(修正)夏目漱石「行人」考察57 二郎が見た「あの女」は別人?

※ 以前に投稿した記事の修正です


夏目漱石の大正元年(1912年)連載開始の小説「行人」

前半、「あの女」と呼ばれる芸者が、胃を悪くして三沢と同じ大阪の病院に入院する。

この「あの女」と三沢との関係については前にも書いた。
私の推測では、三沢は「あの女」から嫌われている。二郎から借りたお金(その元手は岡田→さらに綱(長野母))で、愛嬌を買った。

つまり金で美女の愛嬌を買うしかなかったエピソードである。またこれは、長野一郎が直の愛嬌を得られずに精神を病んだ事との、対比にもなっている、と。



しかしここで注意すべきは、二郎は病院において、入院以降の「あの女」を、一度も見てはいない事である。
つまり、二郎が病院の階段から見掛けた際に椅子に座っていた、「あの女」は、「あの女」ではない可能性が高いのである。

1、入院後は二郎は一度も見ていない


1(1)二郎の目撃

舞台は大阪の病院、二郎が「あの女」を見掛けたのは以下の状況である。

 自分は依然として病院の門を潜ったり出たりした。朝九時頃玄関にかかると、廊下も控所も外来の患者でいっぱいに埋っている事があった。そんな時には世間にもこれほど病人があり得るものかとわざと驚いたような顔をして、彼らの様子を一順見渡してから、梯子段に足をかけた。自分が偶然あの女を見出だしたのは全くこの一瞬間にあった。あの女というのは三沢があの女あの女と呼ぶから自分もそう呼ぶのである。
 あの女はその時廊下の薄暗い腰掛の隅に丸くなって横顔だけを見せていた。その傍には洗髪を櫛巻にした背の高い中年の女が立っていた。自分の一瞥はまずその女の後姿の上に落ちた。そうして何だかそこにぐずぐずしていた。するとその年増が向うへ動き出した。あの女はその年増の影から現われたのである。その時あの女は忍耐の像のように丸くなってじっとしていた。けれども血色にも表情にも苦悶の迹はほとんど見えなかった。自分は最初その横顔を見た時、これが病人の顔だろうかと疑った。ただ胸が腹に着くほど背中を曲げているところに、恐ろしい何物かが潜んでいるように思われて、それがはなはだ不快であった。自分は階段を上りつつ、「あの女」の忍耐と、美しい容貌の下に包んでいる病苦とを想像した。

(「友達」十八)

(※ 著作権切れにより引用自由です)

この描写、例によってあえてわかりにくくしてあると思うが、時系列順に記すと以下のようになる。

① 二郎、わざと驚いたような顔をして外来患者たちを見回す。
(これは、他人をじろじろ見回したいのだが、ただ単に見回していると誰かに見つけられたらいやらしいだろうと勝手に気にして、「驚いて見まわしている」風を装えば多少言い訳になると思ってわざとやっているということである。
二郎のいやらしさとそれを小手先でごまかしたがる性格を、短い言葉で見事に表している)

② 二郎、今度は梯子段を上ってる途中で外来患者たちを見回す。
(これも、高い所に登ればこちらからは見回しやすいが相手側からは視界に入りにくいので、そこからジロジロ見回したいという二郎の欲求・いやらしさを表している)

③ 二郎、高い所から「櫛巻きにした背の高い中年女」をジロジロ眺め続ける。これを本人は「何だかそこにぐずぐず」と表現

※「櫛巻き」- 女性の髪形で芸者に多かった捲き方らしい。

(これは、女の髪形などから「玄人」であることを感じ取ったので、中年とはいえそこに性的な興味を刺激されて二郎は見続けていたと。そこをごまかしている感じを「何だかぐずぐず」として漱石は表現している)

④ 玄人の中年女が動いた後、二郎が「あの女」の横顔と「胸が腹につくほど背中を曲げている」さまを見て「美しい容貌」と。

改めて読むと、二郎の助平心と、それをせこくごまかそうとする小ささとが、短い描写に見事に込められている。

1(2)病室にいるのは誰?

