新しい日常(New Normal)という言葉に何を込めたのか?

FNNプライムのインタビュー記事が公開されました。これまでここで紹介してきた内容の繰り返し部分もあるので、ここでは重要な部分の解説を補完させて頂きます。

withコロナ、afterコロナ、postコロナと呼ばれる状況について、4月22日のWeeklyOCHIAIでは、新しい日常(New Normal)という言葉でお話させて頂きました。もともとNew Normalという言葉は、リーマンショック後に起きた変化に対して、非日常が新しい常態になるという文脈で使われた概念です。当時、日本語としては「新たな常態」、「新常態」と訳されていました。今回あえて「新しい日常」という言葉を使った背景には、今回の変化はリーマンショック時とは根本的に違う部分があるからです。

まず第1にその変化は、目先のコロナ対応のために、短期的なリスク管理のみを指すのではない、ということです。例えば、感染症対策のために、仕方なく授業を遠隔にするという視点ではありません。これまで制限があった遠隔授業が入ってくることによって、詰め込み型の学習について、本当に各学校に一人必要なのか?という検討がなされる。優れたノウハウを持った人達が競い合いながら質の高いものを提供していく方が良いかもしれない。その時に教師の役割は何か?生徒1人ひとりに向かい合い、必要なサポートを提供し、人生の可能性を拓くことに時間が使えないか?同じ集団で活動するのではなく、地域の中に入って、色々な人々とチームを組んで活動し、それを共有することも有用ではないか?新しい社会を生きていくために必要な問いを立てる力を磨くためには何が必要か?こういった変化を、各業界、各分野で起こしていくことです。それはコロナショックが通り過ぎた後に、元にもどるものではありません。

そしてもう1点重要なことは”「新しい日常」が何を意味するのかは、1人ひとり違うこと”です。これまでの日常は、社会が求めるスタンダードや平均に合わせて、生活を行うことでした。新しい社会への移行の中では、集団平均ではなく、個別化が重要になります。その手がかりはコロナ下でも躍進を続けるNetflixにもあります。例えばハリウッドでは、これまで映画館をいっぱいにするには、ある特定の集団をターゲットにするという手法がとられていました。それに対してNetflixを成功に導いたのは集団ではなく、一人ひとりをデータで掴むこと。LGBTの人たちが見ている世界の姿とか、こだわりの職人の研ぎ澄まされた感性など、人々のニッチマーケットを映像作品として捉えることによってビジネスとしても成功すると同時に、コンテンツの質でも圧倒できるようになったのです。 従来の企業活動は、新聞、雑誌、広告も含め、多くの人に届けられるモノを提供するということが中心でしたが、これからはデータで一人ひとりを捉えて「体験」を共創していく時代になるでしょう。

「新しい日常」というのは権力を持った一部が定義して画一的に求めるものではなく、激動する社会の中で1人ひとりが見いだして、響き合って生まれるものであってほしいと考えています。

と、いろいろ書いたのですがパンクとは何かについて暑苦しく熱弁する、うるさいおじさんになってしまいました。。。上記あくまでも私の願いですので、いろいろな捉え方があって良いと思います。

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