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『ゴールデンカムイ』の”恐怖”と向き合った話


※まず先に断っておくと、ゴールデンカムイのことを悪く言う記事ではありません。

たくさんの友人やフォロワーから「ゴールデンカムイを読め」とかなり強めに言われていた。
私の趣味を知り尽くしている友人が異口同音に薦めるので、ぜったいに好きだろうなと思って、アニメの方を観てみることにした。

しかし、めちゃくちゃに怖い。

わたしは漫画の一気読みがかなり苦手な一方、アニメの一気見はかなり得意(得意って何だ)で、わりとライトにアニメを流して、1日で何話も観続ける、みたいなことをよくするのだけれど、ゴールデンカムイの”怖さ”に勝てず、一度視聴を止めているところです。
何がそんなに「怖い」のか。
いちどこの恐怖と衝撃をちゃんと言葉にしておきたいなと思って、思考整理のためにこの記事を書いています。
言い換えると、今感じている衝撃をそのままにしてしまわず、ちゃんと踏み締めた上で本腰を入れて観たいなというところでもある。


以下、話の本筋に関わる話はしていないけれど、1ミリもネタバレを踏みたくない人はご注意ください。


カロリーが高すぎること

一本通った話の筋として「隠された金塊と金塊をめぐる真実を見つけ出す」というテーマがあるけれど、その大筋の中でお出しされる情報の幅広さと質量が凄い。
北海道の雄大な自然。
アイヌの人々の文化や生き方。
時代の移ろいと、その移ろいのはざまに取り残された人々・・・。

(後述するが、キャラクターの過去や思いの質量も並大抵ではない)

同時にお出しされて人間が処理できる情報量を超えているんですね。
フレンチと中華と和食とイタリアンのフルコースを同時に出されて、そこにマックもケンタも家系ラーメンもあるよ!みたいな状況が続くのに、その全てがストーリーの大筋と緻密に絡み合っているからすごい。
怖いというより、圧倒される。
この幅広いテーマを、ひとつの作品としてまとめあげるという力強さに圧倒されている。
テーマの幅広さという意味でここまで圧倒された作品はないかもしれない。

ツッコミが不在であること

ありえないことが起こっていて、それをみんなが「うんうん、この人はそうだよね〜ハハハ」という感じで認めているところに一番の恐怖がある。

なぜ冷静でいられるのか

ゴールデンカムイの世界には、かなり強めの過去と、その過去に付随したかなり強めの感情を持った人がでてくる。
で、そのクソデカ過去キャラクターが、クソクソデカデカの感情を以て一見異常な行動に出る。
視聴者(または読者)は、そのバックグラウンドやストーリーを知らされた上でキャラクターの行動を見ているので、「ああこの人はこういう感情の上でこの行動に出たんだな」と客観的に理解することができるけれど、作品の中に出てくるほかのキャラクターたちは、相手のバックグラウンドを知らないまま、表出された行動だけを見ているはず。
にもかかわらず、キャラクターたちはその異常な行動や状況を疑問に思ったり逆らったりすることなく、前提として受け入れた上で話が進んでゆくところに、言いようもない恐怖を覚える。
ツッコミが不在であることがこんなにも恐ろしいとは思わなかった。

ツッコミは「常識のズレ」から生まれる

そもそもツッコミとは何か。
人は、自分の常識の範疇で処理しきれなかったものについて、反応したり反発したりすると思う。考え方や常識が違う人の行動に対して「気持ちはわかるけどやりすぎや!」とか「ちょっと待てやい!」みたいな反応が発生して、そのひとつが「ツッコミ」なのではないかと思う。
ゴールデンカムイには、それがない。
考え方や常識が違う人に対する違和感の発露とか、情報を処理しきれなかった時の一時停止、みたいな反応がなく、「お前はそう考えるのだな」「そうだったのか」で受け入れられてしまう。
自他の間にある「常識のズレ」から生まれる反応が存在しないので、常識そのものが存在しないような足元の危うさを感じて、それを恐怖として認識しているのかもしれない。

自然の中に常識は存在しない

ゴールデンカムイの中に登場するテーマの一つに、「自然」がある(と思う)。
人は自然現象に対して圧倒的に無力だ。
人間がどんなに「こんなんはさすがに無理やん!」と思って反発しても、吹き荒ぶ大雪をお断りすることはできないし、イナゴの大群を止めることもできない。

アイヌの人々は、そういう(人間の常識にとって)不条理な自然を相手取って相撲をするのではなく、受け入れることによって文化を紡いできたのだと、この作品を通じて知った。
ゴールデンカムイの登場人物は、アイヌの人々が自然と対峙してきたのと同じように、人間にも対峙しているのかもしれない。
他者を「自分の常識」という枠組みに嵌めてから解釈するのではなく、いったん「自分の力ではどうしようもないもの」としてその全てを受け入れている。

・・・のかもしれない。

恐怖ではなく、救いなのかもしれない

ここまで書いてみると、ツッコミ不在である作品内の膨大な情報量を処理しきれず、”怖い”と感じてしまう私こそが狭量なのではないか・・・?と思えてきた。
一方で、どんな理不尽な自然も、人間も、生き様も、何も否定されないゴールデンカムイの世界は、もしかしてとても大きな「救い」を描いているのではないか・・・?とも思えてきた。



でもやっぱりみんなおかしいよ!どうしたらいいんだ。

いまのところ尾形さんが好きです。


おわり


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