その後、三沢の言によれば「あの女」が入院するのだが、二郎は最後までその入院患者を、一度も見ていないのである。入院した人物が、二郎が梯子段から横顔を見た女と同一人物であるのかは、不明なのだ。

一番しまいに自分の言葉が途切れた時、三沢は「それは無論素人なんじゃなかろうな」と聞いた。自分は「あの女」を詳しく説明したけれども、つい芸者という言葉を使わなかったのである。
「芸者ならことによると僕の知っている女かも知れない」
 自分は驚かされた。しかしてっきり冗談だろうと思った。けれども彼の眼はその反対を語っていた。そのくせ口元は笑っていた。彼は繰り返して「あの女」の眼つきだの鼻つきだのを自分に問うた。自分は梯子段を上る時、その横顔を見たぎりなので、そう詳しい事は答えられないほどであった。自分にはただ背中を折って重なり合っているような憐れな姿勢だけがありありと眼に映った。
「きっとあれだ。今に看護婦に名前を聞かしてやろう」
 三沢はこう云って薄笑いをした。

(「友達」十九)

自分は蝙蝠よりも「あの女」の事が気にかかった。「おい、あの事は解ったか」と聞いて見た。
やっぱりあの女だ
 三沢はこう云いながら、ちょっと意味のある眼遣いをして自分を見た。自分は「そうか」と答えた。その調子が余り高いという訳なんだろう、三沢は団扇でぱっと自分の顔を煽いだ。そうして急に持ち交かえた柄の方を前へ出して、自分達のいる室の筋向うを指さした。
あの室へ這入ったんだ。君の帰った後で
(略)
 君はあの女を見舞ってやったのか」と自分は三沢に聞いた。
「いいや」と彼は答えた。「しかし見舞ってやる以上の心配をしてやっている」
「じゃ向うでもまだ知らないんだね。君のここにいる事は」
「知らないはずだ、看護婦でも云わない以上は。あの女の入院するとき僕はあの女の顔を見てはっと思ったが、向うでは僕の方を見なかったから、多分知るまい」

(「友達」二十・二十二)


このように、三沢が一度「あの女」の顔を入院時に見たのみである。
しかも三沢の言を前提にしても、入院するときに一度見掛けたのみである。正確性がやや弱い。
「あの女」は付添いのみで別の人間(廊下にいた「背の高い中年女」など)が入院した可能性もある。

ただ以降の描写によれば、その病室に入院しているのが女性であることと、その女が芸者であることは確定と思われる。

「あの女」の見舞客は絶えずあった。けれども外の室のように賑やかな話し声はまるで聞こえなかった。自分は三沢の室に寝ころんで、「あの女」の室を出たり入ったりする島田や銀杏返しの影をいくつとなく見た。中には眼の覚めるように派出な模様の着物を着ているものもあったが、大抵は素人に近い地味な服装で、こっそり来てこっそり出て行くのが多かった。入口であら姐はんという感投詞を用いたものもあったが、それはただの一遍に過ぎなかった。それも廊下の端に洋傘を置いて室の中へ入るや否や急に消えたように静かになった。
(略)
 三沢は病院の二階に「あの女」の馴染客があって、それが「お前胃のため、わしゃ腸のため、共に苦しむ酒のため」という都々逸を紙片へ書いて、あの女の所へ届けた上、出院のとき袴羽織わざわざ見舞に来た話をして、何という馬鹿だという顔つきをした。

(「友達」二十二)


