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北の赤い星からの便り(4)

ピョンヤンにライラックの香りが満ちるころ、子供たちの生き生きとした笑顔に出会えて安堵する。
どの国でも子供は宝なのだと、普遍的な価値を見出せるからだ。
彼ら、彼女らの希望に満ちた瞳は、無論、この国の大人たちの導きがあってのことだ。
同じ時代、日本ではどうだろうか?
幼いころから、競争を強いられ、日本人の子供たちの瞳は曇りがちなのではなかったか?

ピョンヤンの子供たちのマスゲームを見せてもらう機会があった。
幼年組の、おそらく日本では幼稚園児にあたる子供たちでさえ、一糸乱れぬ統率ぶりを発揮する。
恐ろしいくらいだ。
この国では十七歳で義務教育を終え、軍隊に入隊させられる。
少なくとも、あたしは朴俊希(パク・ジュンヒ)さんから聞いた。
朴さんは、朝鮮労働党外国人技術者招聘部の日本人係で、あたしたちの担当の女性だ。
日本語が堪能で、日本への留学経験もあり京都外国語大学を出ておられる。
土台人(トデイン)との連絡係として何度も日本と平壌を行き来し、その人脈と手腕を買われている。
トデインとは、日本での工作活動を円滑にする、日本人もしくは在日朝鮮人の協力者だ。

今日も朴さんの誘いで、平壌の幼年組の学校に来たわけだ。
朴さんは、あたしより年上のようだが、見た目はほとんど変わらないように見えた。
とはいえ、向こうから近づいてくることはあっても、あたしから呼びつけることはなかった。
彼女が結婚しているかどうかなんてことは、まったくわからない。
細身なのに、揺れるようなバストが印象的で、世の男が黙っていないだろうなと、不謹慎にも、あたしは思うのだった。
「ヨコヤマさん、どうです?我が国の教育の成果ですよ」
美しいマスゲームに見とれているあたしに朴さんが誇らしげに言う。
「そうですね。こんな小さな子たちが、きっちりと踊っているのは日本では見られません」
「そうでしょう。そうでしょう」
披露を終えた女の子が一人、あたしに造花の花束をもってきた。
あたしは、にっこりと笑ってそれを受け取った。
「カムサハムニダ」
ぎこちない朝鮮語であたしはお礼をのべた。
はにかんだような女の子が、一歩下がってお辞儀をする。
「かわいいですね」
「みんな将軍様の子供たちです」
この国の子供たちはみな金日成主席の子供たちだと教えられる。

お昼を、朴さんの行きつけの食堂でご馳走になった。
麺類と焼き肉料理をいただいた。
日本の味に慣れたあたしには、濃い味付けだと思ったが、食べられなくはない。
この国に来て数か月がたち、そういう面では慣れてきていた。

近々、開城(ケソン)の科学技術工廠にあたしは行かねばならない。
同期の小暮秀子さんとともに、六フッ化ウランの濃縮技術を検証しに派遣されるのだった。
小暮さんは、あたしのルームメイトだった。
仕事の分野が異なるので、日曜以外は顔を合わすことのないルームメイトだったが、数少ない日本語を交わせる同性ということでお互い親しくしていた。

「なおぼんは、寂しくないの?」
小暮さんは、あたしが「尚子(なおこ)」なので「なおぼん」と親しみを込めて呼んでくれた。
「もう、寂しくない。日本のことは忘れちゃった」
「たくましいんだ…」
「秀ちゃんは、忘れられない人でもいるの?」
「うん…」
「阪大のひと?」
「そう。同じ核物理の研究室の女性」
「…」
あたしは、言葉を失った。
「あたし、その人に可愛がられてた」
「あの、その、レズビアンってことかしら?」
「そういう風に言われてもしかたがないけど、ほんとに好き合ってた」
一言ずつ絞り出すように、秀子は語った。
世の中いろんな嗜好の人がいて当然だが、こんなにも身近に同性愛者がいるとは…
そういえば、秀子はあたしにも馴れ馴れしかった。
ボディタッチの多い子だなと感じてはいた。
「なおぼん、嫌いになった?」
覗き込むように、秀子があたしをうかがう。
「あ、いや、そりゃ、人それぞれよ。そうよ」
しどろもどろのあたしに、秀子は抱き着いてきた。
「あたし、寂しい…なおぼん、抱いて」
「抱いてって…」
あたしは、これまで男性に抱かれもしたが、かつて高校時代に金明恵(キム・ミョンヘ)とそういう関係になったことを思い起こしていた。
明恵はあたしの体に興味を持ち、そうやってあたしに近づいて、「工作活動」に利用したのだった。
明恵にしてあげたように、あたしは秀子を抱いて、愛撫してあげた。
この子もかわいそうな子なのだ。
「秀ちゃん。お風呂、入ろうか」
あたしは誘っていた。
「え?いいの?」
秀子は嬉々とした表情に変わった。
うりざね顔の秀子には、どこかあたしの郷愁を誘う雰囲気があった。
あたしも恋していたのかもしれない。
ケソンに発つ前の日、あたしたちはすべてをさらけ出してベッドで抱き合っていた。
「これからも一緒にいようね」
「うん」
異国で女が二人、愛を確かめあったのだ。

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