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「奇跡の社会科学」(中野剛志著、PHP新書)E・H・カー③

だいぶ放置してたら、春がやってきました🥰
ぽんニャンです🐱

E・H・エリック…じゃなかった💦カーの最終回です😃
それでは、どーじょー😃

カーの国際政治学の根幹は、政治はユートピアとリアリティ、あるいは道義と権力から成という理解だった。
人間は集団を形成し、その中で生きる。集団を統制し、その中の関係性を調整するのが政治。
政治は道義だけで語ったり、権力のみで説明したりせず、二つの相互作用で理解せねばならない。
したがって、国際政治も、国家間の道義と権力との両方で見ていかなければならない。
カーは、国際政治における権力として「軍事力」「経済力」「意見を支配する力」と指摘した。
中でも「軍事力」を最も重要としている。
その理由として、「国際政治における権力の最終手段が戦争である、という事実である」としている。

中野剛志さんは、軍事力について論じることを忘れた日本人が、ウクライナ戦争により思い起こされたということで、カーの次の言葉を引用している。

軍事力は国家の生存にかかわる本質的要素であり、それは単に手段となるばかりではなく、それ自体一つの目的ともなる。過去100年間の重大戦争のうち、貿易や領土の拡大を計画的、意図的に目指して行われたという戦争はあまりない。最も重大な戦争は、自国を軍事的に一層強くしようとして、あるいは、これよりもっと頻繁に起こることだが、他国が軍事的に一層強くなるのを阻止するために行われる戦争である。

戦争の多くは自衛戦争である。
将来の戦争において、自国が不利にならないように、戦争を行う。
植民地の獲得もそうだと、カーは指摘する。
しかし、そうした自衛戦争が、攻撃的な帝国主義へと転化していくとカーはさらに指摘する。

ロシアはウクライナへ侵略した。
プーチン大統領にとっては、ウクライナのNATO加盟や親米化はロシアの生存を脅かすもの。
この戦争はそれを阻止する予防的攻撃なのだろうと、中野剛志さんは指摘する。

権力の2つ目は「経済力」。
19世紀の古典派経済学と現在の主流派経済学は、政治と経済を別の領域と考えている。さらに経済学は経済の領域にある、市場原理のメカニズムを解明することだと信じている。
しかしカーは、政治と経済を切り離すことは無意味だと論じた。それは、経済は政治の側面だから。経済は政治秩序を基盤としていて、政治によって動かされるものだから。
カーは政治が経済を組み込むための二つの手段を挙げている。
①自給自足経済
戦略的重要物資を他国に依存しない経済を構築する。
②経済力を使って、他国に影響を及ぼすこと
そのために資本の輸出と海外市場を支配する。

最後に「意見を支配する力」これはプロパガンダ(宣伝)ということ。
これは、政治が民主化され、政治の方向性を決定する人々の数が飛躍的に増えたことが関係している。新聞・ラジオ・テレビなどのメディアの発達により、特定の政治勢力が、メディアを使って大衆の意見を操作することが可能になった。
つまり、言論の自由が保障されていても、その意見が自分の意見ではなく、メディアを通じて操作されたものである可能性があるということ。
現代では、メディアはSNSが加わり、「意見を支配する力」はますます増大している。
ウクライナ戦争ではゼレンスキーやウクライナ政府関係者がSNSを駆使して、ロシアによる攻撃の被害を拡散して、国際世論わ味方につけることに成功した。
カーの論説が正しいことが、ウクライナ戦争により立証されたわけだ。

カーは「権力」だけではなく、国際的「道義」も一定程度存在する事を認めていた。
カーは、政治家達が、ある程度、国家間の道義を重んじて行動していることを指摘している。

ヒトラーも、とある演説で、リトアニアとの協定締結を「われわれは人間社会の最も原始的な法をらすら軽んずる国家と政治条約を結ぶことはできないからだ」という理由から拒否している。
国家を拘束する国際的道徳律は存在することになり、その中で最も明確に認められる項目の一つは、他者に不必要な死ないし苦痛を与えない義務である。

現在の国際政治は、「軍事力」「経済力」「意見を支配する力」という「権力」が跋扈する一方、弱いながらもある程度「道義」が存在することが分かる。
このように、カーの『危機の二十年』は、現代においてもなお通用する書物と言える。


プロパガンダは、経済を学んでいたり、れいわ新選組を支持している人達にはわかるんじゃないかなって思います。
だから、政治はメディアをコントロールしたがるんですね。

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