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愛が産まれ、育ち、壊れた日(2015年10月22〜24日アメーバブログ掲載)


人間には『愛が必要』だと謂う。

いくら金や地位があっても愛が無ければ人間は強い焦躁感に襲われ、やがては心の平衡を失う。
愛こそは人間を千年王国へと導くモノであり、全ての魂の穢れを浄化する理想の形骸なのだ!

さあ!愛せ !!!
家族を!友人を!隣人を!
見知らぬ者を!
なんなら敵も愛せ!
愛を持たぬ者は罪深い反逆者だ !!!
愛を阻害する者に慈悲は要らん!
迷わず、いてこませぇ !!!
人は愛に溺れ、愛に死ぬが宜しい!
兎に角、愛なんじゃーっ !!!
(#`皿´)
を入れ替えても、印象が大して変わらんのがミソだね☆






愛は大切ですか?
愛は必要ですか?
愛を得る為に滞りなく対価を支払いましたか?
その愛を得た事でアナタは幸せとなるのですか?
それなら、幸せとなるには愛が必要なのですか?
愛が何よりも大切だというのなら、愛の為に金や地位を棄てられますか?
手にした愛に満足できず、共に愛を誓い合った者同士が憎しむのは何故ですか?
愛の為に死ねますか?
死んでまで手にする愛とは何ですか?
アナタの心に本当の愛と呼べるものはあるのですか?


これらの鬱陶しいくらいな問いに応えられる人間はどれほど居るやろうか?
たくさん居たとして、じゃそれが愛の正当性を証明する? でも、それって愛やなくて多数決ちゃうの?
くだらん民主主義とやらと何も変わらん!


愛は誰にでもある。
別に昨日や今日に見つかったもんやないわな✴️
原始人類にだって、身内や行動を共にした仲間に対しての愛はあったやろう(打算も… な!)
愛とは特別なものやなく、自分や身近な周囲を護る感情=精神システムである、てのが自論やが、その目で見れば足りない人増幅させすぎな人が現代では多いね☆
愛ゆえに…








2000年前
砂漠の地に一人の男が産まれた。
後に大工の息子とされてしまうが、かなりの確率でそれは嘘だろう(その男ではなく、弟子の何人かと後年の教会が話の骨子を捏造したのだ)と考えられる。
地位のほどは判らないが、少なくとも祖父ぐらいの代から続く僧侶か神官クラスのユダヤ教徒だったのは以降の言動からも充分に察っせられる… そう、大工の息子なんかじゃなく(別に大工を腐しとる訳ではない)宗教家に成るべくして産まれたといっても過言じゃなかった家系&状況だったのだ!

そもそも伝記では20代半ばに洗礼を受け… って遅い!
当時の書籍や記録を見るにつけ、そんな歳で洗礼を受けるなど有り得ないし、予想される『家業がユダヤ教の僧侶』なら尚更に小さな子供の頃に済ませる筈だ★
じゃ…
なんで彼は20代半ばに突然といえるタイミングで洗礼を受けたのか?
そこにどんな意味が?

そして、固苦しい戒律や必要以上の清貧さを無闇に求める仏教やイスラム教、ユダヤ教とは違う《愛》を前面に押し出した画期的で自由な思想(なんとなく釈迦に近い感性の持ち主のような気がする)


彼の遺された言動からは現在の教団には何の脈絡も感じられない!
『共に生死を』と誓い合った師匠を棄てて逃げだした不肖の弟子たち(全員では無い)と最期まで身近に居続け、彼の魂に安らぎを齎したであろう母と妻…






ここから先は俺の妄想
釈迦やムハンマドより俺の心を焚きつける男イエス… 読み漁った記録なんかから垣間見えた俺が思う本当の姿や!

数多く残された『白人みたいな姿』を誰も糾弾しない事が発端となって俺の中で膨らむ疑惑(子供の頃ね)… そして見えてきたイエスと教団の相容れない宗教観や人間観
(´д`|||)
2000年間に渡り教祖とその家族を蔑ろにし続けてきた教団が空前絶後の権力を振い、もはや修正できないレヴェルにまで嘘を糊塗し甘い汁を吸い続ける… 俺は教徒でも何でも無いし、寧ろ完全な宗教否定派なんどすが、何故かナザレのイエスには惹かれるねぇ🔯









