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先生へ

 中高時代の恩師が亡くなったという連絡を受けたのは深夜、わたしが友人との通話でくだらない話をしている時だった。告別式が行われた日のは3日も前だったらしい。その日から今までの三日間わたしは先生のいない世の中を過ごしていたんだと、記憶という土壌から欠片がこぼれ落ちるような気持ちになった。LINEで知らせを受けた私は、友達の話を聞いて笑いながら「ご冥福をお祈りします」という文字列をぼんやり眺めて、思い出しておかなくちゃとぼんやり思った。なので思い出したことを書いておく。

 中学一年生で担任になったその先生は厳しかった。中学一年生という子供だからといって容赦はしないぞという感じがあった。
 本が好きだったわたしは学校の課題である読書ノートを毎日のように書いて提出していた。今読み返せば小っ恥ずかしくてたまらないような文章に先生は毎回コメントをくださった。くせのある先生の字は解読がたまに難しく、しかし次第にそれにも慣れた。
 あるとき読んだ本で、ヒロインが「恋人になれないのに友達でいるなんて嫌だ」みたいなことを言う場面があった。当時のわたしにはその科白の意味が分からなかったので正直に「わからなかった」という感想を読者ノートに書いたところ、「いつかわかるようになるわよ」と書いてあった。今は、どうだろう。まだ分からないかもしれないです。
 卒業してからも年賀状のやり取りをしていた。くせのある先生の字はやはり解読が難しく、懐かしかった。
 先生の専門は漢文だった。中国史にはまって漢文に挑戦してみたことを年賀状に書いた年には、新しい学びを見つけていることを喜ぶ葉書が返ってきた。思い返せば先生に送る年賀状は読書ノートのようだった。それが最後の年賀状になってしまった。
 中学の頃だっただろうか、手紙の書き方を教える先生は怖かった。時候の挨拶、名前を書く位置。そういう常識を知らない人間はだめだというようなことを先生は強い口調で言った。だから先生に手紙を書くときは叱られないだろうかと少し緊張した。今でも手紙を書くときは背筋が伸びる。先生のことばは今でもわたしの背筋をしゃんと伸ばしている。

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