夏目漱石「行人」考察(22) 「将棋の駒」岡田
(「行人」の時系列を書いてる途中ですが、気になったので岡田について論じてみます。)
1、「将棋の駒」・岡田
「行人」で主人公・二郎と最初に出会うのが、「母の遠縁に当る男」岡田である。
(「友達」一)
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
岡田につけられたあだ名が、「将棋の駒」である。
さらに、お貞と佐野との縁談をめぐる、二郎とお重との会話で、「将棋の駒」とは単に顔の輪郭だけではないと示される。
そして、このお重の岡田評について、二郎も少なくとも明確には否定はしていない。
2、二郎にぶつけられた「将棋の駒」
そして、「行人」において、岡田の顔・中身以外にも、「将棋の駒」が出て来る場面が、一つだけある。
大阪に一郎夫妻や長野母(綱)が合流し、二郎が岡田から借りた金を返した際の、両者の会話。当の「将棋の駒」岡田から口に出される。
この、「兄弟喧嘩で、将棋の駒を、相手の額にぶつける」については同じく夏目漱石の、「坊っちゃん」でも、同じ描写がある。
同じ作家が、自身の過去の有名作品と同じ場面を、わざわざ繰り返し書いているのだ。当然、ここに注目してくれよ、との意味だろう。
ちなみに「坊っちゃん」と「行人」では、兄と弟が入違っている。
(しかし、これは「坊っちゃん」の坊っちゃんと、「行人」の長野一郎とが、同じ性格だということだろうか?
確かに両者とも癇癪持ちではあるが、一郎はそれを家族の前でだけにし、他人の前では隠すことに成功している。「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして」はいなさそうだ。むしろ坊っちゃんの兄の「女のような性分」のほうが当てはまるか。)
話を、「行人」に戻す。
岡田が、外見も中身も、「将棋の駒」であるとの前提に立って、二郎と一郎の兄弟げんかにおける「将棋の駒」に、岡田を代入する。
(「坊っちゃん」では兄にぶつけたのは、「飛車」だと具体的に示しているが、「行人」ではあくまで、「将棋の駒」をぶつけたと書かれている。これもやはり、=岡田 であると。)
・長野一郎は、二郎が、何か一口云ったのを癪に、いきなり 岡田を 二郎の額へ打付た
ということになる。
3、岡田とお兼との結婚は、一郎による二郎への嫌がらせ?
では、一郎が二郎の額に岡田をぶつけたとは、具体的にはなにか。
・「岡田とお兼との結婚」
これである。
岡田とお兼との結婚は、二郎のなにか一言か、ちょっとした態度に立腹し、癇癪を起した一郎が、二郎への嫌がらせで、実現させたのだ。
無論、それを明示した描写は作中のどこにもない。
しかし、そう考えたほうがしっくりくる描写が、いくつかあるのだ。
4、二郎は、もともと、お兼に気があった
二郎は元々、お兼に気があったのである。
前提として、「行人」の語り手・長野二郎が「信頼できない語り手」である旨は、何度も指摘した。
私の想定では、地の文における二郎の語りは、以下の前提に立っている。
・積極的な嘘は述べない
・しかし、既に知っていることや確信していることを、あたかも知らないような・わからないような口ぶりで語っていることは、ある
(→ 佐野の強い結婚要求の理由が、長野父の(既に衰退した)社会的勢力をが目当てと確信していた)
・通常ふれるべきであろう重要な前提について、全くふれていないことが、ある
(→ 直と二郎とが、直の結婚前からの知り合いであったこと・直の実家がお抱えの車夫がいるほどのえらい金持ちであること(「上り口に待っていた車夫の提灯には彼女の里方の定紋が付いていた。」(塵労「四」))
二郎のお兼に対する、明示されている評価は、
「結婚前は特に意識してなかったが、結婚後のいまの姿を見ると、好印象だ。ただし、玄人じみた媚もあるが」
という感じである。
ここだけを見れば、昔は特に意識してなかったが、今般大阪で再会し、話をしているうちに、以前とは違って好印象をもった、と読める。
しかし、どうもそれだけではない。
(1)二郎の憎まれ口
上記と同じく、「友達」三 での岡田と二郎との会話
どうだろう。特にお兼について二郎が意識していなかったのであれば、わざわざこのような憎まれ口を、誰かに向けて言い出す必要などなかったのではないだろうか。
また、二郎は自身の結婚相手・見合い相手を見つけることが出来ず完全に三沢まかせにしているし、妹・お重の見合い相手も見つけることはできていない。それなのに岡田が結婚した四五年前(のはず)の時点で、二郎に、「相当なのを見付てやる」ことが可能とも思えない。
やはり、これはあえて二郎が強がりをみせたのだ。
(しかし誰がこの二郎の憎まれ口を、わざわざ岡田もしくはお兼に聞かせたのだろうか? 一郎?)
