ダンゴムシとワラジムシ

「せんせー、おれ次は100点とる!」
天然パーマの向こう側にまっすぐな目。
塾のバイト先の生徒、小学生。
彼は凄くおしゃべりで、少し集中力がない。
授業が始まって、こくごの文章題の第一問の記号問題に、アとかイとか適当に書いて、手を止めて口を動かす。
「おれ本気出したら強いんだよ、この前なんかパパに相撲で勝ったの」
「せんせーの目の上のそれ何?うろこみたい!」
アイプチ目立ちすぎたかな。

先週もまた授業開始5分でおしゃべりが始まった。
「せんせー!ダンゴムシかワラジムシどっちがすき?」
「私は、丸まるの面白いからダンゴムシが好きだな、君は?」
「うーん。丸まるのもいいし丸まらないのもいいよね、選べないなあ。どっちも可愛いと思う」
そうか。どっちも可愛いのか。ダンゴムシかワラジムシどっちが好きかなんて、生まれて初めて聞かれたよ。

そんな彼にも悩み事がある。小さな体では収まりきらない大きな悩み事。
「この前さ、おれ病院行ったのね。集中力がないから、パパとママがADHDだって言ってた」
いつものまっすぐな目が、天然パーマの向こう側で少し曇っている。
「けどさ、集中してる時は30分くらい頑張ってるから、その時間を少しずつ伸ばせばいいんじゃない?」
と返した。違う。
私が彼に言いたいことはそんなことじゃない。
ADHDかどうかなんて気にしなくていい。
君は、私や多くの人にはないものを持っている。
それは、ダンゴムシとワラジムシどっちもいいと言えるところ。
私は、君より速く九九が言えても、君より長く集中が続いても、「どっちもいい」とはいえなかった。
どっちもいいのだ。ダンゴムシでも、ワラジムシでも。ADHDでも、そうじゃなくても。
君のように、「どっちもいい」と言える人ばかりだったら、この社会はもっと暖かくなる。
もしかしたら、病院に行かなきゃいけないのは、「社会」の方なのかもしれない。
まだ小さな君が片隅に追いやられ、ADHDかどうかで不安そうに目を曇らせなきゃならない、そんな病んだ「社会」。
この「社会」に薬を投じることができるのが、
せんせーという仕事だと思う。
「どっちもいい」と言える人を、社会に1人ずつ、少しずつ増やしていく仕事。
だから、せんせーとして強く言いたい。
君はADHDでも良い。そうじゃなくてもいい。

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