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夏目漱石「行人」考察(28)直は綱の親族

夏目漱石「行人」、長野家に嫁いできた嫁である直。
私は前回の記事で、以下の推察をした。
・長野家よりも直の実家のほうが勢力が強い
・あるいは長野家が分家、直の実家がその本家


今回はそれに加えて、さらに次の推察をしたい。
・直と長野母(綱)とは、元々親族


1、不満が強いのに嫁いびりをしない姑・お綱

1(1)綱の直への不満

一郎と直との夫婦関係が不仲・対立的であることについて、綱は直に向けての不満が強い。
和歌山で一郎夫妻が歩いている場面。

あれだから本当に困るよ」と母が云った。その時母の眼は先へ行く二人の後姿をじっと見つめていた。自分は少くとも彼女の困ると云った意味を表向承認しない訳に行かなかった。
「また何か兄さんの気に障る事でもできたんですか」
「そりゃあの人の事だから何とも云えないがね。けれども夫婦となった以上は、お前、いくら旦那が素っ気なくしていたって、こっちは女だもの。直の方から少しは機嫌の直るように仕向けてくれなくっちゃ困るじゃないか。あれを御覧な、あれじゃまるであかの他人が同なじ方角へ歩いて行くのと違やしないやね。なんぼ一郎だって直に傍へ寄ってくれるなと頼みやしまいし」
(略)
「たとい何か考えているにしてもだね。直の方がああ無頓着じゃ片っ方でも口の利きようがないよ。まるでわざわざ離れて歩いているようだもの」
 兄に同情の多い母から見ると、嫂の後姿は、いかにも冷淡らしく思われたのだろう。が自分はそれに対して何とも答えなかった。ただ歩きながら嫂の性格をもっと一般的に考えるようになった。自分は母の批評が満更当っていないとも思わなかった。けれども我肉身の子を可愛いがり過ぎるせいで、少し彼女の欠点を苛酷に見ていはしまいかと疑った。
(略)
「だからさ妾には直が一郎に対してだけ、わざわざ、あんな風をつらあてがましくやっているように思われて仕方がないんだよ」

(「兄」十三~十四)

このように、綱は直に対して不満が強い。少なくともそれを二郎に対して表明している。
しかし、その綱が直に関して、離婚話を持ち出すこともなく、特に嫁いびりもしていないのである。

唯一、いびりじみた言動が一か所のみ存在する。
一郎がHと旅行に出立した日の夕方5時、二郎が実家を訪ねて来た場面

「だから妾の事なんかどうでも構わないのよ。だから旅に出かけたのよ」
 嫂はこれで黙ってしまった。自分も何とも云わなかった。そこへ母が風呂から上がって来た。
「おやいつ来たの」
 母は二人坐っているところを見て厭な顔をした。
        二十六
「もう好い加減に芳江を起さないとまた晩に寝ないで困るよ」
 嫂は黙って起たった。
「起きたらすぐ湯に入れておやんなさいよ」
「ええ」
 彼女の後姿は廊下を曲まがって消えた。
「芳江は昼寝ですか、どうれで静かだと思った」
「先刻さっき何だか拗ねて泣いてたら、それっきり寝ちまったんだよ。何ぼなんでも、もう五時だから、好い加減に起してやらなくっちゃ……」
 母は不平らしい顔をしていた。

(「塵労」二十五~二十六)

しかしこの箇所は、引用のように直が二郎と二人で話ししていたこと、しかも一郎が出立したその日に、という前提を考えれば、そこまでひどい嫁いびりではないといえよう。

この点を除けば、綱は嫁である直に対して、特にいびりや追い出そうとする行為はしていない。
むしろ直に気遣いをしている。

1(2)直になにも言わないお綱


一郎がお貞と直とを比べてあてこすった、「帰ってから・七」の食卓。無言で席を立とうとした直に、綱は一言も注意も止めもしていない。
単に、「父と母は厳格な顔をして己れの皿の中を見つめていた。」のみである。その後に直を注意したような述懐もない。

さらに二郎の分析でも、実の娘であるお重を遠ざけようとしている。
上記のあてこすりと、直の立ち去り直後の記述

東京へ帰ってから自分はこんな光景をしばしば目撃した。父もそこには気がついているらしかった。けれども一番心配そうなのは母であった。彼女は嫂の態度を見破って、かつ容赦の色を見せないお重を、一日も早く片づけて若い女同士の葛藤を避けたい気色を色にも顔にも挙動にも現した。

(「帰ってから」七)

漱石の他作品「虞美人草」において、藤尾の母(いわゆる後妻)は、実娘である藤尾に家の財産を継がせようとし、そのために血のつながりのない息子である甲野欽吾を追い出そうと画策していた。
しかし「行人」における綱の言動は、それとほぼ対局である。

私はこういった長野家の、直に対する異常に甘い態度の理由を、「一郎に子ができない・それを秘密・芳江は直側の親族から養子にもらったのを実子としているから」であると推察した。

