夏目漱石の有名作品「こころ」。大正三年(1914年)連載
主要登場人物である「K」のスペックについて、前の記事で確認した。
そこでまとめたKのスペックを再掲
今回はKと先生との関係性について、改めて考察したいと思う。
1、Kも「田舎者」
上にもまとめたように、Kは新潟出身である。
(先生が新潟出身・Kは同郷)
そして先生は、田舎者を侮蔑している。
前半における「私」との会話
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
むろんこの話は、先生が父の遺産を騙し取られたとしている自身の叔父を、念頭に置いたものと後に説明されている。
しかし、Kが「先生と同郷」との設定の上で、先生は「田舎者」をまとめて「都会のものよりかえって悪い」と明言しているのだ。
少なくともKが例外であるとは示されていない。
また「鋳型に入れたような悪人は」いない・「普通の人間が 急に悪人に変わる」、とされているのも、普通の人間どころかむしろ禁欲的な求道者のようであったKが、急に悪人に変わったとする話の、前振りであるとも読めなくはない。
2、「金を見るとKも悪人になるのさ」
2(1)「どんな君子」でも
さらに先生は「私」の質問に対して話を続ける。
先に引用したように「二十八」では、「普通の人が悪人になる」との話であったのに対し、「二十九」では、「どんな君子でもすぐ悪人になる」と、少しニュアンスが変わっている。
ここを見てもやはり、先生の叔父のみではなく、求道者のようであったKも、「すぐ悪人に」なったと含んでいるのではないか。
2(2)Kの君子っぷり
この「どんな君子でも金で悪人になる」との言葉を強く意識すると、先生が自身の「遺書」に書き連ねたKの姿勢に対する賛美が、むしろ前振りのように見えて来る。
長くなるがまとめて抜粋する
このようにKの修行僧ぶりが重ねて強調されている。
その上で、先生は言っているのだ
「どんな君子でも金で悪人になる」と。
2(3)先生と嫌味
いま引用する際に改めて見直してみたら、二つ、私が読み落としていた点があることに気が付いた。先生がKを称賛しつつ嫌味を挟んでいる
一つは、
「なまじい昔の高僧だとか聖徒だとかの伝を読んだ彼」と。
もう一つは
「口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとする」と。
3、信用できないセイント
先に示した「なまじい」「口の先だけ」との二つの嫌味と、「どんな君子でも金で悪人」、さらには「田舎者は都会の者より悪い」との先生の言葉を合わせて考えると、先生は下記の事が言いたかったのではないか。
・(ハッキリとは言わんけど、)高尚ぶってるKも、しょせんは俗物よ
そういえば前半で先生は「私」に対してこう迫っている。
「死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたい」と。
つまり他人を誰一人として信用していない・信用できなかったと。
ここの「他人」には、妻である静と、そしてKも含まれているはずだ。
換言すれば「静もKも信用できない」と。
そして私の推測では、静は先生以外にも男性を知っている。
すると静の相手として考えられるのは、Kであろう。
ここから、私はまた勝手な推測を重ねたい。
「Kは確かに自殺を図った。
しかしそれにとどめを刺したのは、先生だ」
(この考察続ける予定です)