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自分らしさって何だろう

「童子」10月号に童子年間賞が発表されていた。今年は、句座を共にしている方がお二人も受賞されていて、ちょっと誇らしく自分のことのように嬉しくもあった。

ところで、「童子年間賞を選んで」という題で書かれた辻桃子主宰の文章に次のような一節があった。

「新童賞」の九人は個性豊かで、まさに百花繚乱だ。〈略〉
それぞれ自分らしい道を見つけようとしている。その意思がきらきらと伝わってくる。
p 51

うん❓
ここで、私の脳内は固まる。
私の「自分らしさ」って何だろう???

今まで、「どんな俳句を作りたいか?」と聞かれると、簡単に「自分らしい俳句」と答えてきた。でも、句会に出した句にはしょっちゅう「月並」「よくある」との評がつく。
確かに句座を共にしていると、「あ、この句は〇〇さんの句ではないかな?」と思うことがある。何となく、その人の句柄というか、色がわかってくるのかもしれない。でも、それがその人らしい句ということなのだろうか?
以前、ブログを通して親しくしていた句友さんに、「もっとストレートに自分を出せば、良い句が詠めるようになるかもしれませんね。」と言われ、思わずカチンときていつのまにか距離を置いてしまったことがある。

ストレートに自分を出す?
自分では出しているつもりですが・・・

私は、平凡な人間である。 
特別な才能があるわけではない。どちらかと言えば不器用で、失敗ばかりしている。
長年の社会生活で学んできたのは、自分を主張することより、周りと協調しながら無難に生きていく術ばかりだ。でも、そうやって私は確実に生きてきた。

平凡ではいけませんか?
月並ではいけませんか?
「団栗の背比べ」でも、良く見ればみんな違う団栗なのだ。
平凡な生活の中にも、小さな喜びや悲しみはある。それを掬い上げて、素直な言葉で詠んでいきたい。
キラキラ光ることはないけれど、「ああ、何となくわかるよ」と誰かに言ってもらえるような、そんな俳句を詠んでいきたいと思っている。
それが、平凡な私の、小さな小さな自分らしさなのだと、自分に言い聞かせながら・・・

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