しかしそれのみではなく、直と綱は、意外と仲が良さげな描写も存在するのだ。

1(3)意外と仲が良い綱と直

彼らの見物して来た所は紀三井寺であった。玉津島明神の前を通りへ出て、そこから電車に乗るとすぐ寺の前へ出るのだと母は兄に説明していた。
「高い石段でね。こうして見上げるだけでも眼が眩いそうなんだよ、お母さんには。これじゃとても上れっこないと思って、妾ゃどうしようか知らと考えたけれども、直に手を引っ張って貰って、ようやくお参りだけは済ませたが、その代り汗で着物がぐっしょりさ……」

(「兄」二十二)

彼女は単独に自分の箪笥などを置いた小さい部屋の所有主であった。しかしながら彼女と芳江が二人ぎりそこに遊んでいる事は、一日中で時間につもるといくらもなかった。彼女はたいてい母と共に裁縫その他の手伝をして日を暮していた

(「帰ってから」二十五)

個人的に「兄・十二~十三」における綱の直に対する不満が印象深く、見逃していたが、直と綱は少なくとも表面上は、なんら問題なく嫁姑関係を過ごしている。
引用した「兄・二十二」では、直とお綱とが二人で紀三井寺に出掛けたことが記されている。この間、二郎と一郎は二人で「直は御前に惚れてるんじゃないか」等とやっていたわけであるが、旅行先で配偶者と義理の親とを、長時間二人切りにしていたのである。
もし私であればそれをされたら妻に怒るし、同じことを現代(令和6年)で有名人がしたら、炎上させられるであろう。
しかし、直がこれを不満に感じている描写はないのである。

むろん、「行人」連載の大正元年と現代とでは「嫁」の立場は違うであろう。しかし少なくとも直は、夫への不満や不仲を義両親の前でも堂々と見せつけ、小姑(お重)をも堂々と挑発して澄ましているのである。そんな直に姑も舅も苦情を述べた形跡がない。
立場が弱いから不満を言えないのではなく、このことに特段不満をもっていなかったと解釈できる。

こういった関係性に鑑みれば、直と綱は、婚姻前からつながりがあった、元々親族であったと、推察できないだろうか。


2、妙に仲が良い岡田と直


「行人」冒頭、物語開始第2文目において岡田は、「母方の遠縁に当る男」(「友達」一)と説明されている。

そしてこの岡田が、妙に直と仲が良さそうなのである。それでいて岡田の妻であるお兼は違う。

大阪に一郎夫妻と綱が到着した際の、岡田と直との会話

岡田はいつの間にか用意して来た三四枚の絵端書を袂の中から出して、これは叔父さん、これはお重さん、これはお貞さんと一々名宛を書いて、「さあ一口ずつ皆などうぞ」と方々へ配っていた。
(略)
その嫂は父に出す絵端書を持ったまま何か考えていた。「叔父さんは風流人だから歌が好いでしょう」と岡田に勧められて、「歌なんぞできるもんですか」と断った。

(「兄」二)

お貞の結婚式のため岡田が東京に来た際の、長野家との会話

翌日番町へ行ったら、岡田一人のために宅中う騒々しく賑っていた。兄もほかの事と違うという意味か、別に苦い顔もせずに、その渦中に捲込まれて黙っていた。
「二郎さん、今になって下宿するなんて、そんな馬鹿がありますか、家が淋しくなるだけじゃありませんか。ねえお直さん」と彼は嫂に話しかけた。この時だけは嫂もさすが変な顔をして黙っていた。自分も何とも云いようがなかった。兄はかえって冷然とすべてに取り合わない気色を見せた。岡田はすでに酔って何事にも拘泥せずへらへら口を動かした。

(「帰ってから」三十三)

これらのように、岡田は直に対して随分と気軽に会話している。

しかし、岡田の妻であるお兼は、これと対照的であった。

嫂とお兼さんは親しみの薄い間柄であったけれども、若い女同志という縁故で先刻から二人だけで話していた。しかし気心が知れないせいか、両方共遠慮がちでいっこう調子が合いそうになかった。嫂は無口な性質であった。お兼さんは愛嬌のある方であった。お兼さんが十口物をいう間に嫂は一口しかしゃべれなかった。

(「兄」四)

ここで、前提として把握しておくべきなのは、「岡田よりもお兼のほうが、(結婚後の)直と接触が多いはず」との設定である。

岡田がいなくなったのは、ついこの間のようでも、もう五六年になる。(略)
岡田は高商を卒業して一人で大阪のある保険会社へ行ってしまった。地位は自分の父が周旋したのだそうである。それから一年ほどして彼はまた飄然として上京した。そうして今度はお兼さんの手を引いて大阪へ下って行った。

(「友達」一~二)

「行人」において、一郎と直との結婚時期が何故か明記されていないが、お兼は岡田が大阪へ行った以降も約1年間は、長野家に「仕立物などを持って出入り」(「友達」二)していたであろう。
そうであるにもかかわらず、直とお兼は「親しみの薄い間柄気心が知れない・両方共遠慮がち」である。
しかし、長野家における直との接点がお兼よりも少ないはずの岡田は、対照的に、直と互いに軽口を言い合うような間柄なのである。

これは、直が元々、岡田と親類で面識があったと解釈すべきではないだろうか。
そして、岡田は「母方の遠縁」である。

すなわち、直とお綱(長野母)は、元々親族であったと。

こう考えたほうが、直と二郎とが元々知り合いであるとの設定にも納得がいきやすい。

(綱に関する考察続けます。)

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