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#8 在住歴マウントありますよ

ベトナムはホーチミン市で暮らす上で、私はいくつか気をつけていることがございます。
見知らぬ人を信用しない、スリやひったくりに気を付けるのはもちろんですが、そういった当たり前のことに加え、SNS上での他人の勘違いや間違った発言を訂正しないということがございます。これは、もちろん私も含めてですが、勘違いであったり、間違えて覚えてしまった内容であったりと様々ですが、SNS上に投稿された当地ベトナムの情報の中には間違った情報が結構な数あると思われます。

そういった情報を指摘した際において、顔を見知った者同士ではないがゆえにお互いの心情を測ることが難しく、また中にはその知識・知見をパーソナリティとされている方もいらっしゃいますので、お相手の気分を害してしまう場合がございます。ですから、間違いを指摘する場合においては大変な配慮が求められ、非常に手間のかかる作業となります。
そのような理由から、面倒なことは避けたい私としては、自分の投稿に対していただいたコメントに間違いがあったとしても、その指摘はせずに当たり障りのない返信をするように心がけております。

これについては、私が若い頃に水商売に従事していた際、大変お世話になった方から教わった言葉がいまでも染み付いているのではないかと考えております。
どのような内容かと申しますと『お客さんと政治、宗教、野球の話しをするな。する際には自分の意見を言うな』という教えになります。当時の私においても、これは神経を使う内容であるゆえ、時と場合によっては相手を否定しかねない内容になってしまう話題であることが大変よく理解できました。
また、これに加え、『お客さんの話しの腰を折るな。男芸者たれ』といった薫陶もよく受けました。

どうもこの辺りが、その後の私の対人関係における基礎となった気がしており、多人数の場や公の場においては、相手の話題に寄り添い会話をつなぐよう心掛けるようになったと感じております。
この教えをいただいた方は、いまではお年も召されておりますが、矍鑠と現役で活躍されており、また、いまだに私のことを大変に気をかけていただき、足を向けて寝られない方の一人であります。
ちなみに、『水商売』『男芸者』といった単語は出ましたが、私が従事していた仕事は、それほど色っぽい仕事ではなかったこと、そのお世話になった方は大の横浜ベイスターズのファンで、いつもその話しをしていたことをお伝えしておきます。

この街では多くのことを学びました

さて、表題にある『在住歴マウント』についてですが、私も数こそは少ないですが経験がございます。
また、このマウントについての余談ですが、この他にも当地においては、なるほど社会主義国らしい『役人や警察、軍の上層部の人物と懇意にしているマウント』、さらには『ベトナム人彼女の実家訪問マウント』、『バイクに乗っているマウント』、『運転免許証を持っているマウント』などという、そもそもどこでマウントを取るのか理解に苦しむものまであると聞いたことがございます。
ちなみに、差し出がましいようですが、ベトナムにおいても無免許でバイクを運転することは違法ですので、きちんと免許証を取得した上で運転をしましょう。

ご旅行の際にバイクをレンタルされる方もいらっしゃいますが、レンタルサイクルもありますので、そちらのご利用をお勧めします

それでは在住歴マウントに話しを戻しまして、そもそも在住歴マウントがどのようなものなのか、私の理解を述べさせていただきますと、文字通り長く当地に在住していることに優位性を付与、誇示する行為になります。
具体的には長年の当地での生活、その間に得た知識と経験をひけらかし、時に相手を否定することにより、尊敬と羨望を得られると勘違いをする行為であると考えております。

当然ながらこれは人々から嫌われる行為であり、そもそも他人が何年住んでいるかなど気にしなければいいのではないかと思うのですが、不思議なことに当地ではじめて会話を交わす同郷の方々は、「はじめまして」の挨拶の後に決まって「何年お住まいですか?」の質問が続くのであります。
相手の在住歴とは、話しの糸口をつかむのに有益な情報であると思うので、この質問が頻繁に使われるのだと思いますが、私はその年数に応じたコミュニケーションを図ろうとする行為、つまりこれも一種の在住歴マウントではないかと訝ってしまうのであります。

『住んでいる場所(アパート)マウント』もあると聞いたことがあります

さて、前置きが長くなってしまいましたが、そろそろ私が経験した在住歴マウントについて話しを移させていただきます。
なお、この話しは実際に関わった方もいらっしゃる話しであるゆえ、時期、詳細などはぼやかし、事実に大幅な改変を加えた上での内容であることをご了承ください。

まず、以前にお伝えしましたがあらためて、私は当地ではほとんど日系の飲食店に行くことはございません。また、仕事関係の友人知人はほぼおらず、来越時に知り合った方々が帰国や他国に行かれてしまった後のここ数年は、一緒に日系の居酒屋にて飲み、語らう相手がいない状態でありました。
しかし、ある時期にひょんなきっかけからある男性と知り合うことになります。

