考えたこと

みんな生きている 頑張って生きている 自分一人だけが自分の世界を生きているわけではない 自分の世界に受け入れてもいいと思える人はいるだろうか 自分だけの世界は一人一人にある もし相手が受け入れられる人であるのなら自分の世界を見せてもいいしいつでも入れるようにパスポートがあったらいいな 見せられる人が一人でもいると、安心するのかな 受け入れられる人っていうのは他人か知り合いか遠くにいる人か近くにいる人か会ったことない人か 直感か 自分がある人に対して好きになったりいいなあと思う時の感情って理由がないんだろうなと思う。 関わっている時、冷静になりきれなかったとしてもその時に思ったことには理由がない 言葉では当てはめられない尊いものだと思う 感情というのはつまり人と関わることでの特権だと思う 人と関わるってことは感情が出てくる そこに正直になることが実は大事だったりするのかな そうすると嫌な人とも付き合わなくて悩まなくて済むのかな? ある意味、他人を突き放し、偏りが出てくるのかもしれない。どうなんだろう。でも自分が生きられる最低限のテリトリーは守らなければならない。そこの線引きが難しいのだろうか。自分は一人では生きてはいけない 身にしみてわかっている じゃあどうする 今、大事だと思うことは自分軸を他人に伝えること それぞれが思うことを共有することにある そんなの一生かかってもできやしない だから夫婦があるのかな だから人は付き合うのかな 群れて生きるのかな 寂しいのかな 愛されたいのかな 待っているのかな もどかしいのかな 甘えたいのかな そうやって他人に対して少しでも何かを伝えたくてそうしているのかな 伝えたいんだろう 人という存在は 自分が何者であるか何を伝えたいのか彷徨いながらみんな生きている だからややこしい 自分をやっぱり知ろうとしない それをするよりも前に他人を求めたくなる 愛情を求めたくなる 受け取りたくなる 人に認めてほしくなる 認められたからじゃあ自分も認めよう そういう順番になってるから受け身になる だから他人の目を気にしないセンサーを持つことは大事な人生を生きる上で重要な手段になってくる 嫉妬してなりたい自分を見つける方法もある それもいいでも僕は意味がないと思う 自発的な人生を歩むためには自分軸を存分に曝け出し失敗する方が良いようにも思う でも過去を生きた人や自分より長く生きた人を侮ることはしてはならない そういった人から学ぶことはたくさんある 学んだらいい どんどん話を聞きに行ったらいい アドバイスをもらったらいい でも驕ることなく謙虚に接する 勝ち負け判断をしてはいけない 自分とその人を天秤にかけることはしてはいけない お、おれこの人の人生よりも早く気がついているとか傲慢な心になる やめた方がいい 何故か 他人の目を気にしないセンサーを見つけるためである 評価を常に他人に置いてしまうと自分を見失う 他人を気にしないことは難しい だから言っている これが抑止力になったらいいなと

勝ったと自分が優越感に勝手に浸るだけである それはいいと言えるか? それの繰り返しの人生は生きてて良かったと言えるか? 勝ったと思い込むだけである 人の人生において勝ち負けなんてものは存在しない 判断基準がわからないし、定義付けられるものでもない 一部の評価はもちろんある 卓球大会で優勝した、とか。その評価は人間性の評価ではなくその人の努力を称えての話だ 頑張ったから与えられる評価だ でも人生は評価しにくい 四十六日常に見られていると思って生活できないし、誰が自分のやっていることやってきたことを見ているというのか 自分だろう じゃあ何故他人に評価基準を僕は置くんだ 自分をずっと見ている人は紛れもない自分しかいないというのに だから勝ち負けなんて分からない 他人の話なんて分かりやしない 隣の芝生は青く見える これが表すことは面白い そう見えても当事者はその反面でとてつもない嫉妬の塊の人かもしれない 言いたいのは人ってもんはみんな考えていることは大体同じだということ 影響され影響を与えながら生きている わかるか俺よ だから今日も生きていける

#自己分析
#人というもの
#生き方
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