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荒波に立つ希望と覚悟~ブラームスチェロソナタ第1番

こんにちはおはようございますこんばんは。

笠木颯太です。

先日、兄弟デュオ演奏会が無事終演いたしました、ありがとうございました!

書く時間が無くて事後録になってしまったのですが、この演奏会のメインであったブラームスのチェロソナタ1番についてここでは話していきたいと思います。


チェロソナタ1番は暗い作品?
 
 

 演奏会の1週間前ぐらいの時に、プログラムに曲解説を書くためにブラームスのチェロソナタ1番についてをネットで調べてみました。(もっと早くやれよってね、次からは気をつけます笑)すると、どのサイトを開いても、「徹底的に暗い作品」という言葉ばかりが目立っていました。しかし、僕はこの作品に対してはそのように感じたことは一切ありませんでした。むしろ、遠くの方に確かに見える希望に向かうために、荒波に立つ覚悟が据えているような、そんな作品だと感じていました。そのため、この作品を弾く時にも、ドビュッシーのように作曲の背景に関係あるわけではないけれども海を想像しながら弾いていました。それも、ちゃんと青空も太陽も見える明るい空の下の海です。

ウィーン移住やドイツ・レクイエムとの関連性

 なぜ短調なのにこのようなポジティブなイメージを抱いたのか、自分で疑問に思って調べてみたところ、やはりこの曲が作曲された背景が多く関わっているようです。
 まず、この作品はブラームスがウィーンに移住し始めた時の最初の曲であるそうです。僕自身は引っ越しなどをしたことが無いため想像で補うしかないのですが、おそらく、引っ越しや移住というのは人生の大きな転換点であるんだろうなとイメージできます。住み慣れた地を離れ、新たな地で人生を歩んでいくこと、それは期待と不安を抱きながらも新しい環境で生きていくある種の「覚悟」が芽生える時なような気がします。あくまでも想像ですが。そう考えると、この作品から「覚悟」を感じるのも納得します。
 更に、この作品と同時期に作曲された作品は、彼の大作中の大作であるドイツ・レクイエムなのだそうです。ドイツ・レクイエムをしっかり聴いた事はお恥ずかしいながらまだ1回しかないため記憶が定かではないのですが、ブラームスの中でもかなり荘厳な作品であったような気がします。(ですよね確か…?)その荘厳さがチェロソナタ1番にもうつったという形になったのかなと推測します。となると、その荘厳さに、ある種の「希望」を感じたのかもしれません。そもそも荘厳とは、「重々しさがあり立派なこと」です。ただ重いだけではありません。そこには堂々と胸を張れるだけの「希望」があるのです。ドイツ・レクイエムにおいては、死者に対しての永遠の安息に希望を見出し、チェロソナタ1番においては、ブラームス本人がウィーンに移住したその先の彼の人生に希望を見出し、それぞれの作品を書き上げたのかもしれません。

ブラームスの休日

 ところで、本番前日のレッスンで、先生がこんな話をされていました。 
 僕の先生が過去共演した人の中に、彼の先生の先生がなんとブラームスだったという方がいたそうです。その方の話によると、ブラームスは丘に行くのが好きで、休日になるとパンをたくさん持って弟子たちを呼び寄せて、行きつけの丘で皆でパンを食べながら一日を過ごすのがルーティンだったそうです。ほんわかするエピソードですよね笑
 そんな話を聞くと、そういえばこのチェロソナタ1番の中にも、例えば第1楽章の終わりの部分や第2楽章の中間部のように、まさに丘でゆっくり休んでいる姿が見えてきそうな部分があります。作品全体の荘厳さに目が行き過ぎて見逃してしまいがちですが、実はこういった部分も非常に重要な箇所でした。希望に向かって進むだけではなくて、たまにはゆっくり休もうよ、それからまた頑張ればいい、というブラームスからのメッセージなような気までしてきます。
 リアルなブラームスの話を聞いて、また更にブラームスの音楽を深く研究したいと思うようになりました。次は2番にもぜひ挑戦したいですねー!難しいという噂がちらほらありますが笑

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