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夏目漱石「行人」考察(23)「行人」とは「長野二郎の復讐」である


1、逆襲の長野二郎


前回、「行人」の登場人物「岡田」について考えている中で、こう思いついた。

・「行人」とは、「逆襲の長野二郎」である、と


かみ砕くと以下になる。

・物語開始の「四五年前」、長野一郎が、なんらかの癇癪を弟である二郎に対して起こした。

・その長野一郎が指示をし、そのとおりに動いた、「将棋の駒」岡田によって、当時二郎がそこそこ気があった(もしかしたらお金を払っての性的関係もあった?)お兼が、二郎にはあえて秘されて岡田と結婚し、東京から大阪へと連れていかれた。

・その時の復讐として、二郎は一郎の妻である直と、露骨に仲良くしてみせ、一郎の精神を追い詰めていった --

これが、「行人」の見えない筋だと。

前回と重なる部分もあるが、以下、その論拠を示します。

2、(論拠概略)


・岡田が「将棋の駒」なのは外見だけでなく人格も(お重・二郎)。

・「行人」において、「将棋の駒」が使用されるのは岡田への評価以外は、
「昔、一郎が癇癪を起こして将棋の駒を二郎にぶつけた」これのみ。
つまり一郎が癇癪を起こして、岡田(=将棋の駒)を、二郎にぶつけた。

・四五年前の岡田とお兼との結婚は、何故か、二郎に秘して行われた。

・お兼の結婚を知った二郎は、当時、
岡田も気の毒だ。あんなものを大阪下りまで引っ張って行くなんて」と口にした(「友達」三)。
しかし現在からの回想では、
お兼さんを奪うように伴れて行った」岡田の、「自分を驚かした」「目覚ましい手柄」と、まるで真逆の評価(「兄」一)。
つまり「あんなものを~」は本心ではない憎まれ口。→ あえて憎まれ口を言いたい心境にあったと、示されている。
また、「奪うように」「目覚ましい手柄」と。二郎はお兼に少なくともそこそこ気が合ったことも示されている。

・二郎は現在の回想では、岡田とお兼との結婚を上記のように、
目覚ましい手柄」と。
しかし「手柄」とは、殿様か主君から評価されることへの表現。
つまりお兼との結婚は、長野家・一郎から評価された「手柄」だと。「将棋の駒」による。

2(2)(以下は本記事からの追加)


・序盤「友達」において、二郎が、入院中の三沢との芸者や「美しい看護婦」をめぐる小さな小さな争いを、やたら大袈裟なポエムで記している。

 -- 要するに其処には性の争いがあったのである。そうして両方共それを露骨に云う事が出来なかったのである。
 自分は歩きながら自分の卑怯を恥た。同時に三沢の卑怯を悪んだ。けれども浅間しい人間である以上、これから先何年交際を重ねても、この卑怯を抜く事は到底出来ないんだという自覚があった。自分はその時非常に心細くなった。かつ悲しくなった。

(「友達」二十七)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

このあまりに大袈裟さなポエムを二郎が語っている理由を私は以前、「あまりモテないつらさ」を誤魔化して表現したもの、と解釈した。

https://note.com/vast_murre78/n/n95a86d1f038d

しかし改めて上記の「将棋の駒」の解釈を前提に考えると、二郎の内心には、三沢とではなく、一郎との、より憎しみのこもった、「性をめぐる争い」があったはずである。

しかも、その一郎との見えない対立の結果が、

自分は今になって、取り返す事も償う事も出来ないこの態度を深く懺悔したいと思う。
(「兄」四十二)

との結果につながっているはずである。

上記の「卑怯を恥じた・悪んだ(にくんだ)」・「卑怯を抜くことができなくて悲しい」などといった、一見大袈裟なポエムは、三沢との小さなどうでもよい争いを想起したものでは、ないのでは。
二郎と一郎との、まさに骨肉の争いと、その結果とを、前提としているのでは。
そう考えればこのポエムは大げさではなくなる。