ナザレのイエシュアは悩んでいた。

余りに厳しい父ヨセフの躾は現代人から見れば常軌を逸しているとも言えるが、それは致し方ない面があったのだ。
家格の低いラビ=ユダヤ教の神官では一家の家計は何年経っても火の車で、下手をすれば永久に "その環" からは抜け出せない。
『何処かでキッカケとなる楔を打たなければ… 』
ヨセフのイエシュアに対する教育という名の虐待は彼が20歳台前半になるまで続いたが、歳の離れた弟ヤコブには何故だか甘かった。
その事がイエシュアとヤコブの性格や人生に甚大な影響を与える事になるのは少し先…



どや?( ̄∇ ̄*)

俺は… ね
結論から言うとイエス=ヤコブ兄弟は "全兄弟じゃない(父母どちらかが違う兄弟)" んじゃないの?とさえ思っとる★
父母どちらかが… まぁ普通に考証すりゃ男側に力があるから母マリアの連れ子とは考え難い(無いとも言いきれん)

そういう寡婦救済の習慣が多くはないながら、当時のユダヤ教には普通にあったからね!
弟ヤコブはヨセフが他の女に産ませた、てのは?

それぐらい何か異質というか、なんか粘り付くような不自然さを感じるんやが☆
なんでそんな事を考えるかっつーと兄イエスと母マリアは一卵性親子とも謂える仲なのに弟ヤコブは印象があまりに薄い🔯

"人類最強の兄貴" だから仕方無いか?
正統派キリスト教会が死ぬほど(殺すほど?)聖書から描写を省きまくった2人のマリアやが、受ける印象は似ている… 少ない描写だから仕方無いって話もありますがっ!

恐らく母マリアは身分の低い出身では?(尤もらしく "ダビデの系譜" やと謂われとりますが、それを言いだしたら「私はアダムとイヴの子孫です」と自慢するのと同じくらい滑稽やと思いやすがね!)

出世を目論むヨセフはその事を引け目に感じ、どうにかツテを辿って良家の女にヤコブを産ませた。
厳しく叩き込んだ長男と家柄の良い血筋の次男… ヨセフは自分か息子2人の何れかが出世できるかも、と安心したかもね☆
他の兄弟はXXXだったんだろう!


どや?( ^∀^)









しかし
イエシュアがバプテスマのヨハネに洗礼を受け、本格的な宗教活動を開始する頃には父ヨセフの名前は一切出て来なくなる …これ、ごっつう不思議や!

死んだってなら「ヨセフは死にました」と何故に表記できん?

生きてたとして、ヨハネはユダヤ教の戒律からハミ出してはいないとはいえ結構 "急進派" ともいえる存在やったから、古い人間達からは気嫌いされていた感が強い(現代で謂うブラック企業 !? )のに、そんなとこへ息子が行ったら一悶着あって然るとこやが、やっぱ何も無い!…もうこの時点でヨセフは死亡していたと見て間違いないやろうが、何か持病があったかヤコブの母と頑張り過ぎたか… 理由は判らんがね☆
"父の鎖" を解かれたイエシュアは何処かへ逃げ、好きなように暮らす事が出来たかも知れんのに結果としてやらんかった★
寧ろ《暴君》が死んだ事で清々したかもな!逆に愚直とも謂える印象しかない弟ヤコブの人格は "この時" に完成されたのかも… と思う。
バプテスマのヨハネの許でヤコブと共に行動し、神学に勤しむイエシュアはアッという間に師匠ヨハネを追い越してしまい30歳そこらでヨハネの許を去り独自の活動を開始する発展的破壊と称されるイエシュアの行動やけど… ヨハネの中に父ヨセフを見たのでは無いか?イエシュアの中で宗教というか、神や身の周りが渾然し、何かの答えを引き出そうと足が砂漠に向かった。彷徨い、渇き、幻視や幻聴の末に弟子達に砂漠から助け出されやすが、その時の彼は変質していた!魂を堕落させようとする悪魔たちを悉く退けたイエシュアはクリスト=救世主としての自覚を得て格段にパワーアップしたのだ !!!
もう行く手を阻む者はいない、彼は荒野のロックンローラー✴️ピラミッドの秘法を手に入れたとさえ噂されるほど『この世のモノとは思えない』異次元の存在感を醸し出す圧倒的なオーラは全てを侵食し、それらの色を変えていく善き者も、悪しき者も…







それにしても、俺が妻認定してるマグダラのマリア(諸説あり)とは、いつ何処で出逢ったんやろか?
ひょっとすると、かなり早い時期かも知れん… 勿論、彼女が売春婦などというのは後年のキリスト教会による捏造やろ(俺は売春婦を悪認定するほど "自称" 善人でもないし、野暮でもない☆)

ヨハネのグループに居たのかも知らんが、其処んとこは流石に判然とせん!

