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接点 終章

平成十七年が明け、長谷川直人から年賀状が届いた。
私は博士号取得後、大学を追われるように辞めた。
直人との婚約も私から辞退した。
理由ははっきりしている。

直人も、新しい女性と結婚し、二人の子どもの父となったらしいことが年賀はがきの家族写真でうかがえた。
早くも、彼は毛が薄くなり、二人の娘さんに挟まれて、はにかんだように笑っている。
奥様は、私のまったく知らない人で、眼鏡をかけた知的な感じの女性だった。
「もうあれから何年たつのやろ…」
私は、最初に就職した化学会社を十年勤めて辞めた。今度は不倫騒ぎなどではない。
母親の介護のためだった。幸い、父は先に逝ってくれていた。

私は、ついに結婚せずに今まで来てしまった。
親不孝だとは重々承知だけれど、もうこりごりだったのだ。
大学を辞めたのは、川瀬育夫教授との不倫が奥様によって暴かれ、学生だった私は慰謝料を免ぜられる代わりに、大学を去ることを条件として許された。
こういったことは秘密裏に勧められたが、うわさはたちどころに学部内に拡がって、直人の耳にも入った。
私は直人を裏切ったのだ。しかし、直人は責めたり激高することもなく、私から遠ざかっていった。
彼らしいと言えば、彼らしい対応だったと思う。
私が大学を去る日、直人にあの指輪を返そうとしたけれど、直人は「返すくらいなら、捨ててほしい」と言った。
この言葉が、一番、私に堪(こた)えた。

爾来、私は男性と距離を置くようにしてきた。
会社の飲み会にも出席せず、ひたすら、孤独に生きたのだ。
自分のことを誰かに話すこともしなかった。
もちろん聞いてくれる人もいなかった。
川瀬先生は大学に残られたが、その後どうなったのかわからない。
私の博士論文は、川瀬先生と連名で学術誌『油脂化学』に掲載され今も手元にあるが、それだけがあの頃の「残滓」である。

私は、司法書士の資格を取ろうと、会社を辞めたあと、その退職金で法科予備校に通っていて、もう三年目になる。
毎年七月の国家試験を受けているが、なかなかものにならない。
もともと法律の専門でもない私が、まったくの新しい分野で勝負するのだから無謀と言えば無謀なのだ。
でも、何かやらないと、私は窒息しそうだった。
予備校で、少ないが同性の友人もでき、いっしょに励んでいる毎日だ。
法律を学んで、不倫行為がいかに法的に保護されないかを思い知った。
というより、私の非常識さ、もっといえば子供じみた快楽の虜になることの浅はかさを、四十路になって遅まきながら気づかされたのである。
小泉改革によって、司法制度も変わりつつあり、議員立法で商法は会社法になってより難解になり、司法書士試験の範囲に「憲法」が加えられた。また一つハードルが上げられてしまった。

車いすの母を押しながら、新春の街を歩く。
三が日くらい法律の勉強もお休みだ。明けたらすぐに模擬試験がある。
今度こそ、二十位以内に点数を伸ばそう。
「今年は受かるぞ」と決意を新たにした。

(おしまい)

この物語に登場する人物や団体、学校などはすべてフィクションです。私の経験を脚色して物語にしました。

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