マガジンのカバー画像

トーラスエッセイ

22
何でもない話。ぐるぐるめぐる日常の特別な部分を切り取って、写実的に。大切なことを忘れないように。
運営しているクリエイター

記事一覧

友達日記!

普段は少し込み入った内容のエッセイを書くのが好きなのですが、今日はただの大学生みたいな日記を書いてみたいと思います。

なぜなら、私ももう大学4年生。
本来なら卒業せねばならない学年です。
「大学生日記」へのためらいがないうちに、それを楽しみたいのです。

3月15日火曜日。

午前中の用事を楽しく済ませ、午後は特に用事がなかったのでずっとカフェにいました。
最近お気に入りのカフェがあり、よく長居

もっとみる

風評被害 3月11日

朝起きて、日本からのメッセージを確認して……
と何気ない日常を過ごしていましたが、ふと日にちを確認すると3月11日でした。

私にとっての3月11日は、風評被害との出会いでもあります。

当時、広島で高校生をしていました。
ちょうど期末試験中で、その日は友達とコンビニへ寄っていつもより早めに帰宅しました。
全く揺れなかったので何も気づきませんでしたが、家に帰ってテレビを付けるとものすごい有様で、愕

もっとみる

日本的なるものへの危機感〜記号化するということ

インターナショナルエキシビジョンが大学で開かれた。どういった団体が主催しているイベントなのかよくわからないが、留学生が国ごとにブースを作り、各国の文化を紹介するというものだ。郷土料理を出しているブースもあった。

日本も参加することになっていたので、一応私も2回ほど顔を出した。と言っても、準備などはほとんど他の人に任せたので、私はただただ行ってはしゃいでいただけというのが正直なところだ。
しかも

もっとみる

日本的なるものへの危機感〜ナショナルとは何なのか

インターナショナルエキシビジョンでの感想の続きである。
前の記事 https://note.mu/vc_gf/n/nb9347e7c012b

この催しでは「国ごと」というくくりでブースが作られた。が、台湾やパレスチナなども一つの国というくくりに入れられていたようではあった。

国民としての意識はいったいどこから出てくるのだろう。
実体のないものに精神的な意味で属しているという意識、気持ち悪くさえ

もっとみる

クウェートの洗礼

イスタンブールに着くまではよかったのだ。

案の定、関空へ行くまでに恩師や友達から言われたことを思い出して号泣していたが、関空に着いたら無事にチェックインと出国手続きを済ませ、クウェートではお目にかかれないであろうスタバの抹茶クリームフラペチーノを飲みつつ、韓国人の友達とLINEでちょっとした話をしたり、親へ連絡したりと落ち着いた時間を過ごしていた。
イスタンブール行きの便は出発時間が少しだけ早く

もっとみる

成人式に行かなかった話

一年前、私は成人式に行きませんでした。
成人式前日の同窓会だけ出席してきました。

成人式に行かなかった理由は、中高一貫校の出身なので同窓会にさえ出席すれば中学・高校の友達には会えるということ、成人式の後は大学の試験シーズンであり、失敗したら即留年の試験が控えていたこと、しかもその頃やっていた研究プロジェクトに忙殺されていたこと、「中高一貫の女子校なら成人式でのワンチャンないで」という先輩の下世話

もっとみる

年の瀬に毎年書いてるアレ2014年版

毎年恒例、1年を振り返る文章を書くという完全に自己満足の行為。
誰かこれを見て元気になったり、「なんだ、保道よりは私はマシな生き方してるわ」と思ってもらえたりしたら良いかなと思って、とりあえず公開することにしています。
冬休みは一時帰国することになっているので、「クウェートで1年を振り返る」というもう一生ないであろう機会を逃すまいと、テストが終わった今、一生懸命この文章を書いています。
そして、例

もっとみる

〈エッセイ〉境界を意識する

先日、クウェート人女子学生の家に招かれた。
留学生の支援団体を主催している学生たちがホストになり、私たち留学生を家に招待してくれたのだ。
クウェート人はさすがお金持ち、宮殿のような家で、おそらく20人以上は集まっていたのだろうと思う。
ただし、その場にいたのは女性だけだった。
正確には、ホスト学生のお姉さんの子どもが唯一の男性としてその場に存在していたけれども、男性は本当にその赤ちゃんのオマルくん

もっとみる

〈エッセイ〉物語

知識のなさをどうしても隠しておきたいのは、「日本人はアホや」と思われたくないから。
こう思って初めて、自分が日本人であることに自覚的であり、私個人という人間の単位ではなく、日本人として見られていると思い込んでいることに気づいた。
実際はどうかわからない。私個人をきちんと品定めしてくれている人もいるのかもしれない。

私がこう思い込むのは、自分自身が国籍や帰属する国に敏感になっているからなのだと思う

もっとみる

〈エッセイ〉距離感

 世界の距離はあなたへの距離で
 そばに行くほど 広くなる
 (坂本美雨「あなたと私の間にあるもの全て愛と呼ぶ」より)

ウキウキしたような恋愛の歌だが、この言葉が気になってならない。
「そばに行くほど 広くなる」とはいったいどうなるのか、「あなたへの距離」とはいかばかりのものか。
論理的に解釈すると、ここでの「距離」は物理的なものではなく、精神的なものだろう。
こういう風に言葉にすると、いとも簡

もっとみる

〈エッセイ〉国籍

授業終了後、他の日本人学生たちと共に大使館へ向かうことになっていた。
友人の努力のおかげでなんとかタクシーを捕まえ、定員オーバーのタクシーは炎天下の道を大使館へ向けて急いだ。

運転手はバングラデシュの出身だった。
クウェートの外国人は一様に「この国は暑い」と言う。確か、彼もそのようなことを言っていた。
運転手も日本人たちも車内の暑さに辟易して、黙り込んでいた。
その空気を打ち破るように友人が「バ

もっとみる

〈エッセイ〉時間

「なんで6ヶ月間の留学なんて、中途半端なことするの。1年間その国で暮らして、季節が一回りするのを体感しないと意味がない」

半年間留学をしたいと考えていると話した学生に向かって、専攻でお世話になっている先生がおっしゃった言葉だ。
いつもの、おだやかながらどこか厳しさのある調子だった。
この言葉が出てきた背景には、おそらく彼の豊富な海外経験があるのだろう。
重みのある言葉だった。今でもふとした瞬間に

もっとみる

〈エッセイ〉根拠のない確信

今よりも幼かった頃、根拠のない確信を持ち、それに従って動くことが容易にできた。
その代わり、根拠に基づいた確信のもとに行動することは苦手だった。

大学生となり大人の仲間入りをした私は、根拠のある確信を持ち行動することが上手になった。
ただ、根拠のない確信に従うことが下手になってしまった。

どちらがよいのだろう。
確信に「根拠」という名の理由付けは必要なのだろうか。

大人になるにつれ、自分の行

もっとみる

〈エッセイ〉変化と思考に関する一考察

生活の一部として日常的だった状況が、いつの間にか特別なものに変貌することがある。
食堂のまずい料理、自動販売機で売っているお気に入りのジュース、何となくいつも手の届くところにある教科書。
ありふれた日常が特別なものに変化するのは、おそらく環境が変わって以前の当たり前が通用しない生活に移ったときだろう。

また、日常的に触れているものが、本来そうでないものだったかもしれないと気づかされるときがある。

もっとみる