NO:007【ものの発展】
皆さんは、『もの』について、どう考えて使っているでしょうか?
例えば、【コップ】と言う小さな容器について考えてみると、人間が水を飲む時、最初はそのような容器は存在せず、川や湖などに直接口を付けて飲んでいたでしょう。それはまさに野生動物の姿である。
しかし、人間は、自分の手の平で水を掬って飲み始めた。
やがて、そこから木の葉や石の器などに、水を入れて飲むようになり、それは【もの】と言う道具を使い始めた証拠である。
やがて、それらの【もの】は、発展して、縄文土器などの土を焼いて作った器などを生み出して、より使いやすい形へと変化させていった。
そして、時代が進み、文明がさらに発展して来ると、ガラスのコップや木を組み合わせて作られた升や陶芸などの芸術性の高い器が開発され、やがて、コップと言うシンプルなデザインにまで変化して行った。
さらに、人はそこにさらなる欲を注ぎ、飲み物に合わせた【コップ】の種類(ワイングラスや湯飲みなど)をいくつも生み出し、最終的には、落としても割れないような【コップ】にまで発展させた。
このように、私達の日常にあるありとあらゆる道具はそう言った先人たちの欲から生み出されたものであり、もっと良くしたい、もっと便利にしたいと言う欲望から生み出されて発展して来たのである。
現代社会を生きていると、そのようなことに気が付くことができずに、今あるものが標準装備になっているため、この価値やありがたさを理解できない。
別に、それはそれで生きていく上では問題はありませんが、アニメや漫画などの創作物を生み出す作家にとっては、そのような言い訳は通用しません。
その理由は、【ものの発展】を理解することが作品をより良いものにするための必要な知識だからです。
今回は、【ものの発展】がいかに日本のアニメや漫画などの創作物に関係があるのかについて語ろうと思います。
1:ものの発展の例
まずは、ものの発展の例をいくつかあげておこうと思います。
【容器】
私達が生活をする上で水などの液体を入れる入れ物が必要になります。
例えば、今では当たり前に使っている『ペットボトル』。
こんな軽くて加工しやすい便利な道具が誕生する前は、どのように飲料水を入れて保管していたのでしょうか?
自分の知る限り、液体を入れるものは、以下のものがあり、この流れで発展して来たと考えられます。
『桶』『樽』『竹筒』『鉢』⇒『瓶』⇒『水筒』⇒『ペットボトル』⇒『さらに柔らかく軽いペットボトル』
液体を入れるものの最初は、石などの硬いものから始まり、木を加工して作り出された樽や桶などが開発され、水を溜めておく道具として使われていたと考えられます。
水筒が存在していない時代は、竹筒などに水を入れて持ち運びしていた様子が、時代劇や江戸時代などの古い時代を題材にした作品などで確認できます。
液体をため込んで置く容器は、最初、大きなものであり、やがて、運びやすいようなものへと発展し、さらに、瓶などの重い容器から軽くて使いやすいペットボトルなどの物へと進化したと考えられます。
【明かり】
私達が生活する上で明かり=照明は必要不可欠なものです。
夜になれば街中で電灯が付き、夜でも明るい光源の中で生活できます。
しかし、明かりとなる光源を生み出すことができなかった昔の人々はどのように生活をして来たのでしょうか?
答えは簡単で、昔の光源は、太陽であり、日が昇ると共に人間は活動し、日が沈むと眠りにつくのが自然の摂理であり、夜は、月や星の光に照らされていたと考えられます。
そこに【火】が登場し、焚火をすることで人々は、夜でもある程度の光源を手に入れることができ、松明や蝋燭、行灯、ランプ(ランタン)などの道具を生み出すことで、夜でもある程度、生活ができるようになった。
そこに今度は【電氣】が登場したことによって、照明になる電球が開発され、そこから蛍光灯が生み出されて、最終的に現在はLEDライトと言う形にまで発展して行ったと考えられます。
『太陽』『月』『星』⇒『焚火』⇒『松明』『蝋燭』⇒『行灯』『ランプ/ランタン』⇒『白熱電球』⇒『蛍光灯』⇒『LEDライト』
このように2つの例は、これだけの発展と進歩を遂げて現代社会に溶け込んでいるのです。
この【ものの発展】を理解した上で作品を作ることは、登場人物たちがその時代を生きていることを証明する小道具の一部となり、多くの名作はちゃんとその時代ごとの【ものの発展】を理解した上で制作されてきました。
しかし、現在の日本のアニメや漫画は、この【ものの発展】をちゃんと理解して使用することができず、時代背景の矛盾や違和感などを生み出す要因となっています。
特にこのような状況になった理由は、共通して、【なろう系】の作品が台頭して来たことが原因だと考えられます。
2:【物の発展】と【なろう系】
【なろう系】とは、ライトノベル・漫画・アニメなど、日本のサブカルチャー分野における物語の類型の一つであり、主に無料web小説投稿サイト『小説家になろう』に投稿される作品のことを指します。【なろう系】と【異世界もの】は、ほぼ同じ意味となっており、【なろう系】の大半の作品のジャンルが【異世界もの】であるためそう定義されている。
【ものの発展】の定義を理解できない作品が多くなった原因が、【なろう系】の作者の大半がプロではなく、素人の寄せ集めであり、プロと違って、基本的に自分の欲望のはけ口のように作品を作ってしまうことが原因だと考えられます。
