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ミゼット

おそらく2、3歳の頃だと思うが、ミゼットの荷台に乗っている写真が実家には残っていた。父は若い頃は車を運転していたようだったが、僕が物心ついた頃には家には自転車とカブがあるだけだった。そしてカブの後ろに乗せてもらっていた時のことをかすかに覚えている。それからず〜っと自家用車がない暮らしだった。倹約家の父は「車を持つのはドラ息子一人養うのと一緒だ。」と言って自家用車は持たなかった。僕が免許をとって初めて我が家に自家用車がやってきた。この時、手に入れたのは大学の友人に譲ってもらったホンダのN360。最終型であった。その後、車やバイクにそこそこ入れ込んで、乗り継いだ車やバイクはほとんど新車が無く絶版車の方が多かったのではないか。DOHCの117クーペやNやZのパーツを探して解体屋を巡ったり、ただ、その当時も既にミゼットやスバル360といった車たちはほとんど見ることもなく、マニアのコレクションアイテムとなってほとんど手を出せるものではなくなっていた。

80年代90年代と心動かされる車やバイクは多く登場しては、どんどん新しくなっていった。自分が歳をとったせいか、最近では心動かされる車はほとんどない。どうしても、古い時代のクルマたち、創世記、黎明期の頃の日本車にあった、開発者やデザイナーの熱いものが今はあまり感じられない。それは、色んなものが成熟して、ものづくりの混沌とした熱い想いが、すっかりスマートに整理されて製品になっているからなのかなと持ったりする。もちろん、そういったものは性能・機能的に、デザイン的に優れているので何ら不満はないのだが、強いて言えばそれほど便利でなくてもいいものも多いのではないか。人が一手間かけて道具を扱わなくてはならないそんな部分をもう少し残しておいてくれてもいいのではないか。そんなこと、ふと思いながら、やっぱり人は一番感受性の鋭い時期に見たり聴いたりしたものにずっと支配され続けるんではないかと思うのであった。

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