でもまぁ、2人の出逢いが原始キリスト教の全てやろ☆
『イエシュアとマリアの愛から産まれた』全く新しいスタイル
(`_´メ)
2人が興した団体… それこそが本来の、本当のキリスト教の姿じゃないかと思うんや!



マリアが洗礼を施していた(指導者だった証拠)記録もありやすが、勿論ヴァチカン等は一切認めんし、目や耳を失くしたように無関心を装っとる★(奥義=知らんぷり)
当時のユダヤ教の戒律の中に『不浄なる者と交わってはならない』というのがありやしたが、身体障害者や精神錯乱者、重度の皮膚病、娼婦や身分の極端に低い者や他者の奴隷とか…

母マリアが本当にそうした階層の出身だったのなら好都合!とばかりに教会は妻マリアをこの『交わってはならない』人間として貶めしたんじゃあ~りませんか?
要するにイエスの "寛容さ" を必死にアピール(そこの信徒やから自分たちは偉いとでも? まぁ程度の低い信者なら考えとりそうや!)したい訳なんやろな!
賎しい身分のマリアもイエスの神性に触れて《神への道》に開眼したのだ… と
なんという幼稚な連中か‼︎






語り合う内にイエシュアはマリアの類い稀な才能と聡明さに惹かれていく自分に気が付いた。
『彼女の中には神へと通じる宇宙が在る… 』
2人の心と体が結ばれるのに時間という概念は意味をなさなくなった。
マリアの奥深くで果てる毎にイエシュアは宇宙の深遠さと神の秘密を窺い知れる(イエスは決して禁欲主義者じゃなかった事は史実で確認できる)


マリアとの仲が濃密になるほどイエシュアの言説は確信の色を濃くしていった。
『神への道』を得た彼は進むべき信仰を見通し、何の迷いもなく邁進する事となる。
低い身分の母から産まれた自分、母と同じ匂いがし、且つ自分に新たな道を示してくれた妻。
2人の女の愛を背負い、イエシュアは自らが神への道標となるべく布教の旅へ出たのだ! …まるで北斗神拳の創始者シュケンみたいやな☆
ヽ(´▽`)/


彼は知っている。
固執した人々が口汚く自分を罵り、糾弾し、責め立てるであろう事を…
付き従う弟子たちの中に自分とマリアが "必要以上に接近し過ぎてる" と嫉妬し、快く思ってなかった者が信仰を歪めてしまう事を…
イエシュアは詩的散文能力に長けたヨハネ(バプテスマのヨハネとは別人)と新参ながら卓越した信仰心の持ち主ユダにだけ本当の目的を告げてエルサレムへと赴いた。

ヨハネとユダ2人は永遠に【歴史の贄】となるが…『捨てよ。されば得られん。』怯む事なく《神への道》を進むイエシュアは戸惑い逃げる弟子とは違う世界に居た。妻マリアによって齎された宇宙により、その魂は既に高い次元へと昇華し、今ここに居るのは "抜け殻" になりかかっている一人の男。

母よ… 妻よ…私の為に哭いてくれるのか…彼女たちの涙は最終楽章の主旋律として申し分なかったが、一つ歩みを進める毎に音楽は聴こえなくなり、その替わりに聞いた事のない言葉が齎されてきた。
『… 』
言葉といっても人間のそれとは違い、並みの者なら何も聞こえないし、例え鋭い者でも感じる事は奇蹟に近い。イエシュアの肉体が死に瀕してる事で神経が研ぎ澄まされ、神たる存在のメッセージが超伝導され続けていて、彼の魂に永久刻印として穿たれるのだ。
イスカリオテのユダ…新たに発見された【ユダの福音】から読みとれるのは、イエスとユダが他の弟子たちには秘密裏に何事かの計画を進めていたという事実(確かな証拠は無い)だ。【カバラの秘奥義】を授けられたとも謂われるほどの男が "はした金" で師匠を売るのか?

ヨハネ…
かなり早い段階で弟子になったヨハネは世紀末思想の権化とも謂える【黙示録】を幽閉先(つまり、とっ捕まった訳ですね☆)で執筆して後世に名を遺しやすが、他の不肖すぎる弟子たちとは違い、逃げるのは逃げたんやが、彼は常に2人のマリアと共に居たから意図的とまでは謂わんが "自然な成り行き" やったんでは?






それにしてもイエスの弟子たちはマジにスカポンタンが多い


ペトロやルカなんかが筆頭やと思うが… なんで『言いつけられた事も出来ない』連中を身近に措き続けたのか不思議で仕方無い(新興だから人手不足?)
案の上、イエスが死んだ後に師匠の言説を "拡大解釈以上" した内容で以て布教を進めるんやが、それは最初から想定内?

