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銀ソーダ個展「space-私がつくる境界線」鑑賞

衝動的であった。
「見に行きたい時が作品を最高によく見れる日」とは誰の言葉だったか覚えていない。
覚えていないのも当然であって、つまりは今思いついた私の言葉である。
しかしながらこれは間違っていないだろう。
博多駅近くのカフェで午前中からお昼にかけて参加した読書会を終え、私はそのまま電車に乗り、赤間駅に降り立ったのである。
目的はgallery wabiで開催されている銀ソーダさんの個展「space-わたしがつくる境界線」を見るためである。
ほぼ勢いであった。タイミングというか。
期間は7月25日まで開催されていたので来週にでも行こうかとぼんやりと思っていたのだが、偶々博多駅近くに用事があって、偶々小物入れの中にフライヤーが入っており、偶々天気も良かったのでふと電車に揺られるのも悪くないと思ったのである。
まあ天気は良すぎて焼けるかと思ったほどなのだが。
ギャラリーは駅近くの建物の2階にあった。アパートの一室をリノベーションしたような可愛らしいギャラリーであった。
真っ白な壁がとても印象的で、その壁に銀ソーダさんの作品が展示されていた。
銀ソーダさんは青を主体とした抽象表現の作品である。アクリル板を使った絵の具を伸ばしたような「面」とチューブをそのままペンのように描く「線」とで構成されるといえばわかりやすいだろうか。
それを銀ソーダさんは大きな画面に描く。キャンバスに大きく、のびのびと。線に躍動が残っているのが個人的に思う銀ソーダさんの作品の魅力だ。
その大きな作品から銀ソーダさんは画面を切り取る。作品の一部を小さな作品として展示するのが最近の傾向だろうか。
それは私のような鑑賞者にとっては作者の目線をダイレクトに見せられているようなもので作品の一つ一つは作者の覗く顕微鏡のようなものだろうか思いながら見た。大きな作品では目立たない筆致が切り取ることで迫力を増すというか。
この筆致は是非実際に見て欲しい。絵の具によって変わるツヤはもはや色気である。ガサガサした布地の上に乗ったツヤツヤの絵の具は画像で全てを伝えることはできない。
さらにそれらの小さな作品は水色の紐で囲われている。これはパネルに貼る前の元々の大きさを表しているのだが、額縁ではない紐という「境界」はメリハリがなく、心地よい曖昧さでギャラリーの壁と作品との間の境界をとろけさせる。今回の展示ではとても一体感を感じたのだ。相性がいいと思った。
思えば銀ソーダさんの最近の活動はどれも境界がハッキリしない。公開制作などもしているが、これも展示といえば展示で製作といえば制作であるし、作品自体がその後形を変えてまた展示されたりするので「完成」という言葉も曖昧な気がする。
しかしその曖昧がいいのである。特に今回の展示では作品と壁の境界が曖昧に感じ、それが全体に広がったことで一体感を感じた。
曖昧が広がってメリハリがついたのである。
曖昧とメリハリの境界もまた、そう考えると曖昧なのかもしれない。

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