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夏目漱石「行人」考察(15) 償う事もできない態度?

1、そこまで酷い態度か?



自分はこの時の自分の心理状態を解剖して、今から顧みると、兄に調戯うという程でもないが、多少彼を焦らす気味でいたのは慥かであると自白せざるを得ない。尤も自分が何故それ程兄に対して大胆になり得たかは、我ながら解らない。恐らく嫂の態度が知らぬ間に自分に乗り移っていたものだろう。自分は今になって、取り返す事も償う事も出来ないこの態度を深く懺悔したいと思う。

(「兄」四十二)
(※ 著作権切れにより引用自由です。)

和歌山で直と二人きりの夜を過ごした二郎が、一郎と母のいる宿に戻ったあと、一郎から呼び出された際の語りである。

ここを含めた「行人」における二郎の語りが、すべてが終わった後の回想であることと、第三者に向けて公開した文書であることは既に示した。


しかし、「取り返す事も償う事も出来ないこの態度」とは、妙に過大な表現である。一郎もしくは直に余程の自体でも生じたのであろうか。
あるいは、この時の自分の態度がなにかの重大事態の原因であると、語り手・二郎はミスリードしたいのか。

後に、一郎はHの手紙によれば
「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」
(中略)
「然し宗教にはどうも這入れそうもない。死ぬのも未練に食い留められそうだ。なればまあ気違だな。」
(「塵労」三十九)
となっている。

これによれば、上記の「償う事も出来ない」とは、回復不可能なレベルで一郎が精神を病んでしまった、ということだろうか。

しかし、二郎の態度がそこまで強烈とも思えない。

この場面で二郎が一郎に対してなした意味のありそうな発言は、以下の二つぐらいである。

・一郎「お前直の性質が解ったかい」「解りません」
・一郎から「一言だけ要領」を聞かれ、「姉さんの人格に就て、御疑いになる所はまるでありません」
(「兄」四十二~四十三)
これぐらいである。

確かに不遜ともいえるだろうが、これらをして、「取り返す事も償う事も出来ない態度」とは言えないだろう。
そもそもこの話は、一郎がいきなり「直の節操を試せ」と勝手な要求をしたことから始まっている。それを実行してあげた立場・疑われた立場である二郎としては、不遜な態度で返すぐらいはしてもよさそうだ。

またこれよりも前に、激しい口論を両者はしている。
紀三井寺で一郎が二郎に、「実は直の節操を御前に試して貰いたいのだ」と云った後、二人は口論となり、その際に二郎は「その激した或時に自分は兄を真正の精神病患者だと断定した瞬間さえあった。」としている。
こちらのほうが強い言葉を使ってそうだ。
(「兄」二十四~二十五)

しかし、少なくとも二郎の語りでは、「兄・四十二・四十三」においてとった態度が、「取り返す事も償う事も出来ない」ものであると。


冒頭の引用の数行前

 自分が兄から別室に呼出されたのはそれが済んで少時してであった。その時兄は常に変わらない様子をして、(嫂に評させると常に変らない様子を装って、)「二郎一寸話がある。彼方の室に来て呉れ」と穏かに云った。
(「兄」四十二)

(嫂に評させると常に変らない様子を装って、)」つまり事後的に二郎は、直にこの時の一郎の心情を密かに確認していたと。また一郎の心情が二郎にはわからなかったが直は把握できていたと。

そして二郎と一郎の会話の後、直が話せば一郎は、「十分か十五分話しているうちに、殆ど警戒を要しない程穏やかになった。」のである(「帰ってから」一)。

どうもよくわからない。

2、マウンティング意識が見え透いたのか?

仮に「兄・四十二・四十三」における二郎の態度が、真に「取り返す事も償う事も出来ない」事態を一郎に及ぼした、との前提に立つとする。

その理由は、表面上の態度や発言というよりは、いまで言う「マウンティング」意識が、一郎に伝わったからだろうか。

「兄さんの嫁さんは兄さんよりも僕の方を男として評価してますよ」と。

元々、一郎は
「直は御前に惚てるんじゃないか」と疑っていた(「兄」十八)。

ここで「惚れてる」との次元までいかなくとも、なんらかの微妙な、「俺のほうが嫂さんと仲良いいんですぜ、兄さん」との意識が二郎にあり、それが透けてみえたと。

かつ、それが直が「惚れてる」レベルの話であればまだよかったのだが、そこまで行かない小さな好意・仲良しの次元で、「兄さんは僕よりもさらに下ですぜ」と見えたのが、余計に一郎に苦痛だったのではないか。

「直はお前に惚れて」すらいないが、自分はそれ以下・それ未満だった。
その事実が一郎の精神を狂わせたと。

(この話続きます。)






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