夏目漱石「行人」考察(23) 物語開始以前の時系列(概要「兄」)
夏目漱石「行人」のうち、「兄」における、物語の開始前の出来事や、リアルタイム進行の少し前に生じていた出来事、背景について書いておきます。
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
1、「兄」における「物語開始以前の出来事」
・二郎が東京から発つ前に、「母の持っていた、ある場末の地面」が買い上げられる → 二郎が母(お綱)に、「じゃその金でこの夏みんなを連て旅行なさい」と勧めて、「また二郎さんのお株が始まった」と笑われた
・母はかねてから、若し機会があったら京大阪を見たいと云っていた
・今回の長野家大阪旅行は、「岡田からの勧誘」
・お貞は、「母のお気に入り」
・お兼とお綱は、「奥さまも大分御目に懸らない」、岡田はお綱に、「この前会った時は矢っ張り元の叔母さんさ」と。
( → お兼は結婚以来、長野家の人間と会っていない?)
・(二郎から見て)岡田とお兼との結婚は、「彼が突然上京してお兼さんを奪うように伴れて行った」、「自分を驚かした目覚ましい手絡」と
(以上・一)
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ふむ。お兼はおそらく結婚以来か、少なくとも長い間長野家を訪れていないが、岡田は「友達・一」でも、「所用で時々出京」している。たまにはお兼を連れて来てもよさそうだが、今までなかったと。
しかも、物語後半、佐野とお貞との結婚式でも、岡田のみでお兼は来なかった。
やはり夫婦仲はよくないのか、それともこの大阪旅行に来ていない、長野父・お重・芳江と、お兼とを、対面させたくない事情でもあるのか。
二郎の、「お兼さんを奪うように伴れて行った」との表現も気になる。二郎か、あるいは長野家の誰かが、お兼のことを好きだったのか?
・留守番となる人間分の絵端書を、岡田があらかじめ用意している。岡田はこの旅行に来るのが、お綱・一郎・直の3人であることを、あらかじめ承知している。
( → それでいて、あの軽薄そうに話す岡田が、この「妙な組合せ」(「兄」五))については、一言もふれていない。)
・二郎がお貞が病気かと聞くと、お綱が、「伴れて来ようと思って仕度までさせた所が、生憎お腹が悪くなってね。」と。さらに直が傍から、「でも大した事じゃないのよ。もうお粥がそろそろ食られるんだから」と。
( → どうも嘘くさく感じる。帰京後のお貞が体調悪げな様子はない。お綱か長野父が、わざと仮病をお貞にさせた? あるいは直もぐるで、二郎に嘘をついている??)
・岡田と直が妙に親しげ。「叔父さんは風流人だから歌が好いでしょう」、「歌なんぞ出来るもんですか」と。
( → 岡田が長野家でそれほど直と接触する時期があったとは思えない。後述するが、お兼と直は知ってはいるがあまり関りはなさそう。すると岡田も二郎と同様に、直が結婚する前からの知り合いだろうか? 岡田は長野母の遠縁なので、直も長野母側の親類か?)
(以上・二)
・一郎は過去に、大阪城や、「天王寺の塔」を訪れたことがある。時期は不明。直がそれをよく知らないことから、結婚よりは前と思われる
・二郎によれば一郎は、「事件の断面を驚くばかり鮮かに覚えている代りに、場所の名や年月を全く忘れてしまう癖」がある
・夜間に、「やっという掛声」で、「真裸な男が三人代る代る大な沢庵石の持ち上げ競」や、「その内の一人が細長い天秤棒のようなものをぐるりぐるりと廻し始めた」のを、「大阪で面白いと思ったのは只それ限」と回想する一郎
--------------------------------- → 印象的ではあろうが、この場面を特に面白がる一郎が、私にはよくわからない。
まだ相撲とか空手とか、ベースボールとか始めたなら面白いかもしれないが、沢庵石の持ち上げ比べが面白かったのだろうか。
お綱や直の前で堂々と二郎に話しているとこからすると、一郎が同性愛者で性的にも白かったというわけでもないと思われる。
(以上・三)
・お綱(長野母)の認識でも、岡田が大阪に移ったのは、「五六年のうち」。そうであるなら、その1年後であるお兼との結婚はやはり、四五年前か。「あいつと一所になってから、かれこれもう五六年近く」(「友達」四)とする岡田は、わずかだがずれてる。無頓着なだけか?