そういうチグハグさは三大宗教の全てに共通しとるが、言った言葉を拡大解釈なら未だしも、言ってもいない事まで持ち出してくるからな!

或いは、それも計画の内?














遠退いた意識が更なる激痛で喚び醒まされた。
柱に胴体ごと縛り付けた上に、手足には釘を打ち込まれ立脚した十字架は神聖ローマ帝国領内に於ける罪人の証し… 神の違う側面を説いただけで違法なのだ!(ローマは多神教なので困らない。困ったのはユダヤ教の高僧たちだけ !!! )


「寺院内の騒動だけなら赦したモノを何を血迷ったか己れを《神の子》だと !? 」
権威を揺るがされた姑息な狐らは自分たちを支配してる獅子にお仕着せる形を採って峻馬を殺す事とした!

権威の保持に余念がないヘロデ王(父はヘロデ大王)はローマやユダヤ教のラビたちに逆らう事を嫌い知らん顔。
権威… そうした雑音を余所に、イエシュアは全く新たな権威の柱を打ち立てようとしているが、それは無限に優しい母と身も心も捧げてくれた妻の『何の見返りも求めない』本当の愛… 愛の権威をだ!
宇宙の真理は人間に理解など出来ない✡️

《神への道》とは薄皮一枚下にある全神経や細胞を死滅させなければ開かないのだ。
流される血が多いほど人の涙は多く流され、深い闇から湧き上がってくる感情に突き動かされる。
1は10であり0である。
マイナスもプラスも究極は同じ岸に立つエネルギーで、人間は取り出す事が出来るし破壊する事も出来る筈だ。

"その様に思考し、生きているか"











父よ

彼らは何をしているのか判らないのです

自分の正義は他者の悪
思い出すがいい… あの頃は無邪気に遊んでいたではないか
何が事をそうさせたのだ?


父よ

何故、お見捨てになられたのか

自分の情熱や欲求を果たそうとするのなら捨てよ… されば得られん









イエシュアの死後
2人のマリアは完全に地上世界から消える… 消されたのだ !!!
しかし
姿は消えても本当の愛を持った心は残ったようだ!
南フランスを中心に拡がった【マリア信仰】の名残りは『不肖の弟子たちに勝手に神とされた男』への無償の愛を貫いた女(達)の無垢な魂の蜃気楼だろう。

過分に甘やかされ、兄に関心の薄かった弟ヤコブはイエシュアの死後に改心し、初期教団の「偉~い人」となり信仰の道を邁進する… かと思われたが、案の上に教団側と揉めて『歴史から退場』する事に!

何処かの家具屋の騒動みたいやね★











犠牲を恐れるなら尾を丸めるがよい

あなたは自由だ
😂













イエシュアとマリア
2人がどんな会話をしたのか?

どんな理想が胸の内に在り、それを互いに魅せ合い深く、或いは高く《神への道》を目指していってたのか?
俺の興味は全く尽きやせんが、後年の教団が全てを台無しにしよりました !!!!!
残っているのは各地に散らばる《薫り》や《欠片》のみ…
50年近く拾い集め俺の答えみたいなモノを「見つけた☆」として文章化して披露しやしたが、肝心の信徒たちはというと全然お話にならないってのが大概や


信じるに足る材料を自力で一つも集めない内から『信じてます』は無かろう!
お前等が信じてるのは『敬虔な自分を演じている自分』
そうしておけば、都合の悪い事は隠したままで措けるからな!















愛こそ全て… などとは微塵も思わん
( ̄ω ̄;)
でも、愛を必要とする人間は数多く存在するし、愛に殺された人間も数多く存在しやした!
愛は『ほどよい』距離や密度を余り好まないし、欲っしたからといって手に入るという保証も無い🪐




主の御業は成就した

涙も汗も血も枯れ、器だけとなったイエシュアの亡骸は "ひっそりと" 葬られ、残された2人のマリア(と複数の女信徒)とヨハネは追及の手から遠くへ逃がれた。
エルサレムより優しい陽が差す土地で彼ら彼女らは静かな時間を手に入れたのかも…

息子であり、夫であり、師匠であったイエシュアの酷たらしい最期は死ぬまで記憶から消える事は無かったやろうが、一人の男が全うした "体現する愛" は血まみれの追憶となって女たちを慰めたか?












愛ゆえに人は哀しむ

愛ゆえに人は苦しまねばならぬ
《聖帝》と呼ばれた男は暴君として世に臨みやしたが、とある1人の男の強い愛で魂を解放せしめやした!

なら、俺たちは?


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