【考える】1億総(教育)評論家について
こんにちは
シーレです。
このNOTEを読んでくださりありがとうございます。
~自己紹介~
大学生。大阪在住。興味→教育、作文、大学。 日々学んだこと・考えたことについて書き付けます。 将来の夢は本を出すことです。
ありがたいことに、昨日投稿した自己紹介に
なんと8名の方から「スキ」をいただきました。
これから投稿がんばっていきますので、どうぞよろしくお願いします!
今日は
「1億総(教育)評論家」についてです。
①「1億総(教育)評論家」とは
私は、この言葉を大学一回生前期に受けた講義で知りました。
教育社会学の先生が、以下のようなことを仰っていたことが印象に残っています。
「現代社会に生きる私たちは、みな何らかの教育を受けてきたため、教育に関心を抱く向きは大きい。」
「しかしながら、そうした初発の関心は、しばしば自らの経験のみを拠り所にしているため、問題の本質を捉え損なっている場合も少なくない」
現在の日本では、義務教育が行われていますし、
学校以外でも、例えば家庭教育だったり、民間の塾だったり、地域の人から様々に学んだり。
大人になるために、教育に全くお世話にならないというのは不可能でしょう。
自らが教育を受けてきたからこそ、当事者として教育に関心を持ちやすい。
しかし、そうした関心や問題意識は、自分の経験だけが根拠となっている場合が多く、本質とズレていることもある。
このような、誰もが教育に関心を持ち、ある程度教育について論じることができる現代社会のことを
「1億総教育評論家社会」あるいは「1億総教育学者社会」と先生は称します。
初週の講義でこれを聞いた私は思わず唸ってしまいました。
「まさに私だ!自分の経験則だけで『教育はこうあるべきだ!』という意見を持ってしまっている!」
先生は、教育について考える上で「教育史=教育の歴史」について学ぶことが、マクロな視点を持つために有意義であると続けました。
さて、この「1億総(教育)評論家」については、中室牧子先生(慶應義塾)『「学力」の経済学』(2015)にも言及がありました。
(中室先生が提唱したタームなのでしょうか。。。初出がどこか気になります。)
中室先生は同書において
一個人の経験則のみで政策を講じたり、判断したりするのではなく、
「エビデンスベースド」の政策を行うことを主張されています。
根拠やデータありきの政策、ということですね。
②根拠と経験
両先生とも
経験則のみで教育について語るのではなく、根拠(歴史的経緯やデータなど)を持とうという点で一致しています。
これは教育学だけでなく、学門全体に言えることでしょう。
「それってあなたの感想ですよね」ではありませんが、
根拠をもって主張するということは、論を展開する上で欠かせません。
根拠をもって考えることを心がけたいです。
その一方で、経験則に由来する「初発の関心」も大切にしたいものです。
自らの生活経験に根ざした問題意識は、凝り固まった思考を打開するためのヒントになり得るからです。
高校生の探究学習のTAをしていると、
「こんな発想よく出てくるなあ」と感心する「問い」が多々あります。
そうした発想について深掘りすると、大抵が生活する上で生じた問題意識に根ざしたものであることに気づきます。
学門に縛られない発想、
机に向かっているだけでは出てこない視点というものが、
生活経験にはごろごろ転がっている。
根拠と経験、どちらも大切にしたいです。
まとめ
「1億総(教育)評論家」
私が「学門」に目覚めたきっかけの言葉でした。
根拠と経験、この両者のバランスをとりつつ、日々学んでいきたいです。
今日はこの辺りで擱筆します。
ありがとうございました。
2023/05/05 シーレ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?