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世界農業遺産「阿蘇の草原の維持と持続的農業」



農家が作った1000年の風景 

阿蘇の草原は自然にできた風景ではなく、何百年、いや文献に残っているだけで千年以上かけて
人々の手により創り上げられた風景である。
そのことが、世界農業遺産を取材している私にとって、もっとも心動かされる事実である。つまり農家が風景を作り上げたということが。


日本農業新聞に連載中、世界農業遺産リポート8月7日掲載

日本農業新聞に4月から連載中の「世界農業遺産」の特集。
◎未来に続く農の道~小谷あゆみの世界農業遺産リポートで
熊本「阿蘇の草原の維持と持続的農業」を訪ねました。
新聞コラム掲載8/7の後、大幅にずいーーーっと加筆・修正し、ここに掲載します。

 世界最大級のカルデラの上に広がる草千里、どこまでも続く草原は、
放牧・野焼き・採草という人と自然との共生が千年以上繰り返され、
育まれた風景で、約5000頭のあか牛が放牧されています。
 

草地を管理する組合が年々減少し…


2万haに及ぶ草地は、現在156ある牧野組合(集落ごとの共同組合)が管理していますが、このうち放牧しているのは104組合。
畜産農家が減少するのに伴って、放牧する牧野も3分2に減っています。
草地維持には野焼きボランティアが99年から始まり、市民も支え手として参加。今ではその数、年間延べ2400人に。
とはいえ、草地の管理は牧野組合あってのこと。
このままでは、千年続いた阿蘇の草原が危ない!
大至急、あか牛の味を取材しなくては!
というわけで、
あか牛名人のいる産山村へ向かいました。

「牛は草でつくる」!産山村の上田尻牧野組合

阿蘇の外輪山と九重連山に挟まれた高原地帯。
産山村の「上田尻牧野組合」では、約300ヘクタールの牧野を11戸の農家が共同で管理しています。
いわゆるコモンズ(共有地・みんなの共有資本)ということですが、この仕組みが草原を支えて来たといっても過言ではありません。

阿蘇の放牧の多くは、「夏山冬里」方式と言われ、
草の豊富な夏には山へ放牧し、草が生えない冬の間は牛を里へ下ろし、牛舎で飼う方式が一般的です。

繁殖のあか牛親子、黒毛、ジャージー、放牧肥育も。井雅信さんの放牧地(産山村)

そうした中、今回訪ねた井雅信さん(58歳)の牧場では、一年中放牧する「周年放牧」にこだわっています。
飼っているのは、繁殖のあか牛15頭と黒毛15頭、子牛13頭、肥育は30頭。
阿蘇の伝統を受け継ぐのは「あか牛」ですが、
経営の安定を考えて、高い価値のつく黒毛和牛も飼うようにしたそうです。

牛が年中、自由に山と牛舎を行き来できるよう、牧野とは別に自前の草地を開拓し、麓に繁殖牛舎を立てました。
冬の間は、夏のうちに採草して貯えておいたエサを牛舎で与えますが、食べ終えた牛たちは…、
「やっぱり山へ戻るんですよね。野性の感覚なんじゃないですかね。」と、雅信さん。

「あか牛は草でつくる」がモットー 井雅信さん(58歳)の放牧地にて(産山村)

牧草だけではなく「野草」が重要


 山の斜面に広がるのは、牧草ではなく「野草地」。
毎年、春先に野焼きをするため、新芽が出て、多様な植生を保ちます。
何十種類もの野草を食べることで、母牛の健康状態が良くなり、ほど良い硬さのうんこになり、繁殖成績も向上(人工授精が上手くいく)するそうです。
「改良した牧草は、栄養はあるけどうんこがやわらかくなり過ぎてしまう。」

牛の下痢は、胃腸や消化器官に不具合が生じているサインです。
うんこの固さは健康のバロメーター。

うんこは牛の健康のバロメーター。ざっと見渡しただけでも野草は十数種類。


よって、栄養価の高い牧草は、栄養面ではありがたいのですが、内臓への負担、身体の機能全体の調子を整える意味では、いろんな種類の野草が大事なのだと雅信さんは話します。(人間の健康も同じですよね~。野草は薬草ですよね。)
※ちなみに、ワラビは生のまま食べると有毒ですが、牛はきっちりワラビだけ除けて周りの草を食べます。何が薬草か、毒になるか、ちゃああんと知っているのです。

裏山は10haの草地で、これを6つに区切って、1週間ほどで牧区を変え、常に新しい草の新芽を牛たちがまんべんなく食べるようにしています。
(これは、一般に集約放牧、輪換放牧と呼ばれ、草地を管理しながら放牧する方法です。野草地だからといって、放りっぱなしの粗放的な方法ではない、ということが大事なポイントです。)

山のてっぺんに行くと、13頭がグループになって休んでいました!
あか牛の母子が3組、黒毛も2頭、ジャージー(和牛受精卵・借り腹)も2頭、そして、なんと「放牧肥育」が2頭もいます。

