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接点(5)

北摂にも春の兆しが感じられた。
私の論文はすでに教授会の審査にかかっていた。
もう「俎板(まないた)の鯉」の状態である。

大学のキャンパスのある大阪府三島郡島本町は、清少納言が枕草子で「川は みな瀬川」と讃えた水無瀬川と淀川の接点であり、また京と大阪の接点でもある。昔はどうだったか知らないが、この川にはほとんど水がない。だから「水無瀬」と言うのだろうか?
目を東に転じると、天下分け目の「天王山」が都(みやこ)との境に鎮座し、いまは名神高速の天王山トンネルが貫いている。

私と先生の「接点」、そして直人との「接点」…それがここ、関西理工大学だ。
私の眼下に広がる三川(さんせん)の合流点もまたひとつの「接点」だ。
京阪電車の鉄橋を遠くにながめながら、感慨にふけっていた。この三川とは宇治川、木津川、桂川のことであり、合流後は淀川と名を変えて大阪湾にそそぐのだった。

プラタナスの並木が校門に向かって続き、学生がちらほら歩いている。
プラタナスの樹皮はまるで迷彩服のようだった。
直人が「軍服の迷彩はプラタナスがヒントだったらしい」といつだったか話してくれたことがあった。
なるほど、うなずける話だ。

同僚の長谷川直人は四月から、地元の洋酒メーカーに研究員として就職することになったそうだ。
すぐ近所の山崎にその会社の醸造所があり、つとに有名である。
直人は、その洋酒会社から依頼研究をずいぶんやっていた関係もありそれが評価されたのだと言っていた。
私は「あんたのゴマの研究がどうしてお酒屋さんと関係があるんよ」と訝(いぶか)しんだが、ああいう会社は、さまざまな可能性を普段から蓄積しているのだと直人が力説したものだ。
そういえば、あの会社は「青いバラ」を作るんだとかで話題になっていたっけ。
どうやら、私との将来のことも考えてくれているらしい。
私がこのまま大学に残るもよし、好きにしたらいいとまで言ってくれるのだった。

「なお、待ったかい?」後ろから声をかけられた。
振り向けば直人がそこに立っている。もう帰る支度ができたらしい。
今日の晩御飯をいっしょに食べに行こうと計画して、私が先に出て待っていたのだ。
「なにしてたんやな。もうニ十分くらい待ってたわ」
西日が私たちの影を長く伸ばす。
とはいえ、ずいぶん日は長くなった。
JRの島本駅までぶらぶらと歩く。
「何食べる?」直人が訊いてくる。
「そやなぁ、JRやと京都駅に出てみるかぁ」と、私。
私たちは、あまり梅田の方面には出かけなかった。
本拠地の京都市内がなにかと気安いのである。
私の実家が山科(やましな)であり、直人の住まいが西大路だからである。
結局、私は京都近辺から出ることがほとんどなかった。
京都大学を受けたが合格できず、すべり止めで受けた大阪の「関西理工大学」に受かることができたのも理由になるかもしれない。
両親が「女が浪人するのは許さん」と強く主張したので、私学で学費も高い本学に行かせてもらったのだ。一人娘ゆえのわがままを聞いてくれたのである。

「イタ飯で、どや?」と、黙っている私にしびれを切らした直人が提案する。
「うん、それにしよ」
「ワインも飲もうで」「飲も、飲も」
私たちは意気投合し、島本駅にの改札に向かった。

ホームでしばらく待つことになる。
各停しか停まらない島本駅では、しかたがないのである。
何度も列車が行き過ぎた。
「セサミンの抗酸化効果ってどの程度なん?トコフェロールよりもあるの?」
私は、つい研究の話題を持ちかけてしまう。
「セサミンに抗酸化効果はほとんどないねん」
「へぇ、エーテル構造が開環するとかないの?」
「あの構造はかなり安定でね、酸素上の電子がベンゼン環に流れて共役しとんね。そやからエーテル構造っていうても環のひずみも少ないし、開環はしにくいな」
「ほんなら、トコフェロールのほうが抗酸化効果はあるね」
「そらそやろ、あっちは、ヒドロキノン・キノイド構造で電子のやり取りをしとるから可逆的やし」
トコフェロール(ビタミンE)はαからδまで四種類があるが、どれもクマリン環のキノイド(オルト・パラキノン)で、還元型のヒドロキノン、酸化型のキノンを行ったり来たりしながら、相手を還元し、自らは酸化されることで抗酸化効果を示すのだ。
油脂の抗酸化成分としてトコフェロール類は有効だとされ、食用油の酸敗を防ぐために油脂に直接添加されている。
一方でゴマ油のセサミン(ゴマリグナン類)は、ゴマ油の抗酸化剤として働いているのかどうかが、私の知りたいところだった。
私たち化学屋は、生体への影響とか、錆びない体(抗酸化効果)を調べているのではない。あくまでも工学的にどんなメリット・デメリットがあるのかに興味がある。
そんな会話をしているうちに米原行きの各停電車が入構してきた。

電車の中はガラガラで、帰宅ラッシュとは程遠いものだった。みな、高槻で新快速かなんかに乗り換えてるのだろう。
私たちは余裕で座れたのである。

その日は、京都タワーの近くのイタリアンレストランで食事をし、グラスワインでほろ酔いになったころ、直人がもじもじしながらいつものディパックから小さな艶のあるしろい紙袋を出して、私に差し出したのだ。
「4℃」と袋の文字が読めた。アクセサリーで有名なブランドだ。
「あのさ、そろそろおれとの結婚を考えてくれないかな」
私は、いつかそういう日がくるだろうと漠然とは思っていた。それが今日だったとは…
紙袋を受け取り、中から小さな白い箱を取り出す。
誰が見ても指輪のケースだった。
「びっくりしたわ。でも嬉しい」
私は、その中にプラチナの指輪を見つけ、目を直人に向けた。すこし目が潤んでいたかもしれない。
「ありがとう。お受けいたします」
私はきっぱりと伝えた。そしてグラスワインを干した。
ドキドキしていた。直人だって同じだろう。彼も底に少ししか残っていないグラスワインを干す。
「もう一杯、頼もうよ」と私。
「そ、そうしよう」
やっと、私たちは、ハードルを越えた。

京都駅で別れ、直人は、西に、私は東の電車乗った。
山科までの一駅の間、私は窓際に立って、車窓に映る自分の顏に問うていた。
「教授との愛人関係はどうするんや、なおこ」
隠しおおせるものだろうか?
大事にならないうちに、火遊びは清算すべきではなかろうか?
それでも川瀬教授の優しい性技に未練があった。
私は教授に開発されたのだった。
私は淫乱なのだ。
「淫乱」という言葉が重くのしかかってきた。

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