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俳句ってたのしい/辻桃子(朝日新聞社)

この本は、私にとって、俳句のバイブルとも言える本である。

結社に入りたい

俳句を始めて1年経った頃に、結社に入りたいと思った。リアル句会の楽しさに触れるに連れ、何とか地元で定期的に句会に参加してみたいと思うようになったのだ。いつき組の人たちが東京近辺で行っている吟行句会に参加することもあったが、その頃の私にとっては、時間的にも精神的にも、なんとなくハードルが高いと感じていた。

しかし、地元での句会がどんなところで行われているのか、皆目見当もつかない。NHK文化センター(現NHKカルチャー)やら、公民館の俳句教室やら、いろいろと調べてみたが、なんとなくピンとこない。
何も無理して「結社」になんて入らなくてもいいかーーーそう諦めかけた時に、ふと目に付いたのが、この本のタイトルだった。

俳句って、たのしい

この頃の夏井いつきさんのモットーは「楽しくなければ俳句じゃない」だった。
東京のとある駅前の(どこの駅だったか、記憶は定かではないが)広場でやっていた古本市に偶然立ち寄り、目にしたのがこの本だったのだ。
「あ、組長と同じこと言ってる・・・」
そう思って、思わずこの本を購入してしまった。
「辻桃子」という俳人の名を知らなかったわけではない。でも、どんな句を詠むのか、どういう人なのか・・・は、この時の私は、正直、ほとんど知らなかった。

この本が発行されたのは、俳句誌「童子」創刊から1年後。辻桃子主宰が結社「童子」を立ち上げた時の熱い思いと信念が、この本には込められている。

私は俗な句は嫌いだ。けれど、句は俗な所から拾ってくる。俗なものを俗に表わしたら通俗に堕ちるが、俗なものの中にいかに人間の、自然、宇宙、天然、造化の本質を、不思議をみつけるか、ということをテーマにしているのが私の詩だ。それをこの不自由な定型の中でいかに自由自在に表現するかっていうことがすべてだ。もしもそれができるなら、俳句ってたのしいんだ、と思えるだろう。
本文p18

この本の中で、桃子先生が言う俳句のハードルは低い。

俳句をむやみに神聖視することなんて、ほんとにやめた方がいい。詩というものは、そう、俳句が詩であるなら、どんなに底辺を拡げようと、また下げようと、残るべきは残る。むしろ、どんなに低俗にしようと、低俗にすればするほど、数少ない佳いものは残り続けるだろうと、私はオメデタクも確信してしまう。
本文p50

「俳句って、たのしい」をモットーに、桃子先生もまた、俳句を拡める活動をずっとされてきていたのだ。
自分らしい選句をしたい、自分の好きな句を詠む連衆と句座を囲みたい。そんな思いでの結社立ち上げから、テレビ番組への出演、著作活動・・・

そんな中での、連衆・多くの俳人との交流や俳句に対する思いなどが、熱くも淡白で小気味良い、桃子先生ならではの文体で綴られている。
そして、小澤實先生や岸本尚毅先生など、今をときめく有名俳人のお名前が、何の冠をつけることもなく、単なる俳句仲間の一人として登場するのも楽しい。
虚子や子規にだって、桃子先生はその存在を認め、尊敬の念を抱きこそすれ、絶対に阿ることはないのだ。

さらに、この本に登場する桃子先生の俳句の気持ち良いこと!「気持ちの良い俳句」言い方がおかしいかもしれないが、平易な言葉ですっと吐き出したような俳句。「あー、私が詠みたいのはこんな俳句なんだ」と思った。

「童子」と私

この本を読んで、私は「童子」入会を決めた。現在、地元宇都宮での「ゆふがほ句会」、川越で行っている「川越句会」、そして通信で2つの句会に参加している。桃子先生が句会に参加することはないが、句縞を送って直接添削指導をいただいている。
よくメディアで夏井いつき組長のことを「毒舌俳人」などと言っているが、桃子先生だってなかなかのものだ。
私の句など、しょっちゅう冒頭に「?マーク」を付けられたり、「ヨクアル」と書かれたりしている。

先日は、

「ヨクアル」とまた句に書かれ冷さうめん/葉音

という句を作ったら、副主宰の安部元気先生から「『冷さうめん』の句としては珍しい」という評価をいただいた(苦笑)

結社「童子」は、今年創刊35年目を迎える。私が入会してからはまだ6年。私の「俳句の山」の頂には、「辻桃子」という俳人が聳え立っている。俳筋力に乏しくてトレーニングも苦手な私は、まあ、無理してその山を登ろうとは思わないのだが・・・その裾野の方で、「俳句って、たのしい」と思える人生を送っていきたいと思っているのである。

桃子先生の句

最後に、文中から特に好きな句を3句。

包丁を持って驟雨にみとれたる/桃子
泣いて泣いて鼻紙の山穂わた飛ぶ/桃子
柘榴ざくろの実吸うてたかだか四十年/桃子


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