・「取り返す事も償う事も出来ないこの態度を深く懺悔したい
上を含め、これまで何度も引用しているが、この記載がある和歌山から直とともに帰って来た当時、二郎は一郎に対してそこまで酷い「態度」はとっていない。
しかし、なにか「償う事も出来ない」事態が発生したと。
かつ、それは一郎側の勝手な誇大妄想や精神病ではなく、二郎としても「深く懺悔」しないといけないほどの、二郎側に重い責任のある態度を、なにか取っていたと。その自覚もあると。

(しかしその「償う事も出来ない」とは、一郎の死か、一郎が回復できないほど精神を病んだか、あるいは一郎が、長野両親か芳江をあやめてしまったのか。
(二郎の語りに、後日に直やお重と回想したことを示すものはあるが、両親や芳江についてはない))

なので、この時の態度単体ではなく、なにか二郎は一郎の精神を病ませるような態度・病んでもおかしくないような態度を、長期間取り続けていたと。

2(3)お兼は、プロだった?


・物語開始直後、お兼と再会した際の二郎の第一文が、

 お兼さんの態度は明瞭で落ちついて、どこにも下卑た家庭に育ったという面影は見えなかった。

(「友達」三)

またこれに続いて

 この若い細君がまだ娘盛の五六年前に、自分はすでにその声も眼鼻立も知っていたのではあるが、それほど親しく言葉を換かわす機会もなかったので、こうして岡田夫人として改まって会って見ると、そう馴々しい応対もできなかった。それで自分は自分と同階級に属する未知の女に対するごとく、畏かしこまった言語をぽつぽつ使った。

(同上)

二郎はお兼と(おそらく四五年振りに)再会していきなり、「下卑た家庭に育った」とわざわざ記している。

また再会時の感想が、「下卑た家庭に育ったという面影は見えなかった」とは、以前のお兼には「下卑た家庭に育った面影」が見えていた、と示している。

さらに、「自分と同階級に属する未知の女に対するごとく」とは、お兼は本来自分と同じ階級には属していない、自分よりも下の階級の人間・下の階級の女であると、二郎はわざわざ記しているのである。

そして、以前にもふれたが二郎のお兼に対する強烈な評価

 「あなたこの間から独りで御得意なのね。二郎さんだって聞き飽きていらっしゃるわ。そんな事」と云いながら自分を見て「ねえあなた」と詫るようにつけ加えた。自分はお兼さんの愛嬌のうちに、どことなく黒人(※玄人)らしい媚を認めて、急に返事の調子を狂わせた。

(「兄」一)

玄人らしい」・「」、これを実際には玄人ではない女性、それも自分の親族の妻である女性に対して使うのは、嫌味が強過ぎではないか。

しかし、仮にお兼が実際に玄人、もしくはそれに近いことをしていたとしたら?
そうであればいきなり、「玄人らしい媚」との表現を想起するのも、理解はできる。

また、「行人」を普通に読む限り私は感じなかったが、お兼は実は、
下卑た家庭に育ち」、以前はその「面影」もあり、かつ二郎から見て自分よりも、下の「階級に属する女」であると。

これはやはり、お兼は以前、「玄人」であったと。芸者か、あるいは娼婦のようなことをしていた、と。

なお、「階級」意識についてふれた会話が、入院中の三沢と二郎との間にある。

けれども「あの女」とその美しい看護婦との関係は、冷淡さ加減の程度において、当初もその時もあまり変りがないように見えた。自分は器量好しが二人寄って、我知らず互に嫉み合うのだろうと説明した。三沢は、そうじゃない、大阪の看護婦は気位が高いから、芸者などを眼下に見て、始めから相手にならないんだ、それが冷淡の原因に違ないと主張した。

(「友達」二十五)

「芸者」の階級は、看護婦よりもさらに下であり、それは大前提だと。

そして、二郎はお兼とは、「この若い細君がまだ娘盛の五六年前に、自分はすでにその声も眼鼻立も知っていたのではあるが、それほど親しく言葉を換かわす機会もなかった」としている。

このが事実であれば、

・「当時それほど親しくはなかったが、お金を払って相手をしてもらったことはある」

ということではないだろうか。
親しく言葉を交わすこともなかったと言いつつ、「娘盛」と性的にみたような評価をし、さらには引用したように「下卑た育ちの面影」はしっかり感じ取っているのだから。

そして、この玄人じみた女性の名は
「お兼」 である
お金。


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