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先生と呼ばれたい人生だった、ならば、呼んでもらえばいい。文豪缶詰プランでね

書けないことをもてあそぶ


書けない。書けないのだ。
書きたいことはもう決まっているのに。構想はすでに頭の中にあるのに。パソコンは目の前にあるのに。

なのについついTwitterのページを開く。更にはInstagram。ついでにFacebookまで。
いけない、いけない。何をやっているのだ、わたしは。慌ててページを閉じる。そしてそばにあったスマホを手にTwitterを…。

日がな一日、そんなことを繰り返す。わかっている。わたしは正真正銘のぐうたら、年季の入ったダメ人間。人間失…いや、それはさすがに恐れ多い。



「先生、そんなことでは困ります。そろそろ原稿をいただかないと。旅館に缶詰になって書いていただきますよ。」

仕方ない、谷中に向かうか。

そんな、文豪気分が味わえる「文豪缶詰プラン」なるものがあるという。参加者は作家先生、スタッフは原稿の欲しい編集者。いうなれば、大人の粋なごっこ遊びだ。わたしに待たれている原稿があるのかといえば、そこには触れないでいただきたい。ないと言えばないし、あるとも言えない。しかし、乗った。面白そうじゃないの。

谷中での文豪缶詰プラン


主催は鳳明出版社(出版社としては架空)。文豪プランはもともとは本郷にある老舗の旅館鳳明館でおこなわれていたが、鳳明館が休館中につき、他の場所でも行われているよう。
今回は猫の町東京の谷中にある澤の屋旅館がその舞台だ。

申し込みにあたり、設定を聞かれた。夫と二人で参加するわたしは、わたしが作家、夫はアシスタント兼カメラマン。夫は「やめてー。そういうのばかばかしくて嫌」と言っていたのだが、それならばなぜついてくるのかといえば、まずは旅館への興味。実はこの澤の屋旅館、我が家から徒歩圏内にあるのだ。家の近くにわざわざ泊まるなんて、こういうスペシャルなことがない限りない。海外からの観光客からの人気でも有名なこの旅館、観光客の少ない今こそ地元民が良さを味わういいチャンスともいえる。それからやっぱり、文豪プランがどんなものか、興味があるのに違いない。

申し込みの際にはオプションの「見張られ体験」も追加した。ワクワク。過去には、「本妻と愛人の鉢合わせ修羅場プラン」なんていう更に血が騒ぐプランもあったそうだけど、今回はなし。猫の町に特化した、安心安全穏やかなプランだけなのにゃん。

さて、谷中に向かうか


人気店の前に人が並んでいる他はまだまだ人は少ない。ランドマークにもなっていた古くからの小間物屋さんには閉店のお知らせが貼ってある。坂に沿って長く続く石垣は、マンション建設によって壊されてしまうのか残されるのか、住民の心配事になっている。
なんとなく観光地としては寂しさを感じる10月の谷中だ。

気分はもう作家モードなので、ついつい町の空気にも触れてしまう。

坂が多い。”谷”中だけに。

さて、ここに来るのに、一番悩んだのはどんな格好をしてくるかだった。文豪の缶詰ファッションとはどんなものだろうか。
最初に頭に浮かんできたのはなぜか、黒縁眼鏡に厚い唇、紺の和服姿で座椅子にどっしり座る松本清張先生。ノンノン。違うわ。清張、消えて。違う作家、カモン。すると次に現れたのは、三つ編みにベレー帽、ボーダーのシャツにオーバーオールの、さてはあなたは昭和の漫画家ね。名前は知らないけれど。うん、これも違う。
その後もシャネルスーツの林真理子先生とか、スカジャンの山田詠美先生などが思い浮かんだけれど、いずれもわたしに真似のできるものではなかったので、結局シャツにジーンズという普段通りの恰好で。

缶詰の部屋

住宅街の中の、一回り大きな建物。派手なアピールのないところが、町に合っていていい。今回の舞台である澤の屋旅館に到着した。

控え目な佇まいの澤の屋さん

「先生、お着きですね。」

いきなりの先生呼ばわりに、ちょっと照れる。ロビーで編集の鈴木さんから、プランや館内設備、「チェックアウトまで外には出られません。」との説明を受ける。滞在中の目標を聞かれ、わたしはコラムを1本書きます、と宣言。
部屋に案内してもらう途中、ロビーを振り返りながら小声で告げられた。
「あちら、本物の先生です。」
座っている男性がちらりと見えた。

床がいいテカリ具合。

少し小さめの鉄の重いドアを開けると、けして広いとは言い難い和室が目に入った。広い窓から陽が入っていて明るいけれど、すでに布団が2組敷いてある。糊のきいた浴衣、枕には小さな折り鶴。布団の反対側には小さなテーブル。お茶のセットと猫の形のお菓子が置かれている。小さ目のテレビもある。
部屋が一間のことも、プラン上、布団が最初から敷いてあることも最初から知っていたのだけれど、実際に目にすると、思っていた以上の昭和の雰囲気にグッときた。
空間が、かわいい。これは外国人観光客にもうけるだろう。部屋に入っただけで非日常が始まった。小さなテーブルにパソコンを置いたら、ここが今日の書斎。



それにしても。湿度をはらんだ昭和を感じる空間はなんだか淫靡でもある。
この部屋は、例えば。

夫「ちょっと、出てくるわ」
財布からお札を抜き、ポケットに入れると、靴を履いて部屋を出ていく。
入れ違いに、編集者鈴木、部屋をノックする。
作家「どうぞ」
鈴木「先生、作品の進捗はいかがでしょう」
作家「もう少し時間を頂戴」

