夏目漱石「行人」考察(18) 二郎の「卑怯」ポエムはごまかし?

「行人」において、一郎が妙にポエムを連発し、それが二郎の言葉によって「それ要はモテない苦しみだよね」と暗に示されていることを指摘してきた。

しかしその二郎も、一郎よりも前にこれまたずいぶん大袈裟なポエムをつぶやいている。
まだ一郎が物語に登場するよりも前の段階、序盤で三沢の入院中、他の室で入院中の「あの女」と、その担当の「美しい看護婦」をめぐる二郎の一人語り。

 自分の「あの女」に対する興味は衰えたけれども自分はどうしても三沢と「あの女」とをそう懇意にしたくなかった。三沢も又、あの美しい看護婦をどうする了簡もない癖に、自分だけが段々彼女に近づいて行くのを見て、平気でいる訳には行かなかった。其処に自分達の心付かない暗闘があった。其処に持って生まれた人間の我儘と嫉妬があった。其処に調和にも衝突にも発展し得ない、中心を欠いた興味があった。要するに其処には性の争いがあったのである。そうして両方共それを露骨に云う事が出来なかったのである。
 自分は歩きながら自分の卑怯を恥た。同時に三沢の卑怯を悪んだ。けれども浅間しい人間である以上、これから先何年交際を重ねても、この卑怯を抜く事は到底出来ないんだという自覚があった。自分はその時非常に心細くなった。かつ悲しくなった。

(「友達」二十七)
(※ 著作権切れにより引用自由です。)

あらためて引用するとその大袈裟具合に驚く。単に「俺に新しい彼女や俺を愛してくれる美人が出来たわけでもないのに、友人にだけそれが出来そうになるのはなんか悔しい」というだけだろう。
この感情自体は理解できる、いや私にはとてもよく理解できる。しかしこれはせいぜい「俺は小さい男だなあ」ぐらいの話だろう。

それを、
持って生まれた人間の我儘と嫉妬
調和にも衝突にも発展し得ない、中心を欠いた興味
自分の卑怯を恥た。同時に三沢の卑怯を悪んだ
これから先何年交際を重ねても、この卑怯を抜く事は到底出来ないんだ

あまりに大袈裟過ぎる。単に「小さいモテない男の嫉妬」ぐらいだろう。まあ二郎も三沢もそこそこ相手と仲良くなれているようなので「あまりモテてない小さい男の嫉妬」ぐらいが正確か。

2、「女にモテなくて苦しい」とは言えないことが、苦しい


そして、では何故「単にモテない男の嫉妬」程度のことを、わざわざ「自分の卑怯を恥た。同時に三沢の卑怯を悪んだ」などと二郎が書かなければいけなかった理由は、以下のとおりである。

「女にモテなくて苦しい、とは口にできないから」

以上である。

そんなちんけな次元か、と思われるかもしれない。
しかし、「行人」に出てくる苦悩めいた語りをみてみよう。
見事にすべて「男と女」絡みではないか。
まるで恋に恋する女子中学生のように、「行人」の登場人物達の頭の中は、恋愛話でいっぱいだ。かつて「三四郎」の小川三四郎がそうであったように。

・仲良さげで実は「二人切じゃ淋しくって」という関係の岡田夫妻

・上記の二郎と三沢との「あの女」・「美しい看護婦」をめぐる「卑怯

・三沢にいつも「早く帰って来て頂戴ね」と言っていた既に故人の「精神病の娘」

・その「精神病の娘」について「どうしても三沢に気があったのだとしか思われんがね」と固執する一郎

・直との不仲に心を病み、メレジスだ魂だスピリットだ、直はお前に惚れてるだ、パオロだフランチェスカだ永遠の勝利者だ、結婚した女からは幸福を要求できないだと、最後までポエムを繰り返す一郎

