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感謝への思い

今朝 目が覚めると同時に浮かんだのが 感謝」 という物に対しての
人の口から出てくる定義について
でした。
やらしい書き方で尚且つ「定義」の使い方が間違っているかもしれませんが

私は多分普通の方より 沢山の職種をかじっています。 それは生活の為でもあり 体の為だったりもあり
内容が好奇心の先であったり
色々でした。
なので沢山の職種の熟練の方 新米の方 教えられたり教える立場だったり
様々な体験もさせてもらいました。

50歳を過ぎた時10年勤めたパートの仕事を退職しました。夫がうつ病で仕事が安定せず私がパートではなく社員という形になれればと思ったからでした 
そして勤めたのは老舗の和菓子屋で
関東でも時期になれば有名なお店でした。社員というものの明細書は時給計算で950円×時間で計算されてましたが有り難いのは たとえ入社一年未満でも繁忙期をこえていれば「ボーナス」が支給される事です、それも結構高い、職人さんは袋が立つという噂を部外者であるときも噂で聞いている程でした。

なにせ老舗なので社員には厳しいです
ただそれは「人」としてというより
「奉公」している者と対してという感じを受けました。  
だいたいの事は「若奥さん」が
取り仕切っており 社長はそんなに
表に出てこず 何につけ若奥さん
・・といっても還暦過ぎておられましたが、大奥さんが亡くなられて
まだ一年たっていなかったので
そのまま呼ばれていたようです

何についても報告や指示は若奥さんからで注意も伝達で伝わってきます
何かを頂いたら「その時」「次の日」
または次に会った時に言わないと
お叱りが伝達で届きます
次の日といっても休日など挟んだり
たまたま会えなかったりしたら
忘れないように言わなければという
負担がかかります
ボーナスをいただくときは古い家なので居間の上がり口でひざまづいて若奥さんからの手渡しで受け取り「ありがとうございます」
次に会った時には「ボーナスをありがとうございました」と言わなければいけません 
当たり前といえば当たり前です
でも・・
「感謝」とは?
となる私

そもそも日本の「お返し制度」は子供の時からの不思議でした
「なぜお返し込みのお祝いまたはお悔やみなんだ?」

私の結婚が決まった時 母は私を連れて「内祝」なる物を買いにギフトショップに出向きちょっとおしゃれな急須を何十点も発注した
「足りないよりあまるくらいがいい」とかなりの数だった
小娘の私には「あまったらもったいない」としか思えなかったが、ご近所 親戚 仕事関係の方
なんだかんだあまらなかった
少し足りずまた買いに行っていたようだった
お祝いをいただき決まりごとのような台詞に絶妙なタイミングで
「つまらないものですが」的に
内祝の品を渡す 相手もきちんとした
タイミングで「そんなそんな・・返ってすみません」てな感じでそのやり取りは厳かに終わる 私はそういうのが
なんとも苦手で 出すタイミングと
受け取るタイミングのうまさ それと
「用意されている感謝の品」に対しての理解も実践も出来なくてこの茶番劇の主人公であることが苦痛でならなかった

日本は素晴らしい国です
それは本当にそう思っています
礼儀 作法 秩序などなど他の国が魅了されるのは当選です

がしかし、苦手でした

あれから40年・・今還暦
50歳まではごくごく普通に子供の成長に合わせ、またはやりたかったことに出くわしたりで 辛いことやしんどいこと アクシデントもありながら
乗り越えて乗り越えて振り返れば
「仲間」との時間を十分に楽しんできた私でした
様子がかわってのはこの和菓子屋に勤めた時からでした
これで夫を養うぐらいのつもりでした
「製造」という部所にはいったので
職人さんたちの製造補助の仕事でした
最初の1ヶ月程過ぎたころ、お店の支店に出している「お茶屋」のウエイトレスのような仕事を若奥さんの思い付きで言い渡され 平日は「製造」土日は「お茶屋」となり制服(といつてもTシャツにスカート、三角巾だけど)を渡され二刀流となりました
たまたま前職が大手スーパーで玩具の担当をしておりお客さん相手になれてるだろうということでした
しかし私の「透明人間」はここから
始まりました
お茶屋の営業時間は製造工場より
1時間長く繁忙期を過ぎてもしばらく
それは続きます その「残業取得」に関して不満をもった先輩方は平日私が
いてもまるで私が見えていないかのようになりました 
最初は会話の途中で少し入ってみたりしたのですが 私がはいると会話が沈むのでやめました
(これがいわゆるハブるというやつか・・) と確信してからは
一切会話に口を挟まず繁忙期もあって手だけを動かし 土日はいないという
数ヶ月を送りました
そんなに気の弱い人間でもありませんがさすがにそんな状況が続き周りの人も気づき始め「助けてあげられないサイン」がほんのちょっとした事で伝わってきはじめると
自分を攻撃するようになります
「私がいけない人間なんだろうか?」
「私はダメな人間なんだろうか?」
「私は普通の人ではないんだろうか?」
「私は人からあからさまに嫌がられる人間なんだ」となる

