見出し画像

図書館で「お葬式の話」しゃべってきました。

「じさを荘」と父の名前を付けて、父がのこした家を宿泊も可能な「家族葬ホール」として利用してもらっています。

先日、練馬区の図書館の方たちが企画された「お葬式について考えてみませんか?」という催事に出ました。
司会役のCさんから「じさを荘」のことを、すごい豪邸なんですよ、ごーてぃなんです、て言っていただき(あ、デカイのはナンセ田舎だったからってことなんですけどね)、、なんと受けこたえしていいやらでアセリました(-_-;)💦

コロナ禍での葬儀の簡素化など、ここ数年の弔いの変化について取材記事を書いた際、ご家族の葬儀の体験談をうかがったおひとりのCさんが、たまたま図書館にお勤めだったという縁で、お葬式について考える座談会に招いていただきました。『父の戒名をつけてみました』などを読まれていたそうで。

Cさんのお父さんのお葬式は、都内のホールで行われたものにしては珍しい、愛犬も入室可能というもの(葬儀ホールでは騒がれたりオシッコをされたりしたらどうしょうといった理由から禁止されているところが多いみたいです)。
ダメもとでご家族が「ここへ父が可愛がっていた犬を連れてきてもいいでしょうか」と訊ねたところ、葬儀社の担当さんが、「いいですよ」と即決だったとか。

愛犬クン。お父さんの入院が長く及んでいたこともあり、部屋に入った最初は事情がよくわからなかったみたい(ちょっとベテラン犬)ですが、気づいたとたん駆け寄って顔をペロペロなめ、見ていたご家族には胸にせまるもなのがあったそうです。

もうひとつ、いいなあとおもったのは無宗教葬で、お母さんが選んだ写真を小さな額に入れて棺の傍に置き、遺影にされていたこと。

お葬式というと大きな写真を持って挨拶する場面が浮かびますが、親しい身内だけだと、遠くからでもわかるようにとわざわざ大きく引き伸ばしたりする必要もないんですよね。サイズ的にもリビングとかに飾るのにも合っているし。

バタバタしてしまう最中にそういう判断がとっさにできるというのがいいなあ。わたしは、そうはいかなかったですから。

無宗教葬なのでお坊さんもいないし、とくに何かイベント的なことをされたわけではなかったそうですが、入院中は毎週のようにご家族から手書きのカラフルな絵手紙(近況を綴ったやさしいもの)を送られていて、退去の際に看護師さんから一冊にまとめたものを手渡された、そのファイルを見せてもらいました。
わたしも一月くらい入院したことがあったので、これは嬉しかっただろうなあ。そうおもいました。

弔いの時間に、ご家族でそれを見返しながらいろいろ談笑されたりしていたとお聞きし、なごやかな光景が浮かんだりしました。

半円形に椅子を並べてもらった座談会ではCさんから、自宅での葬儀を専門とする「鎌倉自宅葬儀社」を取材したときのことを訊かれました。
この会社、小さいながらもとてもユニークなのは、告別式までに1週間の時間をかけることを推奨し、ご家族との接し方が密なんです。

無宗教葬の場合、決まった形式がないぶん、喪主さんはじめ家族は何をしていいのかわからなくなるもの。そこで、ご家族の話を聞きながら、例えば、なくなったお父さんがよく作ってくれたカレーを真似て最後の晩餐にしようとか、そうだ、友人のあのひとにギターを弾いてもらって送り出そうとか、こうしたい、あれはどうかとオリジナルのお葬式のプランを引き出し、サポートする。
自発性を重んじて実際に行動する主体は、家族。葬儀社のスタッフはそのお手伝いをするという関係で。ことばの説明だけではなんだから実際どういうものか、一度現場を取材させてもらったことがあります。

最後の仕度に向け、だれもがたいてい喪主になるなんて初めての体験ゆえに戸惑いはあるもの。でも、鎌倉自宅葬儀社の馬場さんが提案するのは、ワイワイがやがや愉しい文化祭の準備に似ていたかもしれない。たとえかたはヘンかもしれないけれども。
お葬式にはつきものの仰々しい祭壇はあえて設けず、故人にあった花を選んでスポットごとに部屋を飾る。
取材したその日。都市に多いごく普通の一軒家。故人が眠る和室と廊下を隔てたリビングでは、お孫さんたちの賑やかな声がして、昔のホームドラマの一場面のようでした。近しい人だけだからという気安さもあるからでしょう。
そして、告別式の時間となれば厳粛なかなしみの場になる。

Cさんが自宅葬の実例の中でもとくに興味を持たれたのは、棺の「寄せ書き」でした。
棺の中に手紙を入れるというのはよくあることですが、棺桶に寄せ書きをするというのは、してもいいものなのか?
ある喪主さんから訊ねられた馬場さんの返答は、
「それは、いいですねえ」
実施してみたところ、やってみてよかったと大好評。馬場さんもその後オリジナルな試みの一例として、こういうこともできますよと提案されたりしているそうです。

なかには「落書きとは不謹慎な!」と眉をしかめれる葬儀屋さんもおられはしますが、わたしも馬場さんの施行現場とは異なりますが、一度そのような場面に居合わせたことがあり、こういう見送り方もいいなあと思いました。

小さい子どもたちがカラフルなクレヨンで絵を描き(まあ、見た目には落書きです)、故人に向けて言葉を考えながら書いている光景は厳粛な中にもほっこりする、いいものでした。
「不謹慎な」と言われるような悪ふざけをするようことは実際、親しいひとが集まる弔いの場で起きるはずもないでしょう。なにより寄せる言葉のひとつひとつに気持ちが詰まっている。要は、そこに気持ちがあるかどうかが大事なのだとおもいます。

催事が終わってから、図書館のスタッフの方々と挨拶しているときになって、あれ?と気づいたのが、それぞれネームプレートのところに見覚えのある似顔絵が。
えっ、ナニコレ?
イベント用に作成されたそうで、嬉しいというか、恥ずかしいというか、いやいや、ここはやはり嬉しい。
これが写真だったりするとヤメテくれー!なんですが、実物とはあまり似てないトボケた顔のイラストは仕事の名刺にも使ったりしているし。
告知のポスターのデザインも、某大手新聞社のいまはなき雑誌の広告のパロディみたいで、なんともオモロイひとたちです。
しかも、なんとお土産にノンフィクションライターの畠山理仁さん作成の「選挙漫遊士」ステッカー、さらに「劇場版センキョナンデス」の応援グッズも頂戴し、このひと何で人に配るくらいに持っているのやら?ナゾでつい取材モードにも。
畠山さんが地方の選挙取材に行かれる際に随行する「選挙漫遊」活動について、スマホの写真を拝見しながらお聞きし、へえー、ほお、ほほお(笑)。
濃い時間を過ごさせていただきました。

講座の案内ポスターなど
「センキョナンデス」チラシなどなど
選挙漫遊士活動を見せてもらう

プチannounce
『劇場版 センキョナンデス』のダースレイダー監督、プチ鹿島監督、大島新プロデューサーの3人インタビューしてます。↙️


準備していただいたスタッフの方々
館長さんや区の職員さんも

面白かったのは、参加者にイベントの度に質問しているという、一問一答。
「今日の朝食はなんですか?」
おひとり、カップヌードルと答えられた男性がおられて、若いから元気なんですよとフォローが入るなごやかさ。
うまく話せはしなかったけど、
行ってよかった1日でした。
あ、しもた!
せっかく図書館職員に会えたのに
気になっていた非正規雇用の話をうかがいそびれたなあ。

https://ayumi-s.net/takaraduka/



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?