M#32 JUDY AND MARY「ラッキープール」

今回はJUDY AND MARYの「ラッキープール」です。
なんていうんですかね、この曲を聴くと幼かった日々が終わりになった頃だなって思いますね、今になって思えば。

JUDY AND MARYは私が十代前半の頃に
文字通りキラキラとしていました。
周囲の女子たちの多くがこぞって聴いていました(が、少なからずアンチファンもいた)。

聴くきっかけは、
クラスのオシャレでかわいいで有名な子にCDを借りたときです。
そのせいでジュディマリ(敢えて略称)を聴くと、今でもその子のことを思い出します。
目が大きな小柄なかわいい女の子。

それから、JUDY AND MARYの音楽は私の周りで絶えず絶えず流れていて
1998年のアルバム「POP LIFE」リリース後の活動休止後も流れていて
1999年に何もリリースがなかったと思えないほど流れていて
2000年に復活と言われても「あれ? いなかったんだっけ?」というぐらいの感覚でした。

「BrandNew Wave Upper Ground」は新しい曲調なんだなーと思いつつも
ジュディマリだなって感じはしたし、
まだ青い時代に浸っている私は何も違和感を感じませんでした。
あー、またジュデイマリの新曲でたぞ、ぐらいでした。

わかったはずもないけれど、JUDY AND MARYの裏側で何かが起こってたとか気づくはずもなくて
昨日できることは今日もできて、
今日出来ることは明日もできて、
ずーっと繰り返しても続く自由な日々を過ごしていました。

そんな頃に発表になったのが「ラッキープール」でした。

そんな頃に発表になったのがJUDY AND MARYの解散でした。

「何ヲ言ッテルンダ……?」

いまにして思えば、あの頃ぐらいで私の自由な日々は急激に収束に向かっていたのだと思います。
無限に拡散になることはない日々にいたんだと少しだけ気づいたのですが
当時の私は気づかないフリをしました。


ずっと自分の近くで流れていると思っていたモノが消えてなくなる
戸惑い、焦り、学びかけて、見ないフリをして、消えていくJUDY AND MARYを見送りませんでした。

この曲自体は解散と言われなければ
音自体は新しいモノを取り入れていますが、ジュディマリの新曲って感じでした。

「ラッキープール」は「プール」とつくから「夏」の歌詞なのかなと思って
「なんで冬なのに夏のうた?」
と思った記憶があります。
歌詞を見ると「夏」「冬」が一番にあって、「秋」「春」が二番に出てくる。一体、歌詞の中の主人公はどこにいるのか?なんだか曖昧だ。
そもそも知らない間に眠ってたって言ってるから夢の中にいたのか、本当に夢から醒めたのか?

よくわからないふわふわしたような世界観、YUKIさんが何を思って書かれたのか知る由もないですが
最後の歌詞がまだ夢にいるのかいないのかを曖昧にしたままで、曲は終わります。
シンセのアウトロが何とも切なく聴こえる。

歌詞の中に「終わり」を示すものはないし、絶望とかもないのに
なんとも言えない切なさと悲しさが入り混じった気持ちを残していくこの曲を
当時の友人の女の子もよく歌ってました。
「motto」も「BrandNew~」も「クラシック」も「そばかす」も「Hello!OrangeSunshine」も「DAYDREAM」も。
まだまだ周りでループしていました。

まだまだ周りで流れてはいるけど、JUDY AND MARYは消えてしまった。

時間は有限であるということを当時の私は感じてしまったのですが
まだ夢から醒めたくなかった私は
この曲の持つ曖昧さに浸りながら2001年の2月、3月と過ごしていくのでした。

ずっと続くと思っていたJUDY AND MARYがいなくなった喪失感を
誰かが歌うジュディマリで埋めておいて
それから数年先になって
夢から醒めなければいけなくなった頃にYUKIの「JOY」を聴いてしまうのでした。


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