・直とお兼は二郎曰く、「親しみの薄い間柄」。ただ面識はありそう。
(以上・四)
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→ 直とお兼とが、一応の面識はありそう。ということは直の結婚は、お兼が結婚したはずの、四五年前の、少し前か。
またお兼には、芳江との面識はなさそう。芳江が長野家に来たのは、四五年前よりも後のことか。
・お貞の結婚について、お綱が言うにはお貞本人も、「大喜びだよ」と
(→ しかし後に、お重曰く、「お貞さんがあんなに心配しているのに」(「帰ってから」八)。かつ、二郎もこのお重の発言についてなんら否定もせず、疑問も感じていない。
これは、お貞がお綱の前では無理に喜んでいるのか、それともお綱がお貞の不安をわかっていて無視しているのか。
・長野父は昔は社会的勢力があったが、「社会から退隠した」現在では、「その半分の影響さえむずかしい」と、二郎は確信している。二郎の語りによれば一郎も同じ認識である。
しかも、佐野のお貞に対する強い結婚希望は、お貞つながりで長野父の勢力をあてにしたものだと、二郎は確信している。
二郎は、佐野の内心を読み取った上で、それを蔑むほどに、佐野のねらいは長野父の勢力だろうと確信していた。
それなのに二郎は、岡田やお兼に対しては、その確信も侮蔑も全く示さないで、「どうしてお貞さんが、そんなに気に入ったものかな。」とか、「あんまりお手軽過ぎて、少し双方に対して申訳がない」などと口にしていたのである(「友達」七・十)。
これは作者・夏目漱石が、「行人」の語り手である二郎は、「信頼できない語り手」であると示したのだと思う。
嘘の事実を書くようなことはないが、内心で完全に確信している・知っているようなことを、あたかも全く知らない・わからないかのような口ぶりで語る語り手である、と。
(以上・五)
・二郎が、有馬温泉の、「車夫が梶棒で綱を付て、その綱の先をまた犬に付て坂路を上る」話を、誰かから聞いたと。
--------------------------------- → ここで、「綱」が二回出て来る。(「兄」六)
ちなみに、長野母の名が、「綱」と判明するのは、「帰ってから」十二である。
手持ちの文庫本で、全465頁中、前者の有馬温泉の「綱」は、106頁。後者で長野母の名がわかるのは、247頁である。
これはかけてあるのだろうか。かけてあるのだとしたら、お綱が「車夫」で、長野父が、「犬」ということだろうか。
・お綱、「菓子折りの一つも持って行きゃあ沢山だね」
→ 「行きゃあ」名古屋弁? (七)
ちなみに「女景清」の話でも長野父が
「今言ってる所はほんの冒頭だて」と、名古屋弁みたく語る台詞がある。
(「帰ってから」十三)
・岡田の書生時代、酔って、「赤い蟹の足」を長野父に献上しようとして、「何だそんな朱塗りの文鎮みたいなもの。」と怒られる。
(→ 蟹、ではなくて、蟹の足、を差し出したのか?)
・昔、岡田も見ている前で、一郎が二郎に、「いきなり将棋の駒を自分の額へ打付た」と。
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知ってのとおり、このエピソードは同じく夏目漱石の「坊っちゃん」にも、同じく兄弟間のトラブルエピソードとして出て来る
(→ 後に別記事でふれました。)
予想外に長くなったので、とりあえず将棋の駒で封じ手に
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