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小谷野敦「夏目漱石を江戸から読む」を令和から読む・続明暗


(夏目漱石の評論ではなく、個人的な思い出話です)

1、三冊の本


ある三冊の本があった。

一つは、夏目漱石の絶筆となった未完の小説「明暗」・大正五年(1916年)連載

二つ目は、水村美苗という人がその「明暗」の続きを独自に創作した「続・明暗」・平成2年(1990年)発表

最後が、私が「もてない男」でその名を知った、小谷野敦が書いた「夏目漱石を江戸から読む」である。平成7年(1995年)発表


私は、学生時代にまず漱石の「明暗」を読み、その後「続・明暗」という本があると知ってこれも読んだ。
その後数年し、社会人となった後、「もてない男」の作者が夏目漱石に関する評論も書いていると知り、「夏目漱石を江戸から読む」を読んだ。

なお、後述する私怨・逆恨みにより、「続・明暗」はすぐ捨てた。


2、「明暗」


一応、夏目漱石「明暗」のあらすじを書いておく。

主人公は東京在住の30歳の男:津田。サラリーマンだが毎月京都の親から仕送りをしてもらっている。美形。
半年前に妻:お延と結婚。お延の外見はあまりよくない。おそらくお延のほうから積極的に津田にアプローチをかけ、津田としてはお延の叔父:岡本が資産家であることも目当てとして結婚したと思われる。

津田には結婚前に交際していた女性:清子がいた。しかし清子は突然、理由も告げずに津田を振り、津田の友人でもあった関という男と結婚してしまう。
やがて津田は、清子と共通の知人女性から、清子が一人で温泉場に湯治に来ている・あなたも行って話をしてこい、と言われる。痔瘻の手術後である津田は、お延には清子の存在は秘して湯治のためとして一人、温泉旅館に向かう。そこで清子と再会し、二人はしばらく会話を重ねたー

ここで、絶筆となっている。

「奥さん」と云おうとして、云い損なった彼はつい「清子さん」と呼び掛けた。
「あなたはいつごろまでおいでです」
「予定なんかまるでないのよ。宅から電報が来れば、今日にでも帰らなくっちゃならないわ」
 津田は驚ろいた。
「そんなものが来るんですか」
「そりゃ何とも云えないわ」
 清子はこう云って微笑した。津田はその微笑の意味を一人で説明しようと試みながら自分の室に帰った。
              ――未完――

(「明暗」百八十八)

「明暗」において「なぜ清子は津田を振ったのか」が、一つの軸となっている。


3、「続・明暗」の思い出


3(1)愛が本物なら

「続・明暗」においては、上記の「なぜ清子は津田を振ったのか」の答えが、清子の言葉として記されている。

私は学生時代、それを真に受けて、もといそれが自分にも成立すると勝手に信じ込んで、えらい目に遭ったのである。

以下、当の「続・明暗」ではなく、「夏目漱石を江戸から読む」からの引用

 ー たとえば『続・明暗』の清子の台詞を参照すればいいのだろうか。『続・明暗』の清子は、津田が「自分を捨てることができない」「何が何でも自分に会いに来たのではない」と言って、暗に、津田がそのようないい加減な人物だから自分に袖にされたのだと告げているかのようだ。だが、『それから』の章で述べたように、恋愛は勧善懲悪ではない。まるでこれでは「一途な愛は必ず勝利する」という「少女マンガにおける一大妄想体系」(藤本由香里)ではないか。「愛が本物なら、私にもわかりますわ」とこの清子は言うのだが、むろん漱石は「恋愛」がそのような因果応報のレヴェルで機能しないことを知っているからこそ小説を書きつづけてきたのだ

  しかし、誰でも知っている通り、本当のところ、その愛が真実かどうかなんて恋が実るためには何の関係もない。「命をかけようがどうしようが、実らないものは実らない」のである。(藤本)

(小谷野敦「夏目漱石を江戸から読む」219~220頁(中公新書)。再引用箇所:藤本由香里「女と恋愛ー少女マンガのラブ・イリュージョン」(学陽書房))


書いたように、私が読んだ順番は、「明暗」→「続・明暗」→「夏目漱石を江戸から読む」である。

上記の引用箇所を読んで、ああ読む順番が逆ならよかった、と後悔した。

3(2)残念だった私


学生時代の私は「本物の愛・本当の愛」には、価値があるものだと思っていた。
無論、相手に受け入れられるかどうかは別であろう。そうだとしても「本当の愛」であれば、それなりに価値があるものとして対応してもらえる、そう思っていた、思い込んでいた。

そして私は「続・明暗」を恨んだ。


ただまあ、今にして冷静に思えば「続・明暗」どころか、「明暗」の時点において既に、私とは状況は違い過ぎた。

あらすじで書いたように、津田と清子とは元々恋人同士だった。
さらに両者がそれぞれ別の相手と結婚した以降も、「いきなり旅館に押しかけてくる」という真似を津田がしても、清子は最初こそ驚いたものの津田を一応受け入れ、昼間とはいえ室内で二人きりになって普通に会話しているのである。

私のようにそもそも、検討の余地ゼロだった男とは、前提が全く異なっていたのだ。
そこを学生時代の私は、読めなかった。

そしてもう一つ、学生時代の私が「明暗」「続・明暗」で読み落としていたことがある。

津田はイケメンだった。


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