宛先は君に 2021年7月3日

2021年7月3日

 ウェルテルが自殺の代名詞のような扱いを受けていることに、心底僕は絶えられない。彼ほど、生きることに純真で、それを願った人はいないというのに。
 こないだの文章で、僕はウェルテルの名前を突然出してしまったね。ウェルテルは当然、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』の主人公のことだ。僕は学生時代、ゲーテの偉大な傑作に情熱を注ぎ込み、そのためには、図書館で鞄を重くする本を何冊も借りては読み、辞書を拡げて、ドイツ語と格闘したものだ。その実りは僕に何を与えた? 確かに、世間が欲しがるような目に見える成果はもたらさなかった。しかし、僕にとっては最も重要なものをもたらしてくれたんだ。あまりにも貼り過ぎた付箋は、小説からあらゆる方向に伸び、それを見た教授を笑わせたものだ。僕自身も、まるでナポレオンよろしく、この街という戦場にいつも持ち運んでいた。クロップシュトックの詩を漁ったことも、『Natur』という言葉に囚われていたことも、ああ、全てが僕にとって本物の青春だったと言えるだろう。
 だからこそ、誰か有名人が死ぬとSNSにいつだって現れる、ウェルテルの名前にがっかりしてしまうんだ。僕はウェルテルに同情してしまう。彼は失恋に耐えきれず、自殺したとか、まるでほら話が流説していることに。違うんだ。彼は理想の生き方を抱き、それに悉く対立する規則、社会というものに耐えきれなかったんだ。そして、彼はそこからの逃避のため、自殺を選んだというわけなんだ。
 ウェルテルのことを考えると、僕は本当に受け取るべき、本性、そしてそれを見極めるだけの本性をしっかりと磨かなくてはいけないと思わされる。リンさんとりかもその素晴らしい本性を持ち合わせている。だから、僕は二人と過ごすことを望んでいるんだ。それは佐和子さんと茂樹さんも一緒だ。幸運なことに、いや、不幸だった過去が、素晴らしいバランス感覚の下にそれを持ってきてくれたのかもしれないが、今の僕は恵まれている。外に出て、偉大な自然を甘受し、部屋では文学作品に触れる。そして、最も重要な対話ですらも、僕は同じように本性を受けとることが出来ているんだ。そして、その磨かれた本性が本当の事を生み出してくれる。いつか、それが、世界中に伝播してくれればいいのにと思う。
 りかは絶不調の波を抜けて、生活を取り戻したようだ。実際、目に入るあらゆる物事は、彼女にナイフを突き刺すんだ。注視して、生活を送るとそれははっきりと僕にだって分かってくる。
 りかが落ちていた理由を教えてくれた。それは彼女のSNSのアカウントに、こんな文面を送り付けてきた糞野郎のせいだった。『今の時代、お前見たな少数者は恵まれていいよな。俺もそうだったら、楽できたかも』
 ああ、なんて最悪な言葉だ。僕は時々、その少数者の部分に具体的な対象のどれかが当て嵌められた、似たような言葉をSNS上で流布しているのを見かける。それなら、そう生きてみればいいじゃないか。どんな差別を受けているか分かるはずだ。どんなに辛い出来事に直面しなくてはいけないかも。
 しかし、今こうして、豪く雄弁に語っている僕も、それをりかから聞かされた時、僕は彼女を支えられる言葉を言うことは出来なかった。その瞬間に、どの言葉が適切なのか、自分では判断できなくて、何も言えなかったんだよ。りかも笑いを交えて、茶化すように僕に教えることで、縫った傷が開かないように繊細な動きを見せていた。だから、僕も不注意な一言で、それを蔑ろにしたくなかった。
 ああ、僕たちはどう生きるべきなのだろうか。どうして、人間が作り上げた社会で、傷つく人間がいる。それは正しくないのに、平気なふりで生きられるのはなぜだろう。逃避先は一体どこだ。月を目指すほかにないとでも言うのか。

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