅くなったりがありました。

本当に時間は短くなるのか?どうして体感時間が変わるのか?


「考察して記事にしたら面白そうだな」と思い、Macを立ち上げ、時計を確認し、「親知らずの抜歯」の為に歯医者に行くまでのほんの数分間で冒頭を書き出してみた次第です。


人生の長さを測る、とある計算の話。

さて、抜歯がすぐに終わったので続きを書き出していくとします。

これは僕の中学生の頃の話なのですが、時間と人生についてある計算を書き出していました。
※1歳にとっての1年は人生の1分の1、2歳にとっては人生の2分の1、3歳にとっては人生の3分の1…という具合で計算して行った時、
「今の年齢の自分にとっての一年」はこれまで感じた「それぞれの一年の感覚の総量」から見てどれほどのものなのだろうという計算です。※

少しわかりづらいと思うので考え方を図にしてみました。

下から満1才の時点、満2歳の時点と時間を積み上げていく感じです。
一年の体感的な長さは年齢の逆数に比例します(年齢に反比例しているとも言えますね)。

その合計が人生全体の体感時間の総量です。この図では10歳までの一年ごとのサイズ感をおおよその縮尺で表し、積み重ねています。

要するに、この図を延々と続けて行った時、
「ある年齢の時の自分の一年の感覚」は、「積み上げた人生全体」からみてどれほどの割合なのか?という計算をしていたのです。
(算数が嫌いな方はもうギブアップしているかな…?笑)

当時は積分なんてものを知らなかったのでちまちまと表を書き出してみたのです…

その再現がこちら。

1歳の時の一年を365とした時の72歳までの体感時間を表にして、それを8年毎にそれぞれ足し合わせた数値をグラフ化してみました。

左の青が1〜8さいです、はい。
見間違えじゃありませんよ、それで人生全体の半分を超えているんです。
(なんて恐ろしいグラフ…)


ジャネーの法則(主観的な時間経過をY=1/nで表す)


当時とはやり方が違ったかもしれませんが、人生の折り返しが7歳だっていうのは自分で見つけた覚えがあります。
数年後、この法則にジャネーの法則という名前があったことを知るのですが、
当時の自分は、自分が最初に発見したと思い込み「俺はやはり天才か…?」なんて考えていたようないなかったような(笑)

先ほど改めてネットで検索すると「折り返しは17歳」なんて書いてあったので「何言ってんだ?」と思ったのですが、それはどうやら自我の芽生える前(あるいは記憶の残っていないとされる?)4歳以前を数えずに5歳以降から計算した場合の数値だそう。 

強引な気がする…僕は2〜3歳の頃の記憶うっすらありますもんね…

ちょっと雑感ありますが、「1〜4歳の部分だけ切り取った図」と、「切り取らずに1〜4と5〜8を区分けした図」の二つも作って並べてスクショ撮ってみました。

う〜ん、僕はもう26歳なのでどのみち人生半分終わっているようです…w


この法則に対する反論

まぁこれだけ見るともはやホラーですが、これは考え方の一つにすぎませんし、体感時間がそう感じるというのは半分嘘です。

明確に定義づけられているそれらと体感とでは、「長さ」に大きな差異があるというのは間違いありませんが、この見方だとあまりに遠くから俯瞰し過ぎています。

というのは、これはあくまで
「人生全体と現在を比較対照して、時間を相対的な見方で書き表した場合の話」に過ぎないということです。
常に人生全体と比較して現在を生きる人間なんていませんでしょうし、人間には「忘却」という機能がありますものね。
この法則が絶対とは言い切れませんってことです。


考え方や見方の話とは別で、機能的な面での体感時間についても考えてみるとします。
「実際に発生しているかもしれない感覚の差異の話」ですね。

ゾウの時間、ネズミの時間。


わかりやすくするために一度人間以外の生き物の時間についての話をしましょう。
大きな動物と小さな動物では時間の感じ方が違うかもしれないという話があります。(時間は体重の1/4乗に比例すると言う話)

まず哺乳類では生涯の心拍数がほとんど同じということがわかっているのですよね。
(トータルおおよそ20億回ほどでしたか…)

一定時間中の心拍数も体の成長も呼吸周期も、体が小さければ小さいほど早くなるし、体が大きくなればなるほど遅くなっていきます。
ハツカネズミは1分間に600回心臓が鼓動しますが、寿命は2〜3年、
対してゾウは1分間に30回しか心拍がありませんが、ちょうどその20~30倍に当たる80〜90年、長ければ100年も生きてしまうのです。


スローモーションの世界に住んでいるかもしれない動物の話


生き物によっては脳機能の差異によって世界がスローモーションに見えているかもしれないとも言います。
虫などは人からすればまるで加速装置を使ったかのように世界が見えているでしょうし、犬ですら人間に比べて30パーセントほどゆっくり時間が過ぎていると言われています。
さながら「マトリックス」のワンシーンの世界ですね。

