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【読書感想】「ルイジ・ルキーニ回顧録」



知ってるようで知らない彼

 ミュージカルファンとしてこのタイトルはスルー出来ませんでした。皆様よくご存じのオーストリア皇后エリザベートの暗殺犯、ルイジ・ルキーニの伝記ではなく本人の手記を含む回顧録です。表紙に燦然と輝く「ルイジ・ルキーニ著」の文字がとてもお強い。まず、あいつ回顧録とか書くキャラだったの!? というところから衝撃ではないでしょうか。
 お前がルキーニの何を知っているんだと言われれば本当にその通りなのですが、「オルレアン公を殺すつもりだったけど来なかったのでシシィにした」というエピソード、無政府主義者のテロリスト/暗殺者というプロフィールから、何となく衝動的・暴力的な人物像を思い描いていたことに気付かされました。ミュージカル「エリザベート」のルキーニの台詞・歌詞を冷静に思い返すと、皮肉や諧謔に満ちて粗暴さとは無縁ではあるのですけれどね。プロダクションや役者さんにもよるのですが、こう……狂気に満ちた役作りが多い気がするので、ルキーニのイメージに影響を及ぼしていると思います。
 ともあれ、この時代のこと、シシィ自身のことは当然のように色々な本を読んだり調べたりしてきたわけですが、そういえばルキーニについてしっかり調べたことはなかったな、と思ったのでとてもワクワクしながら読み始めました。
 ちなみにですが、冒頭の解説文にて、特に解説なく「シシィ」という愛称が出て来たのですが「この本を読むからにはエリザベート=シシィは常識だよな?」という圧倒的信頼を感じてちょっと面白かったです。

内容・構成

 268ページ中、ルキーニが実際に書いた手記は100ページ少々、十四歳までの自伝的内容です。残りはその後の人生の概観と、エリザベート暗殺事件当日の動きおよび逮捕後の尋問の経緯、死を遂げるまでの獄中生活についての解説になります。ルキーニ本人の筆致についての感想は後段に譲るとして、解説部分でも知らなかったこと・面白い(というと語弊がありますが)情報が沢山ありました。

 例えば、尋問では再三、犯行の背後関係や共犯の有無が問われているところ。ミュージカルの冒頭「黒幕は誰だ!?(Nennen Sie endlich die Hintergründe!)」を思い出して笑みがこぼれるのです。そのまんまだ~本当に言ってたんだ~(*´艸`*) (普通に考えて、オーストリア皇后の暗殺が単独犯だとは思わないし、イタリア人がスイスでオーストリア皇后を暗殺したので国際的大事件だし、無政府主義者の国際テロ組織があるとしたら看過するわけにはいかないのですね……)

 時代柄なのかもしれませんが、尋問に当たった判事の言い回しがやけに小洒落ているのも面白かったです。何というか、全然事務的な感じじゃないんですね……?
「おまえがそのすばらしい話をもっと早く教えてくれなかったことに私は唖然とするしかない」(凶器のやすりの入手経路について尋問三日目に分かった時)
「おまえは多くのことを簡単に忘れてしまうようだが、未来の犠牲者の顔は記憶に焼き付いたようだな」(ルキーニがブダペストでシシィを見かけたことがあった、という証言に対して)(なお、このコメントに対するルキーニの答えは「はい」)
 この時代の知識階級・上流階級の言葉遣いはこういう感じなのか、いっぽうで応じるルキーニも中々に皮肉っぽかったり持って回った言い回しだったりするので(背伸びや虚勢もあるのかな)、現代の人間が思い浮かべる裁判や取り調べとは空気感が違うということなのかもしれません。

 一番驚いたのは、ルキーニは終身刑の判決を受けた後、十一年に渡って獄中生活を送っていたことですね……。だってミュージカルだと「獄中で自殺を図る」としか言ってなかったし……てっきり判決を受けてすぐに、だったのかと……。本書の「回顧録」部分は獄中生活の中で認められたものとのこと、また、獄中でのルキーニは熱心に読書に耽ったとのこと、これらもまた彼のイメージを覆す新鮮な情報でした。ルキーニが読んだ本の中にはどうやら「レ・ミゼラブル」もあったとのこと、ミュファン的には面白すぎる符合でした。
 さらには、あまり詳しく書くと「ネタバレ」になってしまうので伏せますが、ルキーニの死の状況も色々と考えさせられました。当然のことながら、トート閣下に召されたわけではなかったんですね……。

