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ショートショートが書きたいなって定期的に思うけど

「素人はいきなり長い小説を書こうとせず10,000字から」と確か創作大賞受賞者の方々が対談で話されていた。

10,000字どころか2,000字でも普段の文字数から考えると長い。

それならば、ショートショートならと思いつつ、「ショートショートにも定義がある」と、いつもの言葉が頭をよぎる。

これはショートショートじゃない。エッセイよ

劇中での竹内結子さんのセリフ。

これは2011年公開の映画「僕と妻の1778の物語」でのワンシーン。

たぬきちが人生で1番映画館で泣いた映画。必死で声を抑えて咽び泣き、呼吸困難で死ぬかと思った。

まだ結婚していない、恋人同士だった時代のたぬきちと夫で映画館に足を運んだと思っていたのだが、

今聞いてみたら、「見ていない」と言われた。嗚咽するたぬきちの横で終始寝ていた疑惑が十数年後に発覚する。

それはさておき、この話は、SF作家の眉村卓さんが、余命幾ばくもないがん闘病中の奥様の悦子さんに誓って1日1編のショートショートを送ることを自分に課したという体験を元に創作された映画。

「これはショートショートじゃない。エッセイよ」このセリフがずっと心に引っかかっていた。他のセリフは何も覚えていないのに。

まだあの頃は、一遍の文字を書くこともなく、こんな風にウェブ上で文章を公開する日が来ることは想像だにしていなかったが。

というわけで、ショートショートとはなんぞや

「ショートショート」とは、ただ短いだけではなく「①新鮮な着想、②完全なプロット、③意外な結末、の3 つを備えていなければならない

ロバート・オーバーファース

①新鮮な着想 ぶるっ
②完全なプロット ぶるぶるっ
③意外な結末
ぶるんぶるん ぶーんぶんぶーん
震え上がりすぎて最後は、オートバイと化して通りすぎて行きましたが、

たとえ2000字程度と短かったとして、その短い中にこんな完璧な思考遊戯が展開されているなんて到底無理だと震え上がった。

一方で、エッセイとは

実体験や人から聞いた話等をもとに、自分の思いや考えを文章にしたものです。文体や語り口など形式に決まりはありませんが、日記とは違い、誰かに読んでもらうことが前提となります。「楽しい」「良かった」で終わらず、そう感じるに至った心の動きや背景等を掘り下げ、“読者”を意識して書くことが大切です。

日本福祉大学 エッセイコンテスト事務局

だそう。

ということは、眉村卓氏のある日のショートショートは悦子さん曰く、
「自分の思いや感想が書かれているだけで、そこには新鮮な着想もなければ、完全なプロットもなく、そして以外な結末もない」というなかなか辛辣なコメントであったということか。

普段はエッセイを書いているものにとって、完全創作のハードルは高い。「エッセイ」でないものが書けるのか。

今回、この話を書く為に、「妻に捧げた1778話」について調べていて、一つ思い違いをしていた事に気づいた。

劇中で奥様が言うセリフと記憶していたが、実際は、闘病の晩年、もう眠ってばかりの奥様の横で、作品を読み上げる眉村氏の耳に聞こえたと思った奥様の声、それが「エッセイやんか」だったよう。

実際に奥様がそう言ったこともあったのかも知れない。しかし、眉村氏自身が「エッセイ」にしないと誓って書き続けていることに込められた祈りと執念に、映画視聴時は惹きつけられたのかもしれないと思い至った。

エッセイやんか」は自分の心の声なのではないか。

最後に眉村卓さんの新書の担当編集者さんの言葉で締めくくりましょう。

この条件を全て満たしているであろうか。否である。ときには、エッセイ風になり、手紙のようになり、結末は自然に……。それは、著者があとがきで書いているように「実生活の中での気持ちをもとに」しているからだろう。だからこそ、エッセイと短い小説の合体というこの書の試みが成功したのだと、担当編集者は自画自賛している。

エッセイ的な短い小説とでも言っておきましょうか。形式にこだわるのは言い訳かもしれない。さあて挑戦できるかな。

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