他にも、引っかかる描写がある。
(2)二郎には秘されたお兼の結婚
・岡田がお兼との結婚のために上京した四五年前、二郎はそれを知らされておらず、富士登山旅行の最中であった
(「自分はその時富士へ登って甲州路を歩く考えで家には居なかったが、後でその話を聞いて一寸驚いた。」「友達」二)
これは、長野家の人間が、岡田とお兼との縁談を、二郎にはあえて一切知らせず、また異論を挟めないように、わざわざ二郎が長期旅行に出る時を見計らって、縁談をまとめさせ、お兼を大阪にいかせた。そう読めないだろうか。
特に「行人」後半では、二郎を含めた長野家総出でお貞と佐野との挙式の準備や当日の主催をし、当日も出席し一郎夫妻は仲人役までしている(「帰ってから」三十三~三十六)。
しかし、それとは対照的に、岡田とお兼との婚姻には、二郎はなんら携わっていない。それどころか、知らされてすらいなかったのである。
(3)「奪うように」お兼を連れて行った岡田
二郎の描写によれば、「岡田からの勧誘があったため」、長野母(綱)・一郎・直の三人が大阪旅行に来ることになったと(「兄」一)。
その岡田の行動と、お兼との結婚とを合わせて、二郎は過去を思い出す。
これも、改めてみると色々と意味が込められた表現に見えてくる。
岡田は
「突然」上京し、
「奪うように」お兼を連れて行き、
それに二郎は「驚か」されたと。そしてこの岡田の行動は
「目覚ましい手柄」であると。
ちょっとした知り合い同士が仮に急に結婚したところで、まあ驚くまでならわかるが、「奪うように」とは表現しない。
ましてや凄い美人とか特殊な才能を有した女性をつかまえたわけでもないのに、「目覚ましい手絡」とも言わない。
しかも、「手柄」って、まるでそれを褒めてくれる殿様か、目上の人物でもいるかのような表現だ。
その目上の人間が、長野一郎だ。
二郎の主観において、お兼は、「奪われた」のだ。
つまりお兼の結婚前から、二郎はお兼にそこそこ気があったのだ。
(もしかしたら性的関係もあった?)
かつ、それを長野家の人間、少なくとも長野一郎は、わかっていた。
だからこそ、一郎は、あえて二郎のいない隙を狙い、岡田をわざわざ大阪から呼び出して、お兼と結婚させたのだ(このことと、岡田とお兼とが元々仲良かったらしきこととは、別に矛盾しない。無論対外的には長野両親の仲介ということにして)。
この一郎の意向どおりに結婚したことが、「将棋の駒」岡田の「目覚ましい手絡」なのだ。
これが、「いきなり将棋の駒を自分の額へ打付た」の具体例だ。
綱(長野母)が、二郎の憎まれ口に対して𠮟りつけたのも(「友達」三 参照)、「同階級に属」しない女に対して、なにを未練がましくしてるんだこの色ボケ息子! との気持ちだろうか。
お重が、岡田を「将棋の駒」と評したのも、単に顔の輪郭ではなく、一郎の思うがままに動いた、との意味で言っているのかもしれない。
5、逆襲の長野二郎
しかし、私の推測通り、二郎への嫌がらせで一郎が、お兼を結婚させたのだとしたら、この兄弟、無茶苦茶仲が悪い?
もしかして、二郎が直と仲良くしてみせてるのは、お兼を結婚させたことに対する、一郎への、逆襲?
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