そして、三沢は最後にその病室に入ったが、二郎は病室にいる女を一度も見ることも話す事も、訪ねることもなく、三沢と共に病院を去る。

 彼は自分の顔も見ず、また看護婦の顔も見ず、黙って立ったなり、すっと「あの女」の室の中へ姿を隠した。自分は元の座に坐って、ぼんやりその後影を見送った。彼の姿が見えなくなってもやはり空に同じ所を見つめていた。冷淡なのは看護婦であった。ちょっと侮蔑の微笑を唇の上に漂わせて自分を見たが、それなり元の通り柱に背を倚せて、黙って読みかけた書物をまた膝の上にひろげ始めた。
 室の中は三沢の入った後も彼の入らない前も同じように静かであった。話し声などは無論聞こえなかった。看護婦は時々不意に眼を上げて室の奥の方を見た。けれども自分には何の相図もせずに、すぐその眼を頁の上に落した。
 自分はこの三階の宵の間に虫の音らしい涼しさを聴きいた例はあるが、昼のうちにやかましい蝉の声はついぞ自分の耳に届いた事がない。自分のたった一人で坐っている病室はその時明かな太陽の光を受けながら、真夜中よりもなお静かであった。自分はこの死んだような静かさのために、かえって神経を焦らつかせて、「あの女」の室から三沢の出るのを待ちかねた。
 やがて三沢はのっそりと出て来た。室の敷居を跨ぐ時、微笑しながら「御邪魔さま。大勉強だね」と看護婦に挨拶する言葉だけが自分の耳に入った。
 彼は上草履の音をわざとらしく高く鳴らして、自分の室に入るや否や、「やっと済んだ」と云った。自分は「どうだった」と聞いた。
「やっと済んだ。これでもう出ても好い」

(「友達」三十)

1(3)語らない三沢

さらに不審な点として、おそらく長期間狙っていたであろう再会を果たした三沢が、あまり詳細を語らないことだ。

 彼は上草履の音をわざとらしく高く鳴らして、自分の室に入るや否や、「やっと済んだ」と云った。自分は「どうだった」と聞いた。
「やっと済んだ。これでもう出ても好い」
 三沢は同じ言葉を繰返すだけで、その他には何にも云わなかった

(略)
けれども彼があの女の室に入った時、二人の間にどんな談話が交換されたかについて、彼はついに何事をも語らなかった
「あの女はことによると死ぬかも知れない。死ねばもう会う機会はない。万一癒るとしても、やっぱり会う機会はなかろう。妙なものだね。人間の離合というと大袈裟だが。それに僕から見れば実際離合の感があるんだからな。あの女は今夜僕の東京へ帰る事を知って、笑いながら御機嫌ようと云った。僕はその淋しい笑を、今夜何だか汽車の中で夢に見そうだ」
(略)
自分は三沢と「あの女」が別れる時、どんな話をしたか、詳しく聞いて見ようと思って、少し水を向けかけたが、何の効果もなかった。しかも彼の態度が惜しいものを半分他に配けてやると、半分無くなるから厭だという風に見えたので、自分はますます変な気持がした。

(「友達」三十~三十二)

そして、三沢の言葉に現れた「あの女」の発言は、「御機嫌よう」この一言のみである。

ちなみにこの「御機嫌よう」は、少し前に二郎も女性から言われている。病院に来る直前、岡田の家の下女からである。
しかも、お金を渡した際にである。

お兼さんは地理だけはよく呑み込んでいたが、病院の名は知らなかった。自分はとにかく鞄を提げて岡田の家を出る事にした。
「どうもとんだ事でございますね」とお兼さんは繰り返し繰り返し気の毒がった。断るのを無理に、下女が鞄を持って停車場まで随いて来た。自分は途中でなおもこの下女を返そうとしたが、何とか云ってなかなか帰らなかった。その言葉は解るには解るが、自分のようにこの土地に親しみのないものにはとても覚えられなかった。別れるとき今まで世話になった礼に一円やったら「さいなら、お機嫌よう」と云った

(「友達」十二)

これと併せて考えれば、「あの女」が三沢に「御機嫌よう」と言ってくれたのは、大金(二郎から借りた、最終的には長野母が出している)を渡したからである。

「あの女」からあまり愛嬌を振りまかれなかったから、三沢は多くを語らなかったのだろうか。
三沢自身はずっと「あの女」を気に掛けており、私の推測では「あの女」と接近するためにあえて入院まで三沢はした。しかし「あの女」からはなんら好意も特に愛嬌も得られなかった。
だから三沢は、散々手間暇かけて身辺調査をし、あえて入院までして待っていた「あの女」と「万一癒るとしても、やっぱり会う機会はなかろう」と。