このことについては同じ動物ですら個体差があると言いますから、同様に人間であってもそれぞれにそれぞれの(身体や脳の)機能的な意味合いでの時間の差というのはないと言い切れません。

さらには同じ個体でも調子によって体感時間は変わります。
例えば、人間でも調子の悪い日に聞く音楽がいつもより速く聴こえることなんかがあります。
加齢によって聴覚や視覚に変化が起きるように体感時間も移り変わっていくのかもしれません。
脳の処理速度の低下によって世界が加速しているように感じる可能性なども考えられます。

生きるほどに速度は速くなっているのか、一年は短くなっているのか

脱線が過ぎてしまったので、人間それぞれにとっての時間感覚は短く早くなって行くのか?という話に戻しましょう。
前項で個体差があるかもしれないなんて言ってしまっていますが、機能的な面での差はあったとしても証明しようがないので置いておきます(笑)

改めて僕の話なのですが、僕にとってのこの一年はかなり長かったと思います。
その前の一年より確実に長かったでしょう。

この長さの違いというのは、現実世界で起きている長さの違いではなく、
「いかに記憶に残る出来事が多かったか」ということなのだと思います。

コロナの影響で失業し、多くの時間を自宅で過ごした去年。
あの頃はちまちまと勉強をしていたり、やりたくないバイトを心を殺しながらやっていたりした時間が長かったです。
活動らしい活動はほんの少ししかできませんでしたし、疎遠になってしまった友人が何人もいました。

対して今年は年始から様々な動きをしましたし、多くの人との出会いや別れもあり、ライブもあったし、バイトなども増やしましたし、何よりトレーナー業を本格化させたことによって生活の軸やら悩み事考え事の対象までがそれまでと一変してしまいました。

「生きていると新しい体験が年々減っていくために慣れてしまい体感時間が変わっていく」というのはよく言われていますが、これも裏を返せば、
「新しい体験を増やすことによって体感時間のコントロールができる」
ということなのかもしれません。

あるいは僕のこの一年のように「結果的に長かった」という視点に限らず、
「運動量や仕事量によって体感する時間は変化する」という視点もあります。

運動量(変化量)と時間

「停滞していて変化しない状態のことを止まっている、あるいは速度の鈍いこと」を「時間がゆっくり過ぎている」というのに対して、
「素早く移り変わって変化していく、速度の鋭いこと」を「時間が早く過ぎている」というのではないか、という考え方があります。

いい動画を見つけたのでこれを例にしてみましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=fO6AZA4gaF0&t=1

シンプルなドリブルの動作ですが、おそらく二つの動画の体感時間では違いを感じると思います。

僕の一年になぞらえていうと予定の数や行動の量、思考の量というのが一年をより長いものとしている可能性があります。
「何をどれだけしたか、そのエネルギーの総量が体感時間なのかもしれない」ということです。

この考え方からすると、
年々一年が短くなるというのは、加齢によって行動量が減った結果、停滞している時間が増えて時間が早く過ぎているのかもしれません。
これは「新しい経験が少ないから」というのと似て非なる別の解釈なんじゃないかなと思います。
どういうことかというと「(新しいかどうかにかかわらず、)行動そのものが少ない」可能性があるということになるのです。

さらに言えば、
同じだけの行動量でも「行動を観測、認識できていないせいで体感時間を狂わせている」可能性もあります
経験するほどに慣れてしまって、行動をしても認知が薄くなってしまっているのかもしれません。
これが「新しい経験が減ってしまうことで時間が短くなってしまう現象」の本質的な問題なのかもしれません。

空間的な時間と純粋な本来の時間

最後まとめる前にちょっと哲学の話をしましょう。

時間には2種類あるという話です。

「空間的な時間(経過していった確定している事実、過去)」

「純粋な本来の時間(動的で未確定な現象、現在〜未来)」の二つです。

ここまで話した時間というのはその空間的に残って行った時間に対しての速さの話と純粋な時間での話が両方混ざっていたのですが、

結局のところ、観測した結果に区切りをつけて測っているに過ぎないのですから、空間的な時間(過去)の大きさなんていうものは区切りの数、単位によっていくらでも捉え方が変わってしまいますし、
純粋な時間に関しても、それは直感として感じるものに過ぎませんから何かと比較するのはすごく難しいのです…。

う〜ん、散々考えて巡り巡って観測者次第というオチになりそう…w


まとめ

こんな話は絶対求められていないとわかっていたのですが4500字ほどを書き切ってしまった…


まとめると、
「ゆっくりと過ぎる時間(濃く、内容の充実した人生)」というのは純粋な行動量とその観測、その記憶によって得られるのかもしれません。って話でした。

ひゃ〜なげえ…ていうか。


誰が読むんだこの記事!!!!!!

続けて今年の活動報告を書いていきます!!!
間に合えば今日!!遅くとも明日!!!

やっちまった〜〜

読んでくださった方、ありがとうございました😭

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