鈴木「先生、こんなことを申し上げるのはなんですが、そろそろご主人とのこと考えなおしたらいかがですか。最近ぜんぜん仕事をされてないようですし、いろいろとよからぬ噂も耳に入っています…」
机に向かっていた作家、鈴木の方を向く。
作家「またそんなことを…。あの人はああ見えて、結構かわいいところもあるんですよ」
鈴木「先生…」
作家と鈴木の距離が狭まる。
乱暴にドアが開き、夫が戻ってくる。
夫「ほら、旨そうな団子があったから買ってきたぞ。(鈴木に)おい、お前、何ちょっかい出そうとしてんだよ」

みたいなドラマが起こりそう。
え、陳腐?陳腐こそ王道。ねえ、鳳明出版社さん、今度のプランに編集者と夫と女流作家をめぐるメロドラマオプションはいかがです。わたしは夫のことを、あんたと呼ぶか、お前さんと呼ぶか、名前にさん付けで呼ぶか、設定を考え始めましたよ。

さてわたしが早速の妄想にふけっていると、本当にドアがノックされた。部屋に届いたのはクリームソーダ。こちらもオプションで頼んでいたもの。
アイスには猫の耳と、漱石のヒゲ付き。トレイのレトロさがまたたまらない。

カフェギャラリー幻監修。さわやか。

窓辺で外の景色を眺めながらクリームソーダを飲む。窓の外にはすぐ手が届きそうな位置に電線が走っている。この部屋の窓は、昭和と現在、妄想と現実を隔てているかのようだ。

編集者との攻防


クリームソーダの写真を撮ってTwitterに載せると、すかさず編集者がコメントをくれた。
「きれいな写真をありがとうございます。原稿もお願いします。」
はい、がんばります。

夕食は頼んでおくとお弁当を運んでくれるという話だったが、よく知っているお店のもの(美味。もちろん。)だったので、持ち込みにした。その夕食をテーブルに広げ、美味しく食べて、楽しくテレビを見ていると、電話が鳴った。
「先生、原稿の進捗状況はいかがですか?」
「あ…。3割です。がんばります」
慌てて、パソコンの前に戻る。

特に動いてなくても時間とともに部屋は散らかっていくのよね。なんでだろ。

ところで、執筆の合間にTwitterをのぞいたところ、同様に缶詰中の人もツイートしているのがわかって心強かった。同士よ、やはり気分転換は必要よな。そして、ロビーにいた”本物の先生”の正体もわかってしまった。先生も、文豪缶詰プランに参加中である旨のツイートをしていたのだった。驚くべきはそのツイートに数千のいいねがついていたこと。わたしの同様のツイートには2いいねしかなかったのに。

夜8時。
急に雷が鳴った。「雨が降ってきたんじゃない?」寝そべって本を読んでいた夫が、窓を開けて「すごいよ!外見てみな」と言う。
見てみてびっくり。
そこには、雨の中、編集者さんたちが、私たちの部屋を見張っている姿があった。

なんと!


なんと!なんと!!


見張られプランはどうやって始まるんだろうと思った矢先だった。突然の雷雨の中で。メッセージに双眼鏡。目立つ、目立つよ。住宅街で。
そんな姿を見たら逃げられません。プロ根性に脱帽です。まいりました。

しかけは宿のあちこちに


滞在中、他の先生と顔を合わすことはほとんどなかった。トイレもお風呂冷蔵庫も部屋にはなかったので、都度部屋の外に出るのだが、人の気配はほとんど感じない。2つある家族風呂も両方空いていたので、それぞれを気持ちよく独り占めすることができた。

ただ、そこここに編集者さんの執念を感じる貼り紙があって、廊下に出るたびにプレッシャーをかけてくるのだ。

いつの間に!

しかしほっと息を抜けるしかけもあって、猫と文豪のエピソードが紹介されたパネルがロビーにあったり、谷中と文豪のかかわりがクイズになっていたり。文豪たちもかつてこの界隈で悩みながら執筆をしていたのだ、と思うと不思議だし、親近感もわくし、いっそこの際、乗り移ってこい文豪。

廊下で見守って下さる中原中にゃ先生


原稿できました!


他にすることがないという環境というのは、やはり効果があるもので、わたしは意外と真面目にコラムに取り組んだ。待ってくれている編集者さんを喜ばせたいという思いも働いたかもしれない。
9割方完成させて、すでにかなりの達成感。心地よく眠りにつき…。

障子越しの外の明るさで目が覚めた。優しい朝の始まりだ。
頼んでいた朝食が「原稿の進捗状況はどうです?」という言葉と共に運ばれてきた。

mojomojoのコッペパン(多分)と猫ちゃんクッキー

残りの1割は勢いで仕上げ、コラム完成!
堂々と「できました!」と編集者の鈴木さんに言えたのは嬉しかった。茶番なのに。鈴木さんも褒めてくれた。茶番なのに。
チェックアウト時に「原稿はこれに入れてください」と封筒を渡されて、プランは終了。
外の空気は清々しかった。

清々しい。清々しいぞ。

鳳明出版社の皆さんありがとうございました。楽しかったです。
ちなみに、この時に書いたコラムはこちらです。
写真生活手帖、ご覧ください。







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