【俵万智訳 みだれ髪】考察 『はたち妻』編1
全く進まぬ『俵万智訳 みだれ髪』の解釈。
第三章『白百合』(36首)の解釈を何とか終え、
第四章『はたち妻』へ突入しました。
この章は全87首。
作業を始めたばかりですが、時間がかかりそうなのでチェックした歌をちょこちょこと小出し投稿していきたいと思います。
●露にさめて瞳もたぐる野の色よ
夢のただちの紫の虹 (与謝野晶子)
◎露草に目覚めれば今夢に見た野の色
そして紫の虹 (俵万智 訳)
∇草の露の冷たさに閉じた瞼を開けれ
ば心惹き付ける野の色。そして空には夢そ
のままの紫色の虹が、。 (我が解釈)
*『はたち妻』冒頭の歌です。
恥ずかしい話ですが「瞳もたぐる」の訳に悩
んでしまいました。
「瞳も手繰る」なのか、「瞳擡ぐる」なの
か。前者ですと「野の美しさが瞳を誘う」と
いうような意味で、後者だと「野の美しさに
惹かれる瞳」となるのかと、。
結果、後者を取り上記のような解釈となりま
した。いづれにせよこの歌のように虹などの
気象現象や花鳥風月を心象風景として使った
作品は個人的に好きです。
●何となくただ一ひらの雲に見ぬ
みちびきさとし聖歌のにほひ(与謝野晶子)
◎なんとなく漂う雲のひとひらに
讃美歌のような救いが見える(俵万智 訳)
●淵の水になげし聖書を又もひろひ
空仰ぎ泣くわれまどひの子(与謝野晶子)
◎深き淵に投げた聖書をまた拾い
空仰ぎ泣く我まどいの子(俵万智 訳)
*2首とも俵さんの訳に同意です。
1首目は結句で」「にほひ」とした所が
己の苦悩を神の救いに求めるような感じが
あって好きです。普通に詠めば「聖歌を思
ふ」と閉めてしまいそうですが。
2首目は第三句の「またひろひ」に繰り返し
押し寄せる「罪の意識」に苦悩する感情が
感じ取られます。
●君さらば巫山の春のひと夜妻
またの世までは忘れるたまへ(与謝野晶子)
◎さようなら我ははかなきひと夜妻
来世て逢えるまでさようなら(俵万智 訳)
∇さようなら貴方 春の夜の戯れはもう終わ
り。私は巫女のようなもの、来世で逢えるま
忘れないでいて下さい。 (我が解釈)
*原作、俵さんの訳共に難訓でした。
まず、巫山の春、ひと夜妻の意味を理解して
いないとお手上げですね。
検索してみたら巫山とは『巫山の夢』
(楚の襄王が夢の中で巫山の神女と契った)
という古代中国の故事をイメージしたもの。
ひと夜妻とは元々催事の折、神と結婚をする
舞姫(巫女)の事でしたが後々に難関「七
夕の織姫」「一夜のみ関係持った女性」
などを指すようになったとの事。
また万葉集.卷十六 3873には
「我が門に千鳥しばなく起きよ起きよ
わが一夜妻人に知らゆな」
という歌があり、晶子は「巫山の夢」の故事
と万葉集の和歌を元に詠んだのであろう
ど、。
https://manyuraku.exblog.jp/10743817/
『みだれ髪』は発表、その詞の「あからさま」さから賛否両論、世間を騒がせたそうですが、
ただ単に刺激的なだけでは無く、しっかりと
古典や和歌を理解した上で独自の「歌」の
世界的を切り開いていったのですね。
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