そして、【なろう系】の幼稚な作品を日本の大衆が受け入れてしまったことによって、日本人の感性や教養レベルが落ちてしまったことにより、本当に良い作品と駄作の見分け方が分からなくなってしまい物事を見通す力が失われてしまったことが原因なのだと考えられます。
だからこそ、【ものの発展】の定義を理解して作品を作ることが求められるのです。
ここで【ものの発展】を理解していない三流作家の酷い作品を2つ例にして語ります。
1つ目は、『聖女の魔力は万能です』と言う作品です。
典型的な【なろう系】の作品であり、作者の欲望が色濃く出ている作品である。
第2話において、主人公の小鳥遊 聖(セイ)は、異常なほど大きな洗面台で顔を洗っている。ここに【ものの発展】の不理解が発生している。
まず、第1の疑問は、なぜ、洗面台があるのか、と言う点である。
例えば、現代社会を生きる私の地域(東京都内)では、停電が起こった時、水道もガスも使えなくなってしまった。これは、水道を使うのにも電氣が必要であることを示しています。
勿論、停電時でも水道を使える地域があるみたいですが、水道を管理している水道局では、電氣が必ず使われています。
つまり、電氣が私達の生活システムを運営する上で必要なものであると言うことです。
それにも関わらず、なぜか、異世界に行っても水道があり、蛇口があり、水が私達の世界と変わりなく使えることは不自然極まりないことなのです。
異世界の生活文化の設定で、魔法を使ってこのようなシステムを構築していると言う設定ならば問題がないのですが、作中に出て来る光源が、蝋燭の火で生活しているのであれば、そのようなシステムはまずないでしょう。
つまり、この世界には、電氣もガスも水道もないのです。
なのに、水道があり、蛇口をひねれば出て来ると言うのは完全に作者や制作スタッフが【ものの発展】を理解して作っていない典型的な例になるのです。
では、プロの作家や制作スタッフが作った作品はどうなるのか?
それは『世界名作劇場』が一番の参考になり、そこに答えがあります。
例えば、『赤毛のアン』や『愛少女ポリアンナ』などで、当時の生活環境をちゃんと描いている描写がいくつもあり、井戸や井戸ポンプなどがちゃんと描かれています。
また、洗面台は当時まだ、ちゃんとしたものは、一部のところにしかなく、当時の人達は、
顔を洗うための桶と水を入れておく瓶があり、これを使って顔を洗っていたことは作中で主人公たちの日常描写で描かれています。
つまり、【ものの発展】をちゃんと調べているため、このような矛盾のない作品が作れるのです。
そして、この名作たちを参考にするならば、『聖女の魔力は万能です』の主人公の小鳥遊 聖(セイ)は、アンやポリアンナのように部屋に置かれた桶と瓶で顔を洗うことが、この作品において求められる本来の姿だと言うことなのです。
2つ目は、『ひきこまり吸血姫の悶々』
【なろう系】ではないが、素晴らしほどの【ものの発展】ができていない例としてピッタリのクソアニメである。
この作品も面白いことに、第5話において、主人公のテラコマリは、小説家を夢見ており、舞台は中世ヨーロッパのような時代のお城や建物が出て来る中で、その時代に使われていたと考えられる当時の紙に自分の小説を書いている。
ここまでは問題がないのだが、そのあと、なぜか、現代社会と同じように自分の顔が印刷された『コピーTシャツ』が出てきます。
これは完全に、おかしな話であり、現代社会の価値基準のものが出て来るとするならば、紙も同じようにコピー用紙を採用すればよいのにも関わらず、なぜか、昔の当時使われていた紙を使用すると言う矛盾が発生しています。
これはあまりにも露骨すぎる問題であり、作者や制作スタッフ側の配慮で簡単に矛盾を解消できたでしょうが、本編の作画や演出など、あまりにも制作スタッフが少なく、放送を落としたり、作画崩壊している様子からよっぽど余裕がないのでしょう。
このように、【なろう系】の作者の大半は、【ものの発展】を理解せずに作品を作るため、不自然極まりない矛盾に満ちた作品を作る傾向が高い。
自分たちの生活(現代)にあるものは、全て同じように向こう側にあり、私達の生活にあるもの全てが異世界にも全て揃っていることを前提として描きます。
つまり、異世界に行っても私達の日常が送れることは最初から必須条件になっているのです。
しかし、そもそも【なろう系】が作り出す作品の大半は、RGPゲームである『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などのファンタジーゲームが参考にされて制作されます。例に挙げた2作品はどれも名作であり、製作側が、ちゃんと時代背景や当時の生活などを調べた上で世界観を構築しているからこそあれほどの名作が誕生するのです。
この流れを踏まえて、【なろう系】の【異世界もの】について語ると、【異世界もの】の舞台の大半は中世ヨーロッパがモデルになり、全てがあの中世ヨーロッパの文化基準になっているのです。
そうなると、現代社会を生きる私達の生活にあるものの大半は、中世ヨーロッパの時代にありません。
さらに、魔王や魔物や戦争を常にしているような世界で、生活面のライフラインを整えているゆとりはなく、常に荒廃した生活環境で生活することになるのは必須条件になる。
そして、電氣もガスも水道もなく、水を得るには川に行くか、井戸から水を汲み上げなければいけないし、また、水道もないので水洗便所もありません。
もし、そんな生活が待っているとするならば、例え、魔法やチート能力を与えられたとしても、異世界になんか行くでしょうか? 行きませんよねぇ。だって、想像できます?