肉牛はだいたい生後30か月前後で出荷されますが、後半の20か月は肥育期間と言って太らせることが重要なため、放牧はさせないのが一般的です。
歩き回るとやせちゃうし、筋肉が付くとお肉が硬くなってしまうからです。
にも関わらず、「放牧肥育」するとは、なにかアグレッシブな理由がないと普通はやりません。
直売もしているそうなので、
「どこかの発注元からのリクエストなのですか?」と、
雅信さんに伺うと、
「ま~、やってみるとおもしろいかなと思って、実験的に試している」
とのことでした。
仕上げの「肥育」まで放牧するとは、どうやらただ者ではありません。

安心安全、誠実を売る。あか牛名人


実は、雅信さんの父、井信行さんは「牛は草でつくる」をモットーにした
生産で高い評価を受けるあか牛名人です。
「信行牛」の名前で、県内ほか東京の卸売会社(東京宝山)へは年間10頭を卸し、有名レストランにも多くのファンを持っています。

SDGsに敏感な料理界では、牧草のみで育つ「グラスフェッドビーフ」などが一定の価値を持つため、肉質はもちろん、ストレスフリーな放牧や草地を維持するストーリーが、「おいしさ」を増幅させるようです。
(雅信さんのところは、放牧肥育ですが、草以外の飼料も与えているそう)

つかう人との対話は励みになり、自家産の草、飼料稲、近隣から集めるおから、麦や大豆は牧場内ので機械で粉砕加工し、
国産はもちろん、熊本県産100%の自給飼料を達成しています。
ここまで地元産にこだわるのには、ワケがありました。

あか牛は黒毛和牛とは違う。ちがう道をゆく


2000年初頭に起きたBSEでの大打撃。
存続の危機から脱するため井さん親子は、「牛は草でつくる」というあか牛の基本理念と、「徹底した安全安心の確立、誠実さが大切だ」という思いに立ち返ったのです。それは同時に、黒毛のようなサシ(霜降り)とは別の価値、つまり「あか牛らしい肉」の追求でもありました。

雅信さんは、「あまりにも人間の都合で、効率重視になり過ぎたんじゃないですかね。人も牛も無理がたたるとね。」と、
遠くで寝そべる様々な種類の牛たちを眺めながら語ってくれました。

「ここは中山間地ですから、湧水もあり水はきれいだけど、田んぼは小さく、収穫も少ない。その代わり、草はあります。
牛を飼うのが合っているんです。

山の草を食べると牛は健康になり、繁殖もいい。エサやりの手間も省けます。牛が新芽を食べて、草丈を短くしてくれるから、野焼きも安全にできます。昔に戻った方がいいこともいっぱいあります。近代化がすべてではないですよ」。

畜産の近代化とは?


畜産の近代化とは、一言で言うと、輸入した飼料で牛・豚・鶏を飼う、という考え方です。
飼料はよそから買えばよい。
グローバル経済の一員として進んできた近代畜産ですが、
ここへ来て、国際情勢、気候変動、円安、様々な外的要因が重なって、飼料が高騰し、経営が圧迫され、赤字がかさむと特に高齢農家は借金を背負ってまで続ける体力がなく、離農を早める結果になります。
やめていく畜産農家が後を絶たず、業界全体が疲弊すると、
さすがに、国産飼料、自給飼料という「ローカル経済」へシフトしないわけにはいきません。いま、各地でも少しづつですが、地元産への動きが始まろうとしています。
地元産の飼料を集めるには、手間もかかり、人脈やルートも必要です。さらに自家配合するわけですから、品質を安定させるための飼料設計の知識や技術も必要です。つまりコストパフォーマンスが決してよいとはいえないわけです。
買ってきたものを与える方が、かつてはラクだったのです。(でも今は…)。


雅信さんは、「100%とは言わなくても、せめて5割ぐらいは国産や県産にできればね。自分達のやり方を見せることで、『できないことはないよ』と伝えていきたい」と話してくれました。
地域の自然資本である草地を活用すれば、今ほど外部の変動に左右されることはありません。


阿蘇の景観を守る草地に育まれ、また草地を生み出すあか牛と生産者。
循環の物語をずううっと紡ぎ続ける経営こそ、強い畜産であり、長く続く農業なのだと思えました。


農家レストラン「山の里」

農家レストランで味わうあか牛ステーキ


 同じ村内には、あか牛農家、井博明さん(73)一家が営む民宿と農家レストラン「山の里」があります。

あか牛のあか牛のリブロース250gの迫力!サシは少ないとはいうがまんべんなく入っている



あか牛のリブロースステーキ。噛むほどにじみ出る力強い肉の旨み!


あか牛のリブロースステーキを味わうと、噛むほどにじみ出る力強い肉の旨み!
娘のゆりさん(42)は「霜降り主体の格付けでは価値が付かないあか牛だからこそ、ここへ来て食べてもらいたい」と、夫とともに村に戻り、畜産とお店の経営を引き継ぎました。

FAOにより世界農業遺産に。「阿蘇の草原の維持と持続的農業」


世界農業遺産(GIAHS ジアス)に認定されて今年で10年。
草地と人と家畜、共に生き、生かすことで育まれた阿蘇のカルデラ農業景観。
自らの食料を得ると同時に、世界を魅了する風景を生んだ先人の知と技と精神を前に、
さて、現代のわたし達は未来へどんな景色を遺すのでしょうか。

地元の人たちにも、訪ねて食べる側の私たちにも、未来のためにできることがあるはずです。

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