日系ではない『ローカルの日本料理店』もかなりの数あります

詳しくは記せませんが、『ひょんなきっかけ』が理由で、お相手の方は私の在住歴を知らず、たまにメッセージアプリでやり取りをさせていただく間柄でした。
そして、その男性についてですが、詳細については伏せさせていただきますが、私とほぼ同じ年齢で、当時ベトナムに来られて一年ほどだったと記憶しております。ギラギラした感じの精力的な方で、積極的に迫ってくるタイプ、ここでは仮に『みつ夫さん』とさせていただきます。

さて、そのみつ夫さんですが、その見た目に違わず、なんでも毎晩のように日系のお店が多い地区を飲み歩いているようで、その辺りのお店ではちょっとした顔である、のようなことをおっしゃていました。
そんなわけですので、その日系のお店が多い地区で見かけることのない、在住歴不明の私をホーチミン市に来てまもない人間だと勘違いされたようでした。そして、そんな『在住間もない知人のいない寂しい男』に同情されたのか、ある日のこと行きつけのお店を紹介するから一緒に飲みに行こうと誘われるのでした。

コロナ禍の頃のその日系のお店が多い地区。いまはもっと活気があります

そんな男気のあるように思えるみつ夫さんですが、正直もうしあげると私の苦手なタイプであり、お誘いを受けたものの、あまり気乗りがしませんでした。これはあくまで私の印象となってしまうのですが、どうも言葉の端々から受ける印象が、どこかベトナムのみならず東南アジアという地域を下に見ているような印象に見受けられたのです。
しかし、その方と知り合った『ひょんなきっかけ』のしがらみもあり、無下に断るわけにもいかず、適当に付き合った後に早々に退散しようと計画して、待ち合わせの居酒屋に向かうのでした。

そのようなわけで、重い足取りで待ち合わせのお店に入るのですが、みつ夫さんはだいぶ前に到着されていたようで、すでに何杯かのお酒が入ったのかすっかりいい気分です。
なんとなく嫌な予感がしたのですが、まさかここまで来てこっそり帰ってしまうわけにもいかず、とりあえず、遅れてはいないのですが遅れた非礼を詫び席に着きます。

みつ夫さんは私の詫びに「気にしない。気にしない」とおっしゃってくれるのですが、こちらも遅れたわけではないので、はなから悪いとは思っておらず、まずは乾杯となります。
そして、話しは他愛のない「どこに住んでいるの?」や「毎日どこで食事をしているの?」など、みつ夫さんからの質問で始まり酒が進むのですが、想像に反してみつ夫さんは意外と気さくな感じでありました。
ところが、案の定といいますか、一通りの私の背景が伝わったあたりからベトナム、ホーチミン市についての、『在住間もない知人のいない寂しい男』向けのレクチャーが始まります。

おおよそ既知の内容ばかりでありましたが、時に驚嘆の声をあげ、また感嘆の言葉を返しつつ聞き流していたのですが、中には聞いたことがないような素っ頓狂な話しもございました。
いくつか紹介しますと『事故が多い通りではよくバナナが売られている(これはもしかしたらあり得る話しかもしれません)』や、こちらもバナナネタですが『ベトナムではバナナは不浄な果物だからみんな食べない(そんなわけないです)』、『〇〇省出身の女性は××××(経験ありません)』など、一体誰から伝え聞いたのだろうと、別の興味をそそられる内容でございました。

みつ夫さんは何かバナナに特別な思い入れがあったのかもしれません

私も、さすがにその妄想のような話しを他で広めてしまっては良かろうはずもないと思い、なんとか正そうとするのですが、少しでもでも水をさそうものなら『在住間もない知人のいない寂しい男』に指摘をされることは気に障ってしまうらしく顔を顰めるので、私もなかなか指摘をすることができません。
そして、みつ夫さんもそんな空気を察してか話題を変え、「普段どこで遊んでいるの?」といった当たり障りのない質問を私に振ってきます。
話しの流れからいって、この場合の『遊ぶ』とは週末の日中に太陽の下、爽やかにおこなわれる活動などではなく、一杯飲んだ後に飲み直す、つまりは女性がいるお店のことを指していることは間違いございません。

正直なところ、私も以前はスナックに毛が生えたようなガールズバーに " 仕事上の都合 " よく通ったものでした。 
しかし、その後の仕事の内容の変化やその他諸事情により、すっかり女性がお酌をしてくれるようなお店からは足が遠のいておりました。
わざわざ以前に通っていたお店の名前をあげたところで、数年も経てば女性も入れ替わり、当時といまとでは別の店のようになっているだろうと思い、「遊びに行っていません」とだけお答えしました。