常に、外には魔物が徘徊し、そこで暮らす人々は、私達日本人が日本で暮らすように、夜でも大抵明るくて、女性が夜中に歩いていても無事でいられるような世界ではなく、一歩間違えれば、襲われて強姦され、挙句の果てには殺されるか、人身売買の奴隷にされるなどの危険性を孕んでいる治安の悪い世界なのですよ。
さらに、夜、何もない場所でトイレをして、トイレットペーパーもなく、真冬なら今みたいに安易に暖房のスイッチを入れることができず、焚火をしたりしなければいけない。
そのような生活を現在の甘やかされた世界で生きているしかも、その世界で親の助けがなければ生きられず、ニートで引きこもりの人間が生活できるでしょうか?
できませんよねぇ。
だからこそ、【なろう系】は馬鹿にされるのです。
では、プロの作家とはどのようなものなのでしょうか?
答えは簡単で、そのような部分を逆に利用して作品のネタに変える人達のことを指します。
例えば、『人類は衰退しました』の第9話『妖精さんの、ひょうりゅうせいかつ』において、遭難した主人公は、妖精さんの力を借りて生き抜きます。
そして、浄水施設水道と水洗トイレなどを作ってもらいました。
この生活の落差についてプロの作家にしたらネタの宝庫である。
生活の不便さだけで、軽く10話以上描けるものなのです。
なのに、【なろう系】の作品の大半は、魔物の討伐や向こうで出会った嫁候補の話ばかりで、ハーレムや一方的な暴力を行使して自分を英雄視させることばかりに夢中で、幼稚すぎます。
本物のプロの作家は、売れなければいけないので、うけることを狙って、笑いを取ったり、燃えるような展開や魅力的な登場人物を出して、売れるように努力します。
私が言っているこの意見に対して、【なろう系】で何百万分も売れているじゃないかと言う意見があるでしょう。
でも、そのような意見を言うような連中は、その数字すらいじられていることすら理解できていないのです。
数字はいくらでもいじれます。いじればいじるほどデタラメになります。
それは、今の私達の生活の中に証明され、テレビの世論捜査の数字や視聴率など全てがでまかせであることはお分かりですよねぇ。 それと同じでこのような作品も皆嘘の数字をついていると考えらえられます。
もし、本当にそこまで人気作ならばなぜ、酷い作画や演出など手抜きをするのでしょうか?しませんよねぇ。ちゃんとしたものを作るのがプロであり、仕事なのですから。
そのような酷い作品を売るのは、確実に別の目的があり、売れていないから儲けるために数字をいじっているのです。
これが近年は特に酷いことになっています。
このようなでまかせでは、商売になりません。商売が成立していないのです。数字をいくら盛っても、クソはクソアニメなのです。
誰もお金だと決して払いません。
このようなデタラメが続くのは、どこかからのお金の流れがあるからです。日本のアニメや漫画は、世論操作や刷り込みの道具として使われています。
そのことに気が付くことができるようになった時、日本のアニメの恐ろしさを知るのです。
そして、本物の作家になれるプロの大半は、持ち込みやコンクールに応募して受賞して内部に入りますが、その瞬間、この世界の本質を知って夢を捨てるのです。
だから、まともな作品は生まれず、このような幼稚な作品しか出て来ないのです。
昔の名作をリメイクする理由も、他に作品がないからと言うものも理由の一つだと言えるでしょう。
日本のアニメも漫画も芸能の一部に過ぎません。
芸能には、それほどの大きな闇深さがある、それは、ジャニーズ事務所や宝塚歌劇団の事件の話をある程度理解して頂ければ、アニメ産業も漫画産業も同じ世界であることは容易に想像できるでしょう。
本物は決して自分の魂である作品を悪魔などに売り渡したりはしないのです。
*まとめ*
いかがであったでしょうか。
【ものの発展】を考えることは、作品をよりよくするための要素であり、それを怠ると、多くの矛盾や違和感を生み出し、駄作にしてしまう危険性を持っているのです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。