漱石「こころ」考察10 Kは悪人?



夏目漱石の有名作品「こころ」。大正三年(1914年)連載

主要登場人物である「K」のスペックについて、前の記事で確認した。

そこでまとめたKのスペックを再掲

・先生よりもイケメン(先生がどんな顔かは記載なし)
・先生よりも背がまあまあ高い(先生がどの程度の身長かは記載なし)
・先生よりも男らしい
・先生よりも女の扱いは全くできなさそうだった(過去形。先生も女の扱いはうまくはなさそうだが)
・先生よりも賢い(先生も東大生。Kの死後無事に卒業)
・髪型はほぼ坊主頭
・新潟出身。
・浄土真宗の寺の二男、母は死去、継母に育てられる
・年の離れた姉、兄がいる。姉は裕福ではない家に嫁ぎ、寺は兄が継いだ
・(旧制)中学時代に、姉の嫁ぎ先の親族の医者に養子に出される。後に養子縁組は解消、実家からも勘当される
・字はヘタ
・金はない
・イニシャルが夏目漱石(本名:夏目金之助)と同じ

今回はKと先生との関係性について、改めて考察したいと思う。


1、Kも「田舎者」


上にもまとめたように、Kは新潟出身である。
(先生が新潟出身・Kは同郷)

そして先生は、田舎者を侮蔑している。
前半における「私」との会話

「君の兄弟は何人でしたかね」と先生が聞いた。
 先生はその上に私の家族の人数を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、叔父や叔母の様子を問いなどした。そうして最後にこういった。
「みんな善い人ですか」
「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大抵田舎者ですから」
田舎者はなぜ悪くないんですか
 私はこの追窮に苦しんだ。しかし先生は私に返事を考えさせる余裕さえ与えなかった。
田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中うちに、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」

(「上 先生と私」二十八)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

むろんこの話は、先生が父の遺産を騙し取られたとしている自身の叔父を、念頭に置いたものと後に説明されている。

しかし、Kが「先生と同郷」との設定の上で、先生は「田舎者」をまとめて「都会のものよりかえって悪い」と明言しているのだ。
少なくともKが例外であるとは示されていない。

また「鋳型に入れたような悪人は」いない・「普通の人間が 急に悪人に変わる」、とされているのも、普通の人間どころかむしろ禁欲的な求道者のようであったKが、急に悪人に変わったとする話の、前振りであるとも読めなくはない。


2、「金を見るとKも悪人になるのさ」


2(1)「どんな君子」でも

さらに先生は「私」の質問に対して話を続ける。

 門口を出て二、三町来た時、私はついに先生に向かって口を切った。
「さきほど先生のいわれた、人間は誰でもいざという間際に悪人になるんだという意味ですね。あれはどういう意味ですか」
「意味といって、深い意味もありません。――つまり事実なんですよ。理屈じゃないんだ」
「事実で差支えありませんが、私の伺いたいのは、いざという間際という意味なんです。一体どんな場合を指すのですか」
 先生は笑い出した。あたかも時機の過ぎた今、もう熱心に説明する張合いがないといった風ふうに。
金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ
 私には先生の返事があまりに平凡過ぎて詰らなかった。先生が調子に乗らないごとく、私も拍子抜けの気味であった。私は澄ましてさっさと歩き出した。いきおい先生は少し後れがちになった。先生はあとから「おいおい」と声を掛けた。

(「上 先生と私」二十九)

先に引用したように「二十八」では、「普通の人が悪人になる」との話であったのに対し、「二十九」では、「どんな君子でもすぐ悪人になる」と、少しニュアンスが変わっている。

ここを見てもやはり、先生の叔父のみではなく、求道者のようであったKも、「すぐ悪人に」なったと含んでいるのではないか。

2(2)Kの君子っぷり

この「どんな君子でも金で悪人になる」との言葉を強く意識すると、先生が自身の「遺書」に書き連ねたKの姿勢に対する賛美が、むしろ前振りのように見えて来る。

長くなるがまとめて抜粋する

寺に生れた彼は、常に精進という言葉を使いました。そうして彼の行為動作は悉くこの精進の一語で形容されるように、私には見えたのです。私は心のうちで常にKを畏敬していました
 Kは中学にいた頃から、宗教とか哲学とかいうむずかしい問題で、私を困らせました。これは彼の父の感化なのか、または自分の生れた家、すなわち寺という一種特別な建物に属する空気の影響なのか、解りません。ともかくも彼は普通の坊さんよりは遥かに坊さんらしい性格をもっていたように見受けられます。
(略)
Kはただ学問が自分の目的ではないと主張するのです。意志の力を養って強い人になるのが自分の考えだというのです。それにはなるべく窮屈な境遇にいなくてはならないと結論するのです。
(略)
仏教の教義で養われた彼は、衣食住についてとかくの贅沢をいうのをあたかも不道徳のように考えていましたなまじい昔の高僧だとか聖徒(セイント)だとかの伝を読んだ彼には、ややともすると精神と肉体とを切り離したがる癖がありました。肉を鞭撻すれば霊の光輝が増すように感ずる場合さえあったのかも知れません。
(略)
 たしかその翌る晩の事だと思いますが、二人は宿へ着いて飯を食って、もう寝ようという少し前になってから、急にむずかしい問題を論じ合い出しました。Kは昨日自分の方から話しかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思っていなかったのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。
(略)
私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。
 私がこういった時、彼はただ自分の修養が足りないから、他にはそう見えるかも知れないと答えただけで、一向私を反駁しようとしませんでした。私は張合いが抜けたというよりも、かえって気の毒になりました。私はすぐ議論をそこで切り上げました。彼の調子もだんだん沈んで来ました。もし私が彼の知っている通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだろうといって悵然としていました。Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。霊のために肉を虐げたり、道のために体を鞭ったりしたいわゆる難行苦行の人を指すのです。Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでいるか解らないのが、いかにも残念だと明言しました。

(「下 先生と遺書」十九~三十一)

このようにKの修行僧ぶりが重ねて強調されている。

その上で、先生は言っているのだ
「どんな君子でも金で悪人になる」と。

2(3)先生と嫌味


いま引用する際に改めて見直してみたら、二つ、私が読み落としていた点があることに気が付いた。先生がKを称賛しつつ嫌味を挟んでいる

一つは、
なまじい昔の高僧だとか聖徒だとかの伝を読んだ彼」と。

もう一つは
口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとする」と。


3、信用できないセイント


先に示した「なまじい」「口の先だけ」との二つの嫌味と、「どんな君子でも金で悪人」、さらには「田舎者は都会の者より悪い」との先生の言葉を合わせて考えると、先生は下記の事が言いたかったのではないか。

(ハッキリとは言わんけど、)高尚ぶってるKも、しょせんは俗物よ


そういえば前半で先生は「私」に対してこう迫っている。

「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」

(「上 先生と私」三十一)

死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたい」と。

つまり他人を誰一人として信用していない・信用できなかったと。
ここの「他人」には、妻である静と、そしてKも含まれているはずだ。

換言すれば「静もKも信用できない」と。

そして私の推測では、静は先生以外にも男性を知っている。

すると静の相手として考えられるのは、Kであろう。

ここから、私はまた勝手な推測を重ねたい。

Kは確かに自殺を図った。
しかしそれにとどめを刺したのは、先生だ

(この考察続ける予定です)


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