業種こそ変わりませんが、来越当時とはだいぶ職種が変わったように思います

するとこの分野においてもみつ夫さんは『顔』であるらしく、お店の名前をいくつも挙げては、得意げに公然の秘密のような裏話をいくつもされては興がのってきます。
そのような流れから、みつ夫さんの行きつけのお店に飲みに誘われるのは必然で、私としてもこの雰囲気では帰りづらくもあり、とはいえこのままこの場での会話を続けるのもいささか苦痛になってきていたので、この申し出を受け入れることにしたのであります。

さて、そのような流れからガールズバーに河岸を変えるわけですが、これが何の因果かみつ夫さんがドアを開け入った先は、かつて私も来たことのあるお店です。
私としては、この状況で見知った顔に再会するのは気まずいものがあるのですが、さすがに数年前のことなのでスタッフも変わってしまっているだろうと腹を括り後に続きます。しかし、これまた何の因果か、みつ夫さんの肩越しに店内をのぞくと、ほとんど当時と同じ顔ぶれの女性が並んでおります。

そして、みつ夫さんが慣れた足取りで店内に入ると、女性たちはみつ夫さんに気づき、けたたましい声を上げ、手を引いて席につかせます。
なるほど、おっしゃられたようにみつ夫さんはこのお店では顔らしく、カウンターの一番奥に陣取った彼の周りには女性が群がり、やれおしぼりだ、キープしてあるボトルだ、氷だトニックウォーターだと歓迎されています。
これチャンスとばかりに、この隙に私も目立たないようこっそりと店に入ります。

ところで、このようなお店で働く女性に私が関心してしまうことの一つに、彼女達の記憶力の良さがあります。彼女たち、特に仕事のできる方ほど、お客さんの顔と名前を忘れることがなく、場合によっては何気なく話しをしたその内容まで覚えていたりします。
これは本当にびっくりするほどの記憶力で、最近も街中で私に声をきた女性がいらしたのですが、相手は私のことをしっかりと覚えていらっしゃるのですが、私の方は全く記憶にありません。しばらく適当に話しを合わせた後に別れるのですが、その後その女性と思しき方から Zalo というベトナム独自のメッセージアプリにメッセージが送られてきます。どうやら連絡先の交換もしていたらしいのですが、私の方はそのメッセージをいただいても、その女性を思い出すことができませんでした。

ガールズバーも楽しかったですが、いまは落ち着いて飲める場所が何よりです

そして、ここまで話してしまった以上、有り体にもうしあげると、このお店は私にとって来たことがあるどころか、かつて遊び尽くしたお店でありました。お店に大量のお金を落としたのはもちろんのこと、彼女達とは休日にはハイキングやボランティア活動、何名かの実家訪問までしておりました。
ちなみに、誤解なきように補足させていただきますと、当地においては異性の実家を訪問することは特別なことではなく、ゆえに特別な関係の間柄にのみにおいておこなわれる行事ではないことをお知りおきください。

さて、そのような前提において、女性達が店に入ってきた私に気がつくとどのような状況になるか。
まるでウッドストックのステージ上に立っているかのような音量で私の名前が連呼され、「いままで何していたのか?」「日本に帰国したのではないか?」「なぜ店に来なくなったのか?」「結婚したのか?」など、矢継ぎ早に質問が浴びせかけられます。それと同時に何名か退職したスタッフについての報告もあり、ある女性は結婚したり、またある女性は韓国に移住したり、企業に就職したりと、轟轟たる金切り声の中、彼女達の近況も知ることになります。

こうなると私も得意満面、わずか一二年程度の在住者には負けてはいられません。持ち前の酒が入った際のノリの良さを惜しげもなく発揮して彼女達を盛り上げます。
そのようにしばらく盛り上がった後にみつ夫さんに目をやると、一人呆気に取られた様子でそんな私の様子を見ては会話に入る機会をうかがっているようでした。
そして、目が合ったのを契機に会話に参加したみつ夫さんが、私になぜ彼女達と知り合いなのかを尋ねてきます。
ここにいたってようやく、「私、ホーチミン市には〇年住んでいて、このお店は以前によく通っていたのですよ」と、私のみつ夫さんより長い在住歴を告げることができたのでした。

ある女性の実家に招待された際に、終日家の床の修理を手伝わされたことがありました

その後、私とみつ夫さんは再会の約束をしてこの夜は別れるのですが、それ以降みつ夫さんからお酒のお誘いはおろか、メッセージアプリを通じての連絡も一切なくなってしまいました。おそらくすでに帰任されてしまっているとは思いますが、お元気でいらっしゃいますでしょうか。

さて、以上が私が経験した在住歴マウントの顛末になり、お気づきかと思いますが、計らずとも私が在住歴マウントをとったという話しになります。なるほど、在住歴マウントという行為はやられた方にとっては苦痛ではありますが、やる方は気持ちのいいもので、この行為がなくならない理由が理解できた事例でした。
なお、本文をお読みの皆様におかれましては、私が友人の少ない理由を邪推されないことを切に願います。

カールズバー(写真はイメージ?です)

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