・赤の他人でどこまで事実かも不明な「盲目の女」の話を聞いて父親を「本当に情けない」と憤る一郎

・長野母には「大喜び」に見せてるのに、お重相手には実は結婚について「あんなに心配している」お貞

・直に誘惑めいた言動を繰り返され心理状態がおかしくなり、年上のHに一郎を旅行に連れ出せ・状況を報告しろと無茶な要求を繰り返す二郎


どうだろう。みな見事なまでに、恋愛話・男と女のお話で悩みぬいている。

上で「恋に恋する女子中学生」と書いたが、似たようなことを「盲目の女」関係で二郎が一郎に指摘していた。

「この間謡の客のあった時に、盲女の話をお父さんがしたろう。あのときお父さんは何とかいう人を立派に代表して行きながら、その女が二十何年も解らずに煩悶していた事を、ただ一口に胡魔化している。己はあの時、その女のために腹の中で泣いた。女は知らない女だからそれ程同情は起らなかったけれども、実をいうとお父さんの軽薄なのに泣いたのだ。本当に情けないと思った。・・・・・・」
「そう女みたように解釈すれば、何だって軽薄に見えるでしょうけれども・・・・・・」

(「帰ってから」二十一)

恋愛話に異常に本気で固執する一郎を、二郎は「そう女みたように」と評している。
恋愛話に必死になるのは、女のすることであり、大の男がそんなことにいつまでも固執してうじうじ悩んではいけない・そんな男は情けない、、、、そういう規範が、男達には突きつけられている。「行人」が連載開始された大正元年(1912年)も、私がこれを書いている令和6年(2024年)もだ。

多様性だ個性の尊重だなんだと語られても(下手するとそれを声高に世間に主張するような人たちこそ)、男らだけは「男らしさ」の規範から降りることはまず許されない。
これが同性愛者や恋愛に興味がない男であればともかく、「女を好きだが、男らしさのない男」に対しては、そういう男に対してだけは、いくらでも侮蔑嘲笑してもよいとされてしまっている。

いわんや、大正元年の長野一郎・二郎はどうだったか。
より重い「男は男らしくなければならない」との規範が、世間の男女から突きつけられていたであろう。
だからこそ、彼らは「あまりモテなくて苦しい」とは口にできない。

だからこそ、大袈裟すぎる表現に、逃げなければならなかった。

その苦悩を、夏目漱石は、一郎や二郎にやたら大袈裟な言い回しでしゃべらせることによって、描いたのだ。

3、不自然なお重への評価


二郎は妹・お重とのけんかの際に、お重をこう描写している。

 ―― そうして事実は無論の事、事実が生んだ飛んでもない想像まで縦横に喋舌廻して已まなかった。その中で彼女の最も得意とする主題は、何でも蚊でも自分と嫂とを結び付けて当て擦るという悪い意地であった。自分はそれが何より厭であった。自分はその時心の中で、どんなお多福でも構わないから、お重より早く結婚して、この夫婦関係がどうだの、男女の愛がどうだのと囀る女を、たった一人後に取り残して遣りたい気がした。――

(「帰ってから」九)

しかしここで、「この夫婦関係がどうだの、男女の愛がどうだのと囀る女」とあるが、「行人」においてお重がそんなことを語っている場面は特にないのである。お貞を気にかけて二郎に佐野について何度か聞いた程度だ。

むしろ最も、「夫婦関係がどうだの、男女の愛がどうだのと」語り回しているのは、明らかに長野一郎だろう。既に繰り返し引用してきた。

なのに、上記の表現は一郎に対してではなく、あくまでお重に対して使用されている。

この不自然さは何か。「囀る」(さえずる)との表現が答えを示している。

夫婦関係がどうだの、男女の愛がどうだのと」語り出すのは、成人男性のすることではないと、女子供のすることのはずだ、そうされてしまっている。
だからさすがに二郎も、一郎を「夫婦関係がどうだの、男女の愛がどうだのと囀る 男」とは言えなかった。

だからこそ、モテない男達は、より一層、苦しかった。

その苦しさを、夏目漱石は描いた。

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