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友人の死は時代に問いかけてる

昨日の雪はみなさん、大丈夫だったかな?
私の住むところは降りも積もりも少なくすみました。(でも今日は在宅🏠)

今日は少し、センチになるお話。
コロナ禍、今から1年半前くらいになるかな。
ヨガインストラクター 友達が自害をしてしまった。
いつ会っても笑顔でキラキラしていた友達。
悩みはちょこちょこ話し合ったりしてた。
でも、コロナ禍になり人と人が会うことを良しとしない時、突然、もう1人のヨガインストラクター 友達からの連絡で、「Aちゃんが。。息を引き取ったよ」って。
私は「え?だって1週間前に、元気?ってLINEしたばっかりだよ?え?なんで、どうして。。」
頭の中でぐるぐるとAちゃんの死を受け止められない自分と、電話に向かって「どうして?何があったの?1週間前にLINEして会いたいねって話してたんだよ。」と冷静になって話をする私。
Aちゃんの最後に会えないまま、散骨式でさようならをした。

悲しみと苦しみはすぐに私を襲ってきて、ぐるぐると私に巻きついて「どうして、1週間前のLINEの時に気付いて上げられなかった?」と、もう1人の自分が私に怒鳴りつけてる。
そう、どうして気付いてあげられなかったの…。
何度も自分を責めた。
私はこの日からしばらくの間、気持ちの浮き沈みがはげしくなっていく。

人の死は、特に自害は、その時代や生きてきた軌跡を反映させている。
人の気持ちは何かをきっかけに簡単に折れてしまう。
命をなくした友達、命がなくなってしまった友達を見送る私。
今の私には、命をなくしてしまった友達が幸せなのか不幸せなのか分からない。
でも、でもね、天国でいつもの笑顔で笑っていてほしい。
そして、幸せだよって、ひとこと、会いにきて教えてほしい。
現実は会えないけど、人には魂がある。
ヨーガの世界では肉体と魂は別々で。(私はヨガのインストラクター。)
肉体🟰借り物
魂🟰自己
とされていて、肉体は天からの借り物、肉体が滅びてしまったら、いつかお別れしないきゃならないのだけど、魂はいつでも自己のもの、そばにあるもの。
肉体が弱っていたらメンテナンスが必要だし、魂も弱っていたら蘇らせなきゃならない。
そのバランスを感知するのがとても大事。
痛みや苦しみは時間と共に解決できるものとそうでないものがあるから、その違いを見逃さない様に。

友達の死を無駄にしない。
私は私なりにヨーガを通じて、命のあり方、苦しい時には人に頼っていいこと、そして、死は自らのタイミングではなく自然にやってくるものと。
個から全と繋げていく、そう伝えていきたい。
この世で1番重いもの(想い)、それは紛れもないあなたの命なんだよと。



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