久しぶりに会った娘に開口一番
「お母さんさ、普通だよね?へんな人じゃないよね?」
と泣き出した事を思い出します

何とかして辞めなければ私が私でなくなる気がしました

その時の私には問題がいくつかありました
「うつ病の夫に対する気持ち」
「家計の逼迫」
「仕事の人間関係」
毎日イメージノートに書き連ねるのは
その全てからの解放でした
人生でここまで追い詰められた感じは初めてでした
そんなある日
「家を売れるうちに売る」という
夫の一言が まるで状況を一転させました 一円たりとももらわず離婚しました 2ヶ月後には車のローン45万円をもったまま24万円の貯金通帳を広げてアパートにいました

「夫と離婚」
「家計を考える必要なし」
「転居を理由に退職」

みっつの問題が一度に全て片付いてしまったのです
それも繁忙期を過ぎてたのでボーナスはいただき それが引っ越し代の手助けになりました
絶妙なタイミングでした
まるで望んだ生活になるべくしての
苦痛の日々だったかの様でした

そしてそれからの生活は働いてばかりでしたがお金に不自由はなく潤いで
私はそれを幸せだと思い込もうとしていました なんだか違うなぁわたしなやりたいことって・・を消そうととりょくしていましたが、結局人の願望は現実へと向かいます
心の充実を望んでいた私に次の試練がやつてきました
そしてついに
安定の収入を棄てて 手に職を持つ事を選びました
それはずっと思い描いていた願望に向かっての舵の切り替えでした

そして今 お金にはめぐまれていないけれど時間に恵めれ 得るものの多さを体感している

「私」という者がどういう者なのかをやっとほんのりわかってきた気がする
見えないものほど必要なもので
それに幸福感を持てる事がどんなにラッキーで大切な事か・・
今の仕事もこれで離れようと思っている お金も時間も共に充実したい

「3年奉公」がもうすぐ終わるのをきっかけにまた私は冒険の方へ舵を切る

素晴らしい技術の持ち主である人について足元にもおよばないがそれを
知れた事 そして今までの数々の経験が役にたっていること

苦しかったことがあってこその
「今」であり
「今」の苦しさを乗り越えられている
この思考回路も困難によって
作られ養われ、助けになっていること

どこの職場にもいました
「してあげたのにお礼も言わない」

感謝
とは?
どちらからの立場の言葉なのか・・
これは一つ間違えば非難されるやもしれないけれど

感謝とは 「ありがとうと思う事」
であり 「ありがとうと思えという事」ではない
してあげるということは
「奉仕」与えるにとどまる

おかしな事が当たり前にいわれている
「お礼を言うのが当たり前」
そうです 当たり前です
でも これはお礼を言う方が言う言葉で奉仕をした方が言う事葉ではない

ここまでの人生でかなりの
「してあげたのにお礼も言わない」
を普通の言葉のように聞きながら
お腹にははいらずにきた
今もその台詞を聞くと
「この人もか・・」と残念に思う
「ありがとう」の言葉は人と人を繋ぐ
エネルギーを持つとてもすごい言葉です 「思い」というものが伝わる素晴らしい言葉です
だからそれは子供たちに伝えていかなければ、きちんと教えなければいけません
ただ「してあげたのにお礼も言わない」というのは真逆の気がします
私には「はてな?」の世界なのです

奉仕は自分の意志での行動のみ
「ありがとう」は感謝の言葉
もし奉仕したことに感謝をいただけたら 感謝してくれたことに感謝をする

そんな「ありがとう」の世界に
身を置くには その世界を自分でつくるしかないのだなぁ
と 目が覚めた時に感じたのでした

書いているうちに脱線したかなぁ・・

これまで私を助けてくださった方々
大好きな方々
私に苦しみを与えてくださった方々
好きにはなれない方々
そして家族

すべての人に
今心から感謝します

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