読書記録〜この気持ちもいつか忘れる〜誰の為でもなく自分のために、そこに正解はない

私にとっての突風はいつだろう
実はもう学生時代に来たのかな
いやでもまだまだ待ち望んでる自分もいる

誰のためでもなく自分のために生きる
自分のために相手が変わることを望まないこと、できるかな。したいな。。

今は正直できてない。
近くにいるからこそ
もっと知りたいし、
もっと強固な存在にしたいという
極めて傲慢な思いから変わることを強いてしまった記憶があるし、まだしてしまいそうな自分がいる。

抜け出したいなあ
ただ横にいて、知らないことも当然あって
それぞれ思うことはたまに感じたり、
時に話し合って
ただ一緒に歩いてそのうち死んでいく

お互いにいつまでもそんな空気でいれたらいいなあ、、

知らないこと、理解しづらいことを素直に丁寧に聞けるようになりたいかな、、

また相手のために自分が変わることも、
あくまで自分本位で変わるかを決めたいな。



と、こんなふうに感想をつらつら書いてみたけども、最近本を読むとき、この本に込められたメッセージはなんなんだろうと考えてしまう。

いいように聞こえるけど、
読書の感想に正解はないのに、
正解を見つけようとする癖がある。

読みながら、自分なりに咀嚼して見つけて
またその発見を自分の中に落とし込んで、
最終的に本の解説を読んで答え合わせをしつつ正しい解釈を得るといった感じ、、、

事実、解説を読むのは面白い。
これまで読んできた解説はほとんど別の小説家が執筆しており、言葉のプロが改めてわかりやすく言語化をしてくれるようなものだから、
モヤモヤした気持ちをクリアにしてくれたり、新たな見方を提示してくれる気持ちのいいものでもあった。

「この気持ちもいつか忘れる」は、
バンドとのコラボで生まれた本であることをその解説で知った。そしてそのバンドのギタリストの方が解説を執筆している。

なんだと少しでもがっかりしてしまった自分は本当に引っ叩きたいというか、その気持ちを恥じるべきである。

そもそもがっかりしてしまった理由として、この本を要約したメッセージのようなものが自分の中でいまいちまとめられておらず、「答えを知りたい」と思ってしまった為だった。

冒頭でも述べたが、
感想に正解はないのに、プロの言うことを正解として、それに当てはまりに行こうとするのはなかなかよろしくない傾向にあると思う。

昔から正解を求めていきがちな私は
この先正解がない中で、自分なりの価値観、自分なりの正解を持って生きていかなければならないことを痛感している。

だからこそこう思ってしまったことを
少し反省したい。

拙くても、自分から出る生の感想を大切にしたい。
そしていろんな立場のものの見方も、鵜呑みにし過ぎずやさしく見たり、取り込んだりしたい。

ただ解説というのは、本に込められた意味だけでなく、その話の生い立ちなどバックボーンを知ることができてやはり面白い。

今回は、その特殊な生い立ちに思うところがあった。小説と音楽のコラボレーションというあまり例のないもの且つ、全くなにもないところから始まった本作。

お互いに歩み寄りながら、
作りかけを渡し合いながら、
時にお互いの作品からインスピレーションを受けたり、
時に想像したり、
時に質問して世界観をクリアにしたり、、、

正解がない中で
自分たちの答えを形作るために
思いを巡らしながら
試行錯誤している様子が伝わってきた。

私も、なにかの正解じゃなくて
ただ自分なりの答えを大切にできるように、
どう思われるかを気にしすぎずに、
自分なりの答えを胸張ってしっかり言える、作り出せるようになりたいと思った。

最後に
長々となった駄文をお読みいただき、ありがとうございました!


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