von Schönheit und von Scheiße

 小見出しはルキーニが「エリザベート」二幕冒頭で歌うKitschのドイツ語版の一節です。「人は都合の良いものしか見ようとしない、綺麗なモノと汚いモノ、夢と現実、その中で時を越えて残るのは安っぽい紛い物だけ」という大意です。
 劇中ではエリザベートの生涯や彼女の真実について述べているわけですが、本書を読み終えてルキーニ自身の生涯を知った今、これから劇場でどんな気持ちでこのナンバーを聞けば良いものか悩んでいる私がいます。何しろ、彼が手記を書いたのは、自分の人生や犯行の動機を世に知らしめたい、だったようなので……どうすんだよただでさえ皮肉に満ちた詞なのにエグみが増したよ……。

 今ではあり得ないことですが、「犯罪者は生得的にそのような性質を持っている」という説が信じられていた時代がありました。ルキーニの犯行についてもその文脈で説明する論者がいたとのこと、手記はそれへの反論として書かれたものだ──と、ルキーニは主張しています。「俺が罪を犯したのは社会や環境のせいだ」という主張は、ともすると自己弁護にも見えるのですが、その側面を割り引いても説得力のある、読ませる文章でした。本書中では太字で表現されているのですが、斜体や太字での強調の使い方が皮肉っぽく、逆説的のニュアンスを含んだ表現が多用されていて、この辺りでも彼のイメージが覆りました。全然粗暴でも狂気に満ちてもいない、理性的な皮肉家が見えましたね……。
 私生児の孤児で、実親の愛を知らずに育ったこと。孤児院から支給される養育費目当てで孤児を労働力として引き取る家庭があるということ。しかるべき衣食住や教育が与えられず労働を強いられる環境。その状態を看過する行政──などの描写を読むうちに、Kitschの別の歌詞が頭に浮かんできました。「真実は与えられるが、誰も欲しがらない。うんざりするだけだからな」ルキーニは、手記を「恵まれた人」「(彼視点で)不当に富を占有する人」に宛てた……のだと思うのですが、彼らの反応を予言したような台詞ではないでしょうか。エリザベートの初演の段階では本書の原本は未出版だったのですが、エリザベートの脚本家のクンツェさんはどこまで調べて書かれたのか、とても気になります。

 ルキーニの思想が、ジャン・ヴァルジャンと一部通じるところがあるように思えるのもとても興味深かったです。レミゼの原典を読んだのがだいぶ前かつ途中で挫折しているので(ワーテルローの戦い長過ぎい!)恐縮なのですが、ヴァルジャンの述懐で「パンを盗んだことは罪であり、働いたり物乞いをしたりするなどほかに正規の手段もあった。が、それはそれとして自分に課せられた罰は過大である」という箇所があったはずです。

 自身が罪を犯したことは認めつつ、社会の不当さ理不尽さをそれとは切り分けて評価しようとしたスタンスが非常に理性的だなあと印象に残っていたのですが、奇しくもルキーニも同様の思索を辿っているように思いました。
 「人生の収支を考えた時に、自分は最初から大きな負債を負わされていた。皇后暗殺という罪を『借方』に計上することでようやく釣り合いが取れた(要約)」というくだりは、なぜルキーニが凶行に至ったのか、その根底にある不公平感をよく表しているように思います。アプローチは真逆なのですが、ヴァルジャンもルキーニも社会の不公平・不公正に対して何かを為さなければならないと考えたのでは、と。両者とも、獄中で思索を重ねたという点も共通していますね。
 ルキーニの犯行については、「シシィは貴族制度や社会を嫌い、病人や貧しい人に心を寄せた人だったのに」とターゲットが的外れだったという指摘もよく目にするのですが、手記によると「恵まれた人」の慈善活動に対してものすごく懐疑的な態度が見えたので(既得権益を持っている層は社会構造を解体してまで手を差し伸べることはしない、という非難だと読み取りました)、上記の指摘は適切なのかな……ともちらりと思いながら読んでいたのですが、その点についても最後で再度印象が覆りました。詳しくは読んで確かめよう!

 長くなりましたが、ミュージカル好きには堪らない一冊だったので語ってみました。「エリザベート」の印象ががらりと変わるかもしれないルキーニの「真実」、お勧めです!

※バナー画像はぱくたそよりお借りしました。https://www.pakutaso.com/


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