『名前』という祝福と呪い


下記の引用と、更にその引用にとても惹かれてしまった。


まず初めに私個人としては『名前』は祝福でもあり呪いでもあると考えている。
識別できたらいいと思っている面も少しある。

◾️名前をつけられる側

現実世界で所謂、恥ずかしくて名乗れない名前を親につけられ、成人と同時に改名を申し出た人がいたり、虐待で親を憎んでいる人を見てきた影響も多分にあるんだと思う。

小学生の時に親から名前の由来を聞いて、発表する授業があった。
中には沢山の愛を受けて、考えて考えて考え尽くされてつけられたんだろう、嬉しそうに発表する子もいれば、特に無いですって子もいた。
話が変わってしまうけど、その頃からかもしれない、親からの愛の格差を感じるようになったのは。

◾️名前をつける側
子供に名前をつける親や自身で名前を決めた人の話。

そこにどんな想いや願いが込められているのかは私も興味がある。
特に自分で自分の名前をつける、所謂ハンドルネーム。これは与えられるものでは無く、自身の選択でつけるものなので、その人が表れているんだと考える。名は体を表すとは正にこの事だなっと。
ハンドルネームに関しては私も聞いて回りたいな〜、絶対楽しい。

最後に、名前持ちの人類が地球には沢山いる訳だけど、大半の人とは縁を結ぶ事も無いのだろう。
更に拡大すると同じ時代に存在しているのも奇跡。

だから、今ある縁は奇跡の結晶で尊いものだと思う。

朝ごはんの苺大福を食し、仕事に戻る!

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