2、二郎と三沢母との会話


二郎が、大阪の病院で入院している人物を一度も見ていない事に気付いた後、私は「あそこの会話になにかヒントはないか? たぶんあるはずだ」と思ってもう一度読み直してみた。二郎と三沢母との会話を。
見事に怪しい点が見つかったのである。

二郎は三沢母に言われるまで、三沢の部屋にある画の女が「精神病の娘さん」とは気付かなかった
三沢の言によれば「あの女」と「娘さん」はよく似ているはずなのに。

終盤、二郎が三沢宅を訪ねた場面。あえて章の最初から引用する。

 翌日自分は事務所の帰りがけに三沢を尋ねた。ちょうど髪を刈りに今しがた出かけたところだというので、自分は遠慮なく上り込んで彼を待つ事にした。
「この両三日はめっきりお暖かになりました。もうそろそろ花も咲くでございましょう」
 主人の帰る間座敷へ出た彼の母は、いつもの通り丁寧な言葉で自分に話し掛けた。
 彼の室は例のごとく絵だのスケッチだので鼻を突きそうであった。中には額縁も何なにもない裸のままを、ピンで壁の上へじかに貼り付けたのもあった。
「何だか存じませんが、好きだものでございますから、むやみと貼散らかしまして」と彼の母は弁解がましく云った。自分は横手の本棚の上に、丸い壺と並べて置いてあった一枚の油絵に眼を着けた。
 それには女の首が描いてあった。その女は黒い大きな眼をもっていた。そうしてその黒い眼の柔やわらかに湿ったぼんやりしさ加減が、夢のような匂いを画幅全体に漂わしていた。自分はじっとそれを眺めていた。彼の母は苦笑して自分を顧みた。
「あれもこの間いたずらに描きましたので」
 三沢は画の上手な男であった。職業柄自分も画の具を使う道ぐらいは心得ていたが、芸術的の素質を饒かにもっている点において、自分はとうてい彼の敵ではなかった。自分はこの画を見ると共に可憐なオフィリヤを連想した。
「面白いです」と云った。
「写真を台にして描いたんだから気分がよく出ない、いっそ生きてるうちに描かして貰えば好かったなんて申しておりました。不幸な方で、二三年前に亡くなりました。せっかく御世話をして上げた御嫁入先も不縁でね、あなた」
 油絵のモデルは三沢のいわゆる出戻りの御嬢さんであった

(「塵労」十三)

手持ちの文庫で、章の冒頭から20行目以降にようやく、「油絵の女」が「精神病の娘さん」であるとわかったと、二郎は書いているのだ。

つまり「大阪の病院で梯子段から二郎が見た美人」(以下「二郎が見た女」)と、「精神病の娘さん」とは、顔が似てはいない。


すなわち、三沢の言う「あの女」と、「二郎が見た女」とは、別人なのだ。

そう思うと、先に引用したこの描写も違う意味に見えてくる。

「芸者ならことによると僕の知っている女かも知れない」
 自分は驚かされた。しかしてっきり冗談だろうと思った。けれども彼の眼はその反対を語っていた。そのくせ口元は笑っていた。彼は繰り返して「あの女」の眼つきだの鼻つきだのを自分に問うた。自分は梯子段を上る時、その横顔を見たぎりなので、そう詳しい事は答えられないほどであった。自分にはただ背中を折って重なり合っているような憐れな姿勢だけがありありと眼に映った。

(「友達」十九)

つまり三沢の語る「あの女」の顔の特徴と、「二郎が見た女」の顔の特徴は、実は不一致だったのだ。それが上記の会話における二郎の微妙な対応となって現れている。


そして、この私の勝手な推測を前提にすれば、この疑問に向き合わないといけない。

「あの女」と、「二郎が見た女」とが、別人であることの意味は